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[書評]『ドキュメント 死刑に直面する人たち』

佐藤大介 著

西 浩孝 編集者・大月書店

人が人を殺す権利はあるのだろうか  

 2016年3月現在、日本には128名の確定死刑囚がいる。彼らは死刑執行施設のある、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡の各拘置所に収容され、外部から完全に遮断された空間のなかで日常を過ごしている。

 刑事訴訟法475条1項では、「死刑の執行は、法務大臣の命令による」と定められており、法相によって決裁された「死刑命令書」が作成されると、ただちに該当する死刑囚が収容されている施設の長に届けられ、5日以内に執行される。ただし、土日、祝日、年末年始には、死刑を執行しないことになっている。

『ドキュメント 死刑に直面する人たち――肉声から見た実態』(佐藤大介 著 岩波書店) 定価:本体2600円+税『ドキュメント 死刑に直面する人たち――肉声から見た実態』(佐藤大介 著 岩波書店) 定価:本体2600円+税
 死刑執行がおこなわれるのは、午前8時から9時ごろである。

 7時25分の朝食後、執行される確定死刑囚の独房に職員らが「お迎え」に訪れ、刑場に連行していく。

 立ち会い役の幹部以外で執行に直接たずさわる刑務官は6~7人、勤務態度の優秀なベテランと若手が選ばれ、妻が妊娠中であったり、家族に病気の者がいたりする場合は対象から除かれる。

 確定死刑囚がまず連行されていくのは「教誨室」だが、なかには教誨を拒み、この部屋を「素通り」する者もいるという。

 教誨を終えた確定死刑囚は、つぎに金色の仏像がはめこまれた部屋に入る。

 この「前室」で、拘置所長から初めて正式に死刑執行を告げられる。前室内の祭壇には簡単な添え物があり、茶菓子を勧められるが、一般に手をつける者は少ない。

 遺書を書くことも認められているが、その時間は5分程度である。

 こうした「儀式」が終わると、刑務官たちは「迅速かつ正確な執行」に向けて、それぞれの担当に向かう。部屋には厚いじゅうたんが敷かれ、刑務官たちの足音は聞こえない。

 刑務官たちは、確定死刑囚をガーゼで目隠しし、後ろ手に手錠をかける。それと同時に、前室の横にある青のカーテンが開かれる。その先にあるのは、天井の滑車から太いロープが垂れ下がる「執行室」である。

 目隠しされた確定死刑囚には、その様子は見えない。執行室の中央には110センチ四方の正方形の赤枠があり、その内部には90センチ四方の「踏み板」がある。

 執行室には刑務官3人と保安課長が確定死刑囚とともに入室し、保安課長は執行室の奥にある「ボタン室」の前に進み、中にいる刑務官3人から見える位置に立つ。

 ボタンを押せば踏み板が外れる仕組みになっているが、実際に連動しているのは1つだけだ。

 刑務官3人は、確定死刑囚を赤枠の中に立たせると、1人がすばやく両足をひもで縛り、2人がロープを首にかけて、首の左側に結び目が来るようにして軽く締める。

 これが終わると保安課長がボタン室の3人に指示、3人が同時にボタンを押すと、踏み板が外れて確定死刑囚は地下に落ちていく。

 地下では刑務官2人が待機し、1人が抱きかかえるようにして反動で体が大きく揺れることを防ぎ、さらに立会人のほうに向かせて静止させる。

 ロープは確定死刑囚の身長や体重から計算して、床から30センチほどの地点に足先が来るようにあらかじめ調整されている。

 確定死刑囚の痙攣などの動きが止まると、医官が死亡を確認し、死刑執行は終了する。落下してから死亡確認まで約15分。

 その後、確定死刑囚はロープから外されて湯灌を施され、棺桶に納められる。

 立ち合いの検察官、検察事務官と拘置所長が「死刑執行始末書」にサインと捺印をし、一連の手続きを終える。

 拘置所側は、事前に確定死刑囚から申告されていた、肉親など死刑執行時の連絡先に電話を入れる。知らせを受けた肉親は、すぐに遺体を引き取りに来るケースもあれば、引き取りを拒否して無縁仏として供養されることもある。

 以上は、著者(共同通信社記者)が関係者への取材にもとづき再現した東京拘置所のケースである。

 本書では、死刑囚たちの日常と胸中が描写されたあと、上記の叙述に移る。

 詳細を極めるのは、国の「密行主義」によっていっさい明らかにされていない執行に至るまでのプロセスを、少しでも具体的に、生身の人間がそこに介在することを確かに想像できるように読者に差し出そうとする著者の意思の表れだろう。

 本書は、死刑囚の現実に可能なかぎり迫っているだけでなく、刑務官や弁護人、法務官僚、被害者家族など、死刑に直面する人々の声にも耳を傾け、安易に存廃を口にする前に知るべきことを数多く与えてくれる。

 本書でとりわけ印象的なのは、被害者遺族でありながら死刑制度に反対する人々の言葉だ。

 弟を殺害されながら死刑囚である加害者と交流を続けた男性は、「死刑になっても弟が生き返るわけではない」し、「加害者がしたことへの怒りもなくなるわけではない」が、「(面会で)加害者から直接謝罪の言葉を聞くことで、誰のどんな慰めよりも癒されていくように思った」という。

 「長い間、孤独のなかで苦しみ続けてきた僕の気持ちを真正面から受け止めてくれる存在は加害者だけだと感じたのです」

 また、息子を失った別の男性は、自分の活動は「自分自身の立ち直りのためでもある」として、「被害者支援の基本」は「相手(被害者)の感情を増幅する」ことでなく、「相手に寄り添って話を聞き、その言葉を受け止める」ことだと話す。

 多くの「被害者遺族ではない人たち」が「あるべき被害者遺族」の姿をつくりあげ、「被害者なのに死刑に反対するとは何ごとか」「お前は被害者ではない」と猛烈に非難しようとするが、「被害者は厳罰を望んでいる」と決めつけられることは「大きな負担」であり、「同じ被害者を出さないことが、一番の望みなのです」。

 やはり死刑制度に反対するある被害者は、「いろんな気持ちが起きるんです。仏と鬼の両方の気持ちを持っている。それが人間でしょう」と語っている。

 死刑とは何なのか。人が人を殺すとはどういうことなのか。

 それはつまり、人間という存在について、自分自身の深みから、真剣に問いかけることにほかならない。著者が聞き取った肉声を、私たちは何度も反芻する必要があるだろう。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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