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[書評]『プリズン・ブック・クラブ』

アン・ウォームズリー 著 向井和美 訳

松本裕喜 編集者

囚人たちの読書術 

 刑務所で読書会が開かれていること自体に驚いた。この本の舞台となるコリンズ・ベイ刑務所、ビーバークリーク刑務所はカナダの刑務所だが、犯罪者の拘禁施設である刑務所で、どうして読書会が開かれているのか。

『プリズン・ブック・クラブ——コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』(アン・ウォームズリー 著 向井和美 訳 紀伊國屋書店) 定価:本体1900円+税『プリズン・ブック・クラブ——コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』(アン・ウォームズリー 著 向井和美 訳 紀伊國屋書店) 定価:本体1900円+税
 というのも40年近く前、刑務所の中を少しのぞいたことがあるからだ。

 私が刑に服していたわけではない。旧豊多摩監獄(中野刑務所)と小菅刑務所は近代建築の傑作で、法務省の許可を得て写真撮影に同行した。近代日本の刑務所建築には名建築が多いのである。

 撮影を許可されたのは建物の外観だったが、庭で草むしりをしている受刑者の姿が目に入った。坊主頭で動作はのろのろとし、看守を「先生、先生」と呼んでいる。現在の日本の刑務所がどうなっているのか知らないが、読書会のようなものが開かれることはあるのだろうか。

 著者はカナダ在住の女性ジャーナリストである。「刑務所読書会支援の会」で活動する友人のキャロルから、男子刑務所で月に1度開かれている読書会に来てみないかと誘われたとき、著者は「絶対に無理」だと思った。8年前にロンドンで強盗に襲われ命を落としかけた経験があり、そのときの恐怖心がトラウマとなって残っていたからだ。

 しかし、好奇心が恐怖心をうわまわった。受刑者たちが本を読んでどんな感想を抱き、それをどんなふうに話し合っているのか。ジャーナリスト魂に背を押されて、2010年10月、著者はキャロルとともにトロント近郊のコリンズ・ベイ刑務所に赴き、受刑者たちの読書会に参加する。すると囚人の一人が言った。

 「あんたのようなきちんとした人が、何で俺たちみたいなワルと一緒にいたいんだ?」

 帰り道で彼女は自問する。今日の読書会で何か得られただろうか。ほとんど何も得られなかった。なぜなら、自分は情けないほど怯えていたからだ。

 「恐怖心は偏見から生まれる。……社会に存在するひどい不公平の根源には、こうした恐怖心があるものだ。……いつまでも何かに怯えて生きるのはやめ、キャロルの勇気を少しでも見習おうと私はこのとき覚悟を決めた」

 こうして翌年3月以降、著者はコリンズ・ベイの読書会にボランティアとして参加するようになる。

 読書会で取り上げられる本はフィクションとノンフィクションだ。ノンフィクションには、自伝や回顧録、ハウツーも含まれる。本の選定はキャロルや著者のようなボランティアが行い、受刑者たちの希望も聞く。あるとき取り上げられた本は、アメリカの登山家グレッグ・モーテンソンが慈善団体を立ち上げてパキスタンとアフガニスタンで女子校を建設するノンフィクション『スリー・カップス・オブ・ティー』。当時『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストに上げられていた。

 読書会で著者は、グレアムという190センチほどのがっしりした体格の受刑者の発言に注目する。グレアムは、モーテンソンを英雄だというキャロルなどの見解に疑問を呈して、家族を置き去りにした暮らしぶりや、慈善団体の運営の仕方にはどこかおかしなところがあると指摘したのだ。実際、その6週間後、CBSテレビの「60ミニッツ」でモーテンソンへの疑惑が放映され、その後、詐欺罪で告訴もされた。

 カナダでは受刑者の刑の重さに応じて軽警備・中警備・重警備の刑務所がある。グレアムは読書会仲間のフランクとともに、コリンズ・ベイ刑務所から軽警備のビーバークリーク刑務所に移され、そこで読書会を立ち上げた。著者はこちらの読書会にも参加する。

 2012年秋の読書会の課題本は、ニューヨークでライター兼編集者として活躍するジャネット・ウォールズが恵まれなかった子供時代を回想した『ガラスの城の子供たち』だった。この刑務所では読書会の進行役を非番の職員2人が担う。進行役の英語教師フィービーの「人はなぜ回想録を書くのか」との問いかけに対する囚人たちの答えが面白い。

 「後ろめたさから逃れるため」(トム)。「読者のためだ」(背が高く眼鏡をかけた中年男性)。「カネのためだよ」(誰かの声)。「自分の見方で出来事を語るためじゃないかな」(グレアム)。「ジャネットの場合は仕事で成功してるし……周囲からはそれなりの扱いも受けているのに、この本じゃ、何もかも洗いざらいぶちまけてる、俺にはできないな」(フランク)。「両親を恥じることに、もううんざりしてしまったんだ。そのことに強い罪悪感もあって、自分をさらけ出したくなったんじゃないかな」(ドク)。「自分の経験を紙に書き出すことが、すごく癒しになるんだと思う」(リチャード)。「一歩踏み込んで言えば、著者は家族が耐えてきた貧乏を売り物にしている」(もう一度トム)。

 コリンズ・ベイ読書会に参加した、『ニグロたちの名簿』の作家ローレンス・ヒルの、「受刑者はほかの人たちよりもずっと本から多くのことを学び取っている。時間とエネルギーがあるぶん本に集中できるし、学ぶ必要に迫られているからね」との言葉にも納得できる。読みの多様さがここにはある。

 コカイン常習者であり連続銀行強盗の罪で捕まったガストンは、「読書会では本の中の世界を追体験できるんだけど、それはほかのメンバーを通してなんだ。この読書会がすごく面白いのは、自分では気づきもしなかった点をほかのやつらが掘り起こしてくれるからさ」と語る。

 そして著者自身も、「読書会でメンバーたちがそれぞれ自分の考えを口にし、互いの意見を聞いて、時には見方を変えていくのを目の当たりにするうち、いつの間にか私自身も自らの考えを突き詰めて、意見として表明できるように」変わってゆく。

 たいていの人にとって読書会は学生時代の体験ではないだろうか。以下は私の大学1年次の「クラスノート」(誰が書いてもいい雑記帳で、保存していた級友に見せてもらった)の1節である。

 村上雄三郎記 (1968年6月21日) どうなっとるんだ! 読書会出席者二人。山本氏と俺だけだったぞ! ということはだな、つまり、こっちの魅力が足りなかったということだわな。反省する。だがよ、おまえさんたちも、も少しやる気だしてくれよな。 次回読書会予告 TEXT『固有時との対話』(吉本隆明)

 まあ学生の読書会などどれもこんなものであろうが、刑務所読書会とは何たる中身の違いだろう。

 私自身は、最近、読み終えたばかりの本が、1年前に既に読んだ本であることを日記で知って愕然としたことがあった。何のために本を読むのか。ただがむしゃらに読むのではなく、著者なり登場人物なりと対話を交わしながら読み進められないものか、と考え始めたところでこの本に出合えた。

 この刑務所読書会の記録は、「書物について話し合い……私たちの人生をつなぐ目に見えない糸に触れるため」の、さまざまな刺激に満ちた本と言っていいのではないだろうか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。