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傑作マカロニ・ウェスタン、『怒りの荒野』 

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 マカロニ・ウェスタンは、周知のように、1960年代半ばから70年代にかけて量産されたイタリア製の西部劇である。

 黒澤明の『用心棒』(61)を換骨奪胎したセルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』(64)の大ヒットをきっかけに、世界的なブームを巻き起したが、その多くは無法地帯を舞台にした、血みどろの残酷描写、現実離れした曲芸的なガンプレイ、あるいは尼僧に変装したアメリカのスパイ、防弾チョッキ代わりの鉄板、機関砲の入った棺桶などなどの奇抜な設定・小道具が売りであった。

 つまり、当初キワモノ扱いされた<マカロニ>の主流は、血糊(ちのり)を毒々しい衣裳のように使う、ケレン味たっぷりの、リアリズムを突き抜けた過激な娯楽性の追求を特徴とした点が、ハリウッドの古典的西部劇との大きな違いだった。

 もっとも、そうした、無法者同士の非情な殺し合いを前景化する<奇形的ジャンル>でありながら、復讐という情念を軸にしたストーリー、クールさの裏に義侠心を隠し持つヒーロー像、作中で挿入される哀愁漂うメロディなどに、古典的ウェスタンの伝統は形を変えて継承されている(イタリア製西部劇は、欧米では「スパゲッティ・ウェスタン」と呼ばれたが、淀川長治・深沢哲也両氏が、「スパゲッティ」では細くて弱々しいので、「マカロニ」に言い換えたという)。

 さて今回とりあげるのは、そんなマカロニ・ウェスタン史上屈指の傑作、『怒りの荒野』(1967)である(DVDあり。先ごろ、東京・シネマヴェーラ渋谷での特集「イタリア萬歳Ⅱ」で上映)。

 見せ場であるガンプレイの鮮烈さ、テンポ良く展開する先の読めない物語、はたまた副主人公の凄腕ガンマンに扮する、苦みばしったリー・ヴァン・クリーフの強烈な存在感が、本作の傑出した面白さを生んでいる(ハリウッドのB級俳優だったリー・ヴァン・クリーフは、『夕陽のガンマン』(65、レオーネ)でも、イーストウッド――やはりハリウッドのB級役者だった――に劣らぬ格好良さを披露した)。そして、マカロニ特有の、ともすれば過剰になる残酷描写が抑えられている点も、プラスに作用している。

 監督はトニーノ・ヴァレリ。脚本家出身で、前記レオーネの『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』の助監督をつとめ頭角を現したというキャリアからも、その実力のほどがうかがえよう(ヴァレリは本作の脚本作成にも参加している。なお以下、部分的なネタバレあり)。

 ――メキシコ国境に近い町、クリフトン。娼婦の子として生まれた私生児スコット(ジュリアーノ・ジェンマ)は、住民らから蔑(さげすま)まれ、掃除夫や汚物処理をして生計を立てていた。だが逆境を生きるスコットは、いつか一流のガンマンになる志を抱いて、馬小屋でひそかに射撃の訓練をしていた(つまり本作は、ドラマの初期設定からして典型的な復讐譚)。

ジュリアーノ・ジェンマジュリアーノ・ジェンマ
 そんなある日、タルビーと名乗る眼光鋭い中年の拳銃使い(リー・ヴァン・クリーフ)が、町にやって来る。タルビーは、酒場でスコットを侮辱した者らの一人を、電光石火の早撃ちで射殺するが、裁判で正当防衛と認められ、町を去る。

 タルビーの早撃ちに心酔したスコットは、彼の後を追い弟子入りを志願する。やがて、10年前に強奪した金塊の分け前の件で窮地に陥ったタルビーを、スコットは鮮やかなガンさばきで救い、晴れてタルビーの弟子兼パートナーとなる。

 タルビーはスコットに、「ガンマン心得十ヶ条/ガンマン十戒」なる教訓を伝授するが、この作劇上のアイデアが心憎い。実際、これらの教訓がどんな形でヤマ場のガンプレイに取り込まれるかが、この映画の肝のひとつである。

 たとえば、スコットがタルビーの狙った相手との間に立ってしまう場面で、タルビーは“股撃ち"――股の間からの銃撃――で相手を倒したあと、“心得の三"として、「決して銃と標的の間に立つな」という戒をスコットに告げる。

 映画は後半で意外な展開をみせる。

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