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[書評]『吉田健一』

長谷川郁夫 著

大槻慎二 編集者

評伝文学の魅力を余すところなく伝える本  

 もしもあなたがすでにこの本を購い、決して少ないとはいえない時間と労力をかけて読み了えたとしよう。A5判上製、2段組で656ページ。久々に「矢来本」(かつて新潮社の文芸書の佇まいをそう呼んだ)という言葉を使いたくなるような造りの本を手にして、改めてカバーにあしらわれた吉田健一の写真を眺めてみる。

 読後の余韻はおそらく、上質なワインのボトルを1本ひとりで空けた後の酔いにも似て、ずっしりとした確かなものだろう。

『吉田健一』(長谷川郁夫 著 新潮社) 定価:本体5400円+税『吉田健一』(長谷川郁夫 著 新潮社) 定価:本体5400円+税
 しかしそこでこの本を本棚に収めてしまってはいけない。

 しばらくは机の上、あるいはベッド脇に置いたまま、気が向いたときに手に取り、もう一度頭から、あるいはたまたま開いたページを起点に、ゆっくりと読み返すべきである。

 それが吉田健一のいうところの「読める本」である。

 文学というのは要するに本のことである、とはこれもまた吉田健一の言だが、そのことは本書を前にすると素直に頷ける。

 文芸誌「新潮」での長期にわたっての連載が一冊の本としての体裁を与えられたとき、そこに込められているのは言葉であり時間であり人生でもあるのだが、そのふくよかさは総じてまさに〈文学〉としか呼びようのないものなのだ。

 著者はかつて小沢書店という出版社を営み、晩年に近い短い時間を吉田健一と過ごして、その間、信じ難いほど実りある仕事を成した編集者である。

 没したときでさえ若干29歳。並み居るベテランを差し置いて、新米編集者になぜそんなことが可能だったか。

 言い換えればなぜ吉田健一は、若かりし日の著者にそれほどの信頼を置いていたのか。それを自ら確かめたくてこの大著に挑んだ気持は、同じく編集者であった身には想像に難くない。

 しかしまた著者は、『美酒と革嚢――第一書房・長谷川巳之吉』(河出書房新社)で伝説の出版社である第一書房を起した編集者・長谷川巳之吉を、そして『堀口大學――詩は一生の長い道』(河出書房新社)で、これもまた編集者として謦咳に接した大詩人を描いた、注目の評伝文学の書き手である。

 自分の手柄や思い出話に浸るのではさらさらなく(実際、著者が作品の中でリアルタイムに登場するのは、16章あるうちの最後の2章ほどである)、吉田健一という稀代の文学者を、そして彼が生きてきた文学にとっては豊饒で幸福な時代を、丹念に調べ上げて再構成し、見事に客体化している。

 評伝というスタイルは元来、さまざまな要素が複雑に絡み合って出来ている。それは物語であり年代記であり批評でもあるのだが、この作品においてはそこに通底する主題さえ、幾本もの糸が複雑微妙に縒(よ)り合わさっている。

 たとえば“父と子"というテーマ。

 吉田健一の父親は言わずと知れた政治家、吉田茂である。留学先のケンブリッジ大学を中途で辞め、文士になりたいと帰国した息子に頭を痛めた父親。一方、第二次大戦を挟む激動の時代を、それこそ国際舞台の矢面に立って切り抜けた政治家の父親を、最後には「もうひとりの自分」と認めた息子。その親子の間の生涯にわたる緊張と親和の振幅の度合は余人に測り難い。

 あるいは父親以上の影響を受けたかもしれない祖父、牧野伸顕が大久保利道の次男であることを考えれば、吉田健一の身裡に流れる“士"としての血も大きなテーマかもしれない。

 そしてまた、銀座は出雲橋のたもとにあった小料理屋「はせ川」に集った綺羅星のごとき文士たち。

 終生師弟の関係を貫いた河上徹太郎。吉田健一のことを「健坊」と呼び、どちらかと言えば軽んじていた感のある小林秀雄や青山二郎。そのまた先達の横光利一との交流や〈鉢ノ木会〉で交わった中村光夫、福田恆存、大岡昇平、三島由紀夫……文学が輝いていたひとつの時代を一貫して吉田健一を中心に置いて描くことで、かつてない文学史を現前させてもいる。

1954年吉田健一=1954年
 しかしここで敢えて、本書を貫く陰のテーマは“文体"である、としてみよう。

 まったくもって吉田健一の人生は文体との格闘であったと言ってもいい。それを著者は要所要所で、読者に分かるように投げかけている。

 ケンブリッジから戻り文士を志したものの「日本語で書く」とはどういうことか分からなかった青年が、河上徹太郎の初の文芸評論集『自然と純粋』に出会って初めて「日本語を発見した」こと。

 戦後、雄鶏社で知己を得た延原謙(シャーロック・ホームズの紹介者)から「句読点の打ち方が解らなければ日本語は書けない」と教えられ、やたら句読点を打った時代。

 彼の依頼で書いた『英国の文学』を「文体がどうも気に入らなくなって」のちに全面改稿したこと。

 文壇的には異端とされ黙殺された『文学概論』で、その実、晩年にまで至る息がながくうねるような独特な文体を獲得したこと。

 その文体がさらに「流れのような一種の“語り"」を得て大きな成果をあげた『文学の楽しみ』。それから自由闊達な文体が切り開いた独自な小説群を経て、ついには師の河上徹太郎をして「ケンボー、句読点を無視しちゃいけないよ。そんなことしてると、おまえ、死ぬよ」と言わしめた最晩年……。

 吉田健一とはじつに、文体の変遷がそのまま人生と重なるという類い稀な文学者であったことを、著者は伝えている。

 後半、残りのページが少なくなるにつれてだんだんと読み了えるのが惜しくなってくるあたりで、本書が文学者を扱った評伝として特異な魅力を発していることのふたつの要因に気づく。

 ひとつは必然的に多くならざるを得ない「引用」と地の文が、実にスムーズに心地よく、シームレスに繋がっていること。もうひとつは本を取り上げるとき、必ずその造本、装丁などのデータを詳細に記していることである。まるで本の体裁そのものが批評であり主張であるというように。

 そしてそのいずれもが、著者が優れた評伝文学の書き手であると同時に、優れた編集者としての半生を持っていることに起因していると思われる。

 なぜならば的確な引用を自己の主張に引き寄せることは、帯文や種々雑多な宣伝文を書きながら編集者が日常的に修練を積み上げるべきものであり、また装丁や造本で本そのものに「モノを言わせる」ことは、書籍編集者に必要とされる重要な職能であるからだ。

 最後に書評にはあらざるオチのような話をひとつ。

 実は本書のなかで一箇所だけ私が登場するところがある。吉田健一がその文学活動の主要な時期にほとんど命運をともにしたといっていい垂水書房の天野亮さん。著者は倒産のあと消息が解らないとした上で「のちに嘱託として福武書店の辞典部に勤め、校正に従事した」と記しているが、それを伝えた「海燕」の若い編集部員……という箇所である。

 あれは1986、7年ころだったか、昼休みに職場近くのレストランでひとり静かに本を読んでいる老人を見かけた。それまで口を利いたこともなく、隣の部署でいつもひっそりと校正をしている人だったが、思い切って何を読んでいるのかを訊ねたら、少し含羞(はにか)んだ顔で「フローベール全集を」と答えた。いま思えばどうやらそれが天野さんだったのだ。

 消息を訊ねたとき言葉少なにただ「引導を渡した」とだけ口にした吉田さんの言葉から、同じく小出版社を経営したことのある著者は、天野さんとの間に何があったかを直感的に察したという。

 その辛い出来事を経て、ひとりひっそりとフローベールに没頭する元編集者の姿が、吉田さんには到底間に合わなかった私のような者をも「吉田健一のいる世界」にシームレスに繋げてくれていたのだった。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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