“正常さ”という病
2016年02月03日
前回述べたように、『暗殺の森』の主人公マルチェッロ/ジャン=ルイ・トランティニアンは、少年時代に自分を犯そうとした同性愛者を銃撃した罪悪感を引きずったまま成人した男だ。
必見! ベルトルッチ『暗殺の森』(上)――症例としてのファシスト(WEBRONZA)
そして彼は、自分が異常者=罪人であるという過剰な負い目を払拭すべく――つまり「正常なマジョリティー」になるための贖罪行為として――ファシスト党の一員となったのだった。
懺悔とはむろん、罪を告白し、神の許しを請うことだが、その懺悔のシーンで、聴聞司祭(ちょうもんしさい)はマルチェッロに、正常とは結婚し家族を持つことだ、と説く。
ここで示されるのは、「正常」な生活規範として家族作りを推奨し、ファシスト体制の補完装置として機能する宗教=カトリックの性格である。
さらに注目すべきは、このシーンで挿入されるマルチェッロの独白、「私はなんとか自分の正常さを作りあげたい」であるが、つまり彼にとっては、司祭の前での懺悔=贖罪、および司祭の諭(さと)しに従って結婚することが、ファシスト党加入とともに「正常さ」に順応するための――いわば「健全な父性」の仮面をかぶるための――手続きとなるのだ。
「正常さ」に関しては、マルチェッロの結婚パーティで盲人イタロが口にする、次のセリフがふるっている――「通りを行く美人の尻を振り返って眺めて、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください