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[書評]『鴎外と漱石のあいだで』

黒川創 著

佐藤美奈子 編集者・批評家

漱石、幸徳、孫文らが交差する地点  

 日本(語)における近代の精神史・文学史を、日本の旧植民地やそこで生きた人々――いわゆる「正史」から外れる土地や人々――の作品から照らし出す試みは、すでに山口昌男や川村湊らによってもなされてきた。

 また、ポストコロニアルという概念の普及により、日本史・日本文学の研究者による、旧植民地を対象とした研究が盛んになって久しい。

 近年でも小熊英二をはじめ、「若手」とされる論者・批評家たちによってなお試みられているが、1998年刊の旧版『国境』(メタローグ、完全版は河出書房新社、2013年)以来、日本の旧植民地に目を向け、そこで生まれた作品やそこに生きた人々にこだわる著者は、フォーカスする人物と作品・時代が織り成す綾を物語のように描くという点で、異彩を放つ。

『鴎外と漱石のあいだで――日本語の文学が生まれる場所』(黒川創 著 河出書房新社) 定価:本体3000円+税『鴎外と漱石のあいだで――日本語の文学が生まれる場所』(黒川創 著 河出書房新社) 定価:本体3000円+税
 小説家でもある著者が、このように歴史を描くのは当然とも考えられようが、『きれいな風貌――西村伊作伝』や『暗殺者たち』などに見える描き方により、「正史」が抱える闇と、表舞台の地下でうごめく人々の息遣いに気づかされた読者は多いはずだ。

 本書でフォーカスされるのは、タイトルにある鷗外と漱石はもちろんだが、両者の「あいだ」にあった人々、たとえば台湾を接収するため日本軍が送り込んだ近衛師団の司令官で皇族の北白川宮能久(よしひさ)親王、魯迅、秋瑾、韓国の近代文学を切り拓いた作家・李光洙や金東仁、鷗外の妻しげや管野須賀子、前田卓(つな)といった人々である。

 同時に、彼らの活動や作品を通して、「日本語」文学としての台湾、中国、韓国の近代文学が生み出される過程が浮かび上がる。

 ここに挙げた人物のなかで、読者に最も耳慣れない名は、恐らく、前田卓だろう。

 卓は、漱石『草枕』に登場する那美のモデルとなった女性であり、『草枕』の舞台として描かれた熊本の「那古井の宿」の所有者で民権活動家・前田案山子(かがし)の次女である。

 卓の妹が宮崎滔天の妻だった縁で、離婚後の卓は後年上京し、宮崎と関係が深い民報社(中国でその後起こる辛亥革命の3名の立役者、黄興、章炳麟、孫文をはじめとした若き革命家らが創刊した雑誌が「民報」。後には宮崎の自宅が発行所となる)で働くことになる。

 その雑誌「民報」の創刊1周年記念会が開かれた「錦輝館」(神田錦町にあった)は、「米国帰りの幸徳秋水がゼネストによる革命を呼びかける演説をし」た会場であり、漱石「野分」の主人公・白井道也が、路面電車の賃上げ反対で暴動を起こし投獄された人々を支援するための演説をした会場(のモデル)であり、後に大杉栄、荒畑寒村らが逮捕される「赤旗事件」が起きた会場である。しかも、「赤旗事件」以外はいずれも同じ1906年に起きている(「赤旗事件」は1908年)。

 こうして、一見何の関係もないように思えた雑誌「民報」、漱石、幸徳秋水らが、「錦輝館」という場所、1906年という時間に視点を据えることで、思いもよらないつながりを露わにし、「東アジアの国際都市」、「漢字文化圏諸国の革命家たち共通の亡命地」であり、「“東アジアの交差点”として熱気を帯びていた」都市・東京の姿が鮮明になる。

 著者が「日本近代一五〇年近くにわたる歳月で、もっとも深く大きな精神史上の転換が進む」時期を、「日露戦争終結(一九〇五年)から大逆事件や韓国併合(一九一〇年)などへと至る」数年に見る、と述べる(あとがき)のも頷ける。

 以上は、本書が開く視界のほんの一例である。ほかにも田中正造と吉屋信子、三木竹二と渡辺保、魯迅と佐藤春夫など、人々や出来事同士のほとんど知られないつながりが、近代の日本語の複雑なありようを背後から照らす本書は、歴史を眺める際に不可欠な視座を確かに与えている。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。