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[書評]『本多猪四郎の映画史』

小林淳 著

上原昌弘 編集者・ジーグレイプ

ゴジラを生み出した監督の評伝および微細な作品分析  

 日本ではじめてアメリカで評価された監督は誰であろう。小津安二郎? 黒澤明? いやいや。本多猪四郎なのである。

 彼の撮った『ゴジラ』(1954)は1956年に全米公開されて大ヒット。最終的には世界50カ国以上で公開された。ハリウッドが2度もリメイクし、2014年版『ゴジラ』は、同年の全米初日興行成績の最高記録(約39億円)。ハリウッドでの続編(ラドン、モスラ、キングギドラと対決)、3作目(キングコングと対決)の製作もすでに決定している。

 本書は、なぜか日本では評価の低かった本多猪四郎の評伝である。

『本多猪四郎の映画史』(小林淳 著 アルファベータブックス) 定価:本体4800円+税『本多猪四郎の映画史』(小林淳 著 アルファベータブックス) 定価:本体4800円+税
 と書いてすぐに留保したくなるのは「低かった、しかし今は低くない」からである。

 じつは近年「ゴジラ関連本」とともに、「本多猪四郎リスペクト本」が多数刊行されている。

 その再評価は沸点に達したかに思えるくらい熱い(私見ではその嚆矢は、四半世紀近く前に筑摩書房から出た樋口尚文 『グッドモーニング、ゴジラ――監督 本多猪四郎と撮影所の時代』である。この本は衝撃的だった)。

 本書で、著者の小林淳はじつに丹念にこれらの関連本を渉猟し、そのひとつひとつを引用してさらに奥深い解説を加えている。

 また著者は資料を通じてのみでなく、本多と実際に会って言葉を交わしてもいる。

 本多猪四郎は1911年(明治44年)、現在の山形県鶴岡市に生まれた。生家は寺である。

 父親が東京・医王寺の住職になったため上京、たちまちブルーバード映画に魅せられる。

 ブルーバード映画とは、小津安二郎もハマったという、アメリカの田舎の牧歌的風景での恋物語を描いたB級映画で、弱小ユニヴァーサルのさらに子会社の作品群である。本多の初期の恋愛ドラマとは通奏低音が鳴り響くかのようだ。

 映画少年は1931年(昭和6年)、第1回日大藝術学部映画科の募集に応じ、講師の森岩雄(のちの東宝取締役)と知り合い、映画界への道が開かれる。

 だがこのあと、本多は激動の昭和史に呑み込まれてゆく。1935年(昭和10年)に徴兵された彼は、「2.26事件」の決起を知っていた。そればかりか、叛乱軍に加わる可能性さえあった。

 1936年(昭和11年)には南満州の関東軍に配属され、2年間、金日成の抗日パルチザン部隊と戦った。復員からわずか1年後の1939年(昭和14年)には再徴兵され、中支方面慰安所管理軍曹となった。彼のエッセイに「慰安婦軍曹の回想」(「映画芸術」1966年4月号)というものがある。すこし引用してみよう。

 「サメザメと泣いて、慰問団ということで応募したらこんな所へ連れて来られた、という娘が何人かいた。……私にいえたことは『私だって好きこのんで軍隊にきているのではない、鼻もかめないような赤紙に自分の名前が書いてあっただけでこんなところへ来ている』」

 反戦への思いが迸(ほとばし)る文章である。

 3年務めてようやく除隊になると、すぐに3度目の赤紙が来た。このとき、後輩にして親友の黒澤明(黒澤の父は陸軍の体操教官で、そのコネによるのか、徴兵を免れていた)は、すでに『姿三四郎』(1943)で華々しいデビューを飾っていたのである。

 本多は南支で捕虜となって敗戦を迎え、1946年(昭和21年)に帰国する。じつに10年間を軍隊で費やしていた。

 東宝に復帰してまもなく東宝争議に出くわすが、辛苦に堪えるのが習い性の本多は、新東宝結成には与しなかった。ドキュメンタリー映画でデビューを飾り、お仕着せのプログラムピクチャー(『港へ来た男』、三船敏郎と志村喬が恋のライバルになる珍品)で円谷英二と出会うと、反原水爆の思いを胸に『ゴジラ』の演出へと邁進してゆくのである。

 こと細かに述べてみたが、じつはまだ序の口である。本書が数多の関連本と一線を画すのは、微細にわたる作品分析なのである。ゴジラ映画ばかりではなく、初期の戦争映画や、晩年に黒澤明の助監督を務めた作品(『影武者』『乱』『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』)に至るまで。

 著者の本領のフィールドである映画音楽の楽譜を追うように綿密であり、あたかも映画を見たかのような錯覚に陥るほどだ。

 私は本多の監督作品を20本以上見ているが、その私ですら「こんなに面白かっただろうか」と訝るほどに魅力的な紹介となっている。

 実際の本多は庶民派で反戦志向で、真面目な映画づくりをするだけの(つまり、子供向け特撮映画だからといって手を抜かない)、あえて言えば「凡庸」な監督だったのだと思う。その彼の、才能以上に、一徹なまでの誠実さが、本書のような優れた評伝を生み出したのであろうと合点がいった次第である。

 そういえば黒澤明と本多猪四郎の両監督に私淑する大林宣彦監督から、目撃談としてじかに聞いた話がある。

 黒澤のオムニバス映画『夢』(1990)のエピソード「鴉」。この作品でゴッホを演じたのは監督のマーティン・スコセッシだった(当時はまだ痩せていた)。来日し、撮影に入ったスコセッシがしきりに誰かと記念写真を撮りたがり、相手を捜しまわった。それは「世界のクロサワ」ではなく、助監督の「ミスター・ホンダ」だったという。 

 *ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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