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笑顔のそばに「影」。時代の役割を演じた原節子

軍国主義のプロパガンダ、民主主義のリーダー、そして理想の中年女性へ

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 多くの映画好きにとって、原節子ほどその死がショックだった女優はいないのではないか。田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、高峰三枝子、杉村春子など戦前から活躍したどの大女優よりも、神話化された存在だったといっていい。

 もちろん私も、実際の姿は一度も見たことがない。最後に映画に出たのが、私が生まれた翌年の1962年なのだから。

「東京物語」(53年)の原節子さんと笠智衆さん(左から『東京物語』(小津安二郎監督、1953年)で笠智衆と
 「永遠の処女」「永遠のマドンナ」「アルカイック・スマイル」と呼ばれた彼女の大輪の花のような笑顔が忘れられない。

 大柄でさっそうとした佇まいで歩き、大きな目と太く丸い眉毛に長い睫。

 そこから出てくる、ちょっと裏返った高めの伸びやかで歌うような声。

 そのうえ、42歳で引退して半世紀以上も一般の前に姿を現していないのだから、彼女の美しいイメージは固定されたままだ。

 95歳で亡くなったと言われても、狐につままれたような気分になる。

 山田洋次監督のコメント「原節子さんは美しいままに永遠に生きている人です。半分は神様と思って手を合わせます」に思わずうなずいてしまう。

「翳り」の視線

 彼女が亡くなってから、その主演作品を何本か見直した。そして今さらながらわかったことがふたつあった。

 ひとつは、その太陽のような華やかな笑顔にはほとんどの場合に影というか翳りがあったこと、もうひとつは彼女の演じる役柄

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