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[書評]『消費が社会を滅ぼす?!』

ベンジャミン・R・バーバー 著 竹井隆人 訳

東海亮樹 共同通信記者

反知性どころかエートスの構造転換  

 『消費が社会を滅ぼす?!――幼稚化する人びとと市民の運命』というのは随分と予言的な印象を受ける邦題だが、「Consumed: How Markets Corrupt Children, infantilize Adults, and Swallow Citizens Whole」(『〈消費〉-いかにしてマーケットは子供たちをダメにして、大人を幼稚にして、市民すべてを飲み込んでしまったか』)という原題も記しておこう。

『消費が社会を滅ぼす?!――幼稚化する人びとと市民の運命』(ベンジャミン.R.バーバー 著 竹井隆人 訳 吉田書店) 定価:本体3900円+税『消費が社会を滅ぼす?!――幼稚化する人びとと市民の運命』(ベンジャミン・R・バーバー 著 竹井隆人 訳 吉田書店) 定価:本体3900円+税
 著者は米国の政治学者。21世紀の危機的状況の根源は「消費」であり、高度消費社会がいかに民主的な経済や政治、共同体を破壊しているかを論じている。

  ユニークなのは、ハリウッド映画やゲーム、インターネットなどのポップカルチャーを細かく参照しながら、西洋近代の枠組みが激しく揺さぶられている現状を理論的に還元しているということだ。

  消費社会批判は20世紀の哲学・思想において長い積み重ねがあるが、本書が提示する「幼稚化」という概念は、21世紀にどのような「パラダイム転換」が起きているのかを考える上で、耳を傾けるに値するだろう。

  前提となる仮説は巨視的だ。

  マックス・ウェーバーが示したプロテスタンティズムの倫理に基づく資本主義のエートスが、まるごと「幼稚化」というエートスに入れ替わってきているというのだ。

  ウェーバーの理論は、プロテスタントに特有の禁欲の精神が資本蓄積を促して資本主義が形成されたというものだが、その資本主義があくなき利益追求によって搾取や格差を生んだ一方で、倹約や他者を助けるという清教徒的な倫理を併せ持ち、わずかだとしてもデモクラシーの発展に貢献したということを強調している。

  本書によると、21世紀に至って資本主義はプロ倫的な美徳を失い、大仕掛けな広告やマーケティングに踊らされるままに人々が「〈私〉の欲望や快楽」を求めて消費をする「幼稚化のエートス」に覆われているという。そこでは公共善や社会的紐帯を著しく失ってしまったというのだ。

  従来の資本主義批判のようにも聞こえるが、これまでの資本主義のエートスの民主主義的な一面を重視し、いまそこにある危機は「資本主義そのもの」が転換しているという点で、一歩踏み込んだ考察になっていると言えるだろう。

  では、幼稚化とはどのようなものだろう。

 著者は21世紀に入ってからのハリウッド映画の文化的後退から分析を進める。ヒット作品を並べるだけで、私たちにも幼稚化というものが見て取れるだろう。『シュレック』『スパイダーマン』『ハリーポッター』『ファイティングニモ』……。

 映像技術の進化や、子供文化本来の豊かさはいったん脇に置くとして、問題は「子供向けの子供の映画」しか大ヒットせず、しかも子供だけではなく「子供大人」のような大人を集客していることが事の本質だ。

 本書によると、アメリカンニューシネマの『真夜中のカウボーイ』『タクシードライバー』などをはじめ、これまでハリウッドは映画文化が行き詰まったときに、必ず興行的なリスクを取っても挑戦的で大人のための映画を生み出してきた。また舞台では、戦後すぐに『欲望という名の電車』といった人間の暗黒面を深く掘り下げるような作品を劇場に掛け、成熟した文化の活力を再生させてきた。

 もちろん現在でも、著者の推薦でいうと『ブロークバックマウンテン』『ナイロビの蜂』など社会派で政治的な優れた映画が作られてはいるが圧倒的に数は少ない。ひとえに幼稚な人々に向けた作品しか儲からないというマーケットの要請によるものだ。

 注意しなければならないのは、現代の人びとが自然に幼稚になったということではなく、意図的に「幼稚にさせられている」ということだ。

 マーケティング理論が緻密になっていくなかで、先進国の子供や若者がもっとも儲けのある購買層であることが明確になってきた。しかし、子供や若者はいずれは大人になる。先進国で少子化が進んで若年層の数が減るのであれば、大人を「子供や若者のまま」でいさせればいいと、21世紀の資本(ピケティではないが)は気付いたのだ。

 しかし、先進国の消費社会は飽和状態にある。基本的な生活物資は満たされている以上、さらに消費をさせるには、必要のないものを購入するニーズを「捏造」しなければならないと著者は指摘する。

 子供がおもちゃをほしがり続けるように、「幼稚な大人」は「キック・スケーターで仕事に飛び出し、ヘッドホンでモービー(ラップ歌手)の楽曲を聞きながら、バックパックを背負い」、「リーバイスとナイキに身を包み、帽子、リュックサック、ソニーのポータブルCDプレーヤーをつかんで出かける」。

 資本はそうした集団を無限に再生産しなければいけなくなったのだ。

 何が問題なのか? 

 グローバルな規模にズームアウトすると、先進国の人々がどんどん「子供」になっていく一方で、貧しい国々の子供たちは残酷なかたちですぐに「大人」になることを強いられている。「子供兵、子供売春婦、服飾工場の子供労働者」は「可処分所得」がないために「グローバル資本主義には無視される」のだ。

 世界の総人口の10%の先進国が90%の個人消費をするなかで、10%の人口でも1%の個人消費をしないサハラ以南のアフリカなどにはグローバル資本はまったく興味を示さない。

 また先進国内でも幼稚化は著しいモラルハザードを引き起こしている。著者は幼稚化を「困難(ハード)に優越する容易(イージー)」「複雑(コンプレックス)に優越する単純(シンプル)」「スローに優越するファスト」の3点から特徴付けている。それはさまざまな現場で退廃を引き起こしている。

 「容易」のために学生たちはリポートを「コピペ」するにとどまらず、ネット企業の「100%剽窃されていないカスタム文書」までを「購入」して博士論文を提出する。

 「単純」のためにテレビでは複雑なニュースは敬遠され、「軟らかいニュース」、さらには「情報エンターテインメント」に変化した。イラクで戦死した1000人の兵士の姓名を読み上げた社会派ニュース番組「ナイトライン」について、メディアグループ企業は系列局に「視聴率が取れないから放送するな」と命じた。

 「ファスト」のために映画界では1秒にも満たないカット割りでスピード中毒を起こす編集しか認められず、長回しの画面から意味を読み解くという熟考能力を観客から失わせた。

 「容易」「単純」「ファスト」の幼稚化の3点セットは、人々から批判的知性や複雑な思考を奪う。

 幼稚な消費は「〈私〉化」をうながし、公共善のための一定の犠牲や社会的連帯が重視されなくなる。著者の言葉に従えば、「市民の消滅」という事態に私たちは直面しているというのだ。

 さらに著者は消費者の幼稚化が、グローバル資本の「民営化」と結びついたときのアナーキーな状況へも論を広げている。詳細は本書に譲るとして、本来は市民が税と義務の負担と引き換えに、国家や共同体に委任してきたセキュリティーや戦争までが民営化によってマーケット化している。

 近代思想からすれば、それはルソー以来の「社会契約」の消滅なのだと著者は指摘する。セキュリティーは富裕層だけが購入できるものとなり、安全・安心の格差が社会全体の不安定さを高めている。

 また、英国の民間軍事会社が「ジハードチャレンジ」というプログラムでイスラム戦士を訓練し、民間警備会社がメキシコの麻薬カルテルに防諜と武器援助をするという意味不明としか言いようのないビジネス世界が広がっている。 

 長い論考の後に著者は、超国家的グローバルデモクラシー機関や貧困者自立のためのマイクロクレジットなどに、かろうじてデモクラシーを延命させる処方箋を見いだしているが、その困難さも同時に認めている。

 日本でも「反知性主義」が議論となっているが、反知性主義にもわずかばかりの知性はあるかもしれない。しかし、「幼稚化」と捉えたときに問題の深刻さはさらに強く認識させられるだろう。反知性どころかエートスの構造転換なのだという。本書からさらに広い議論がなされることを期待したい。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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