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[書評]『近衛文麿 清談録』

近衛文麿 著 伊藤武 編

松澤 隆 編集者

「男ざかり」の昭和に心酔するなかれ  

 戦後70年は、近衛文麿歿後70年。死のほぼ10年前、第一次内閣を組む前年8月に刊行された論集が、装い新たに復刊された。

『近衛文麿 清談録』(近衛文麿 著 伊藤武 編 千倉書房) 定価:本体3200円+税『近衛文麿 清談録』(近衛文麿 著 伊藤武 編 千倉書房) 定価:本体3200円+税
 今さら近衛の文章なんて、という人にこそ、ぜひ一読して欲しい。1936年当時、こうした言説を(その血統や容姿とともに)評価・支持したのは、一部の関係者だけでなく、普通の国民であったのだから。

 同時に、本書に集約された論法や表現に新たな魅力を感じる人は、注意すべきだろう。

 彼は文筆で生きた人ではない。こうした「卓論」を熟議することなく、日本の方向を誤らせた政治家である。戦争の全責任を彼一人に帰するのは不適切だが、軍人にのみ転嫁するのは、さらに危険だ。

 「新刊」として本書の価値を高めているのは、筒井清忠氏の解説。概論ふうでなく、焦点を絞って課題を的確に明示した執筆者と、依頼した編集者に敬意を払いたい。

 とはいえ、『近衛文麿――教養主義的ポピュリストの悲劇』(岩波文庫)の著者に導かれ、文麿の(当時の)明敏と限界が指摘されればされるほど、その後の迷走ぶりに想いが及び、憤りも生じるが。

 ともあれ本書は、多くの「戦後70年本」とは格が違う。張りぼての一夜城と、正真正銘の本丸との違いと言ってもよい。

 しかも、初版と同じ版元による刊行。昨今の出版状況を考えれば、実に貴重だ。煩わしい漢字はかなに改め、理解しづらい固有名詞には注を付している。

 巻末の年表によれば、5月に斎藤隆夫議員の粛軍演説、11月に日独防共協定調印。

 その間に、初版は世に出た。貴族院議長3年目。内容は、2度の渡航体験(最初はパリ講和会議のための渡欧)で得た所見、貴族院への提言、2.26事件(刊行の半年前)直後に受けた米国通信社の質問への回答と、「清談」というには生々しい内外の「政事」への言及である。

 前半の『身辺瑣談』に、乃木希典に服装を叱られた話が出てくる。筒井氏の前掲書によると、文麿は学習院長の乃木に傾倒していたが、本書でその感情を抑え、叱責の追想だけに留めたのは「ポーズ」だったという。

 これを、ドイツ語で苦しめられた一高時代の教師、岩本禎の回想と比べると、その差が鮮やかだ。つまり、大衆が喜ぶような英雄への讃辞は控えつつ、知識層と共有できる名物教師の肖像にはさりげなく敬愛をこめた。

 こう考えると、京大で河上肇からマルクスを学び、初の渡航時に西園寺公望から不行跡を咎められた話など、本書が典拠の著名な逸話も、真意を様々に想像させる。

 確かに、読めば改めて面白い。やはり、青年貴族は文士になれば良かったのだ。だが、時代と周囲と、本人の壮気が、そうさせなかった。

 しかもその壮気は、しばしば批評に留まった。

 頻繁に登場する名前に、ウィルソン大統領の外交ブレーンだった、ハウスがいる。2度目の渡航時に面談した米国要人の一人(1934年。この時、ハルにもルーズベルトにも会っている!)。そのハウスの所に、中国人は1日置きに面談に来るが、日本人は全然来ない現実を伝え、「日本の宣伝不備」を、鋭く指摘している。

 日本が国際連盟脱退を表明した翌年であり、こんな時こそ非公式でも積極的な接触が必要であったのにと、今の我々は思う。ニューヨークに日本理解のためのライブラリーを作りたいとも記している。が、現実はどうだったか。鋭い論評と鈍い行動。

 自分を「アウト・サイダーの常識的見解」と韜晦する姿勢。文弱の貴族の感傷旅行なら、笑ってすませる。だが、文麿には当時すでに待望論があった。それにもかかわらず、こうした発言が出る。そこに文麿らしさが、あまりも滲み出ている。

 少し、私事を許されたい。高い鼻梁、仰ぎ見る長身……《その人》は、両親の商売の恩人であった。東京大学史料編纂所教授であったから、「先生」と呼ぶのが適切ではあったが、父も母も「さん」で呼んでいた。確かに「先生」の語感は、畏敬と親愛が混じり合った《その人》への気分にそぐわない感じを、子どもの自分も抱いていた。

 《その人》は京都からの帰り、よく我が家に寄って酒を飲んだ。たびたび、土産の蕎麦ぼうろをご馳走になった。快活な笑顔、鋭い眼光。「勉強してます?」が口癖。

 ある時、教科書で「戦争責任を問われ自殺した、元摂関家の直系の子孫」の名を知った。驚いた自分に、両親は《その人》は次男だと教えた。荻窪に「御後室様」から招かれた話も聞かされた。苛酷な戦争の史実を独習するにつれ、訊きたいことが次々と生じたが、ためらううちに歳月が過ぎた。

 徴兵され国民党軍を「対手」に戦わされた父も、学校に行けず勤労奉仕させられた母も、元首相・公爵の次男に対し、陰日向なく礼を尽くした。

 特に母は、悪いのは軍人であり、《その人》の父は騙されたのだと説いた。もし当時「ノブレス・オブリージュ」という言葉を知っていたら、殴られても、母にその意味を突きつけただろう。

 《その人》の逝去は2011年である。小部屋に《その人》は横臥していた。高い鼻梁。何かで見た自殺直後の文麿の顔が、重なった。とっくに亡くなった母と病身の父に代わり、深く黙礼した。

 《その人》を送ったこの荻窪の家は、もうない。今年になって一部は公園になった。文麿が「清談」ならぬ「政談」を重ねた昭和史の舞台は、もはやない。

 思えば、本書が編まれた頃の文麿は、《その人》が自分に蕎麦ぼうろをくれた頃と、ほぼ同じ年恰好だ。最近耳にしない言葉でいえば「男ざかり」。男子最良の季節。

 ただし、である。「男ざかり」はそれに相応しい男にしか訪れない。そして「男ざかり」に関わるのは、真にその人に心酔した人だけでよい。

 かりにも、あなたの心酔を周りに広めてはならない。心酔せず、激昂もせず、醒めた目で読むべし。

 そうすれば、本書のあやうい文藻の数々は、「男ざかり」にあった責任者が難局に向かって本当は何を考え、何を言うべきだったか、何を言うべきではなかったかを教える、いま現在の好読物となるだろう。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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