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[書評]『武器輸出と日本企業』

望月衣塑子 著

今野哲男 編集者・ライター

この言い換え、軽過ぎます。 

 本書は、日本にはかつて「武器輸出三原則」というものがあった、というところから語り起こされている。この決まり事は、遠いベトナムの戦火の匂いが、反戦の声に乗って日本国内にも生々しく及んでいた1967年、ときの日本国首相・佐藤栄作が国会答弁で表明したものだ。以下、本書の記述に沿いながら、その後の推移をスケッチしてみよう。

『武器輸出と日本企業』(望月衣塑子 著 角川新書) 定価:本体800円+税『武器輸出と日本企業』(望月衣塑子 著 角川新書) 定価:本体800円+税

 まず、あの頃は世界的に反体制の機運が盛り上がっていた。“反戦”という言葉には文化的な色っぽさに加えて、道義的に“まっとう”という印象があり、その感覚は若者たちのカウンターカルチャーにまで及んでいた。

 「武器輸出三原則」が、まるでその反体制勢力を牽制するように、体制側のボスによって表明されたことの裏には、おそらく平和国家を志向する戦後日本の国民のエートスが、当時の保守・革新の対立を越えたところまで濃厚に及んでいたという、日本に固有の事情があったのだろうと思う。

 その空気はその後、76年に同じ自民党の領袖・三木武夫によって「武器輸出についての政府の統一見解」が発表されるころまでは続き、その限りでは、この国の民主主義は、戦後民主主義という形でそれなりに保たれていたのだ。

 その後、大衆消費とバブル経済の時代をへて、この機運は生気を失くしていく。反戦の声は聴こえなくなって、「武器輸出三原則」にもその都度、過渡期的な例外規定が加えられるようになった(その経緯については第4章「武器輸出三原則をめぐる攻防」に詳しい)。

 そして、著者が本書の「はじめに」の中で“武器輸出、47年ぶりの大転換”と呼んだ、コペルニクス的転回とも言うべき一連の大変化がやってくる。それは、67年を起点に「47年ぶり」、つまり2014年に起こった反動、すなわち反戦・平和というエートスに支えられ、権力者さえも持っていたこの国独特の民主主義の感覚を、「戦後レジームからの脱却」という旗のもと「根こそぎ」にしようと画策するものだった。

 その忌むべき施策中、本書に従って「武器輸出三原則」に絡む主な項目を挙げてみる。(1)1月の「国家安全保障局(日本版NSC。初代議長・安倍晋三)の発足、(2)野田内閣時代の2011年12月17日、藤村官房長官談話によって示唆された武器輸出制限の大幅緩和を前触れとして(この談話が、前日の12月16日に言明された野田首相自身による「原発事故収束宣言」と踵を接していることも気にかかる)、次の政権の座についた第二次自公連立安倍復帰内閣が4月に閣議決定した「防衛装備移転三原則」、(3)12月の「特定機密保護法」施行。

 本書は、この流れを受けて勢いを増した、現在進行中の日本の武器輸出に関する微細な動きを、政・官・財・学とその連携の現場に取材して、その報告を行っている。新聞記者らしくあくまでニュートラルな視線と姿勢を保ち、恣意的な解釈を紛れこませない、禁欲的と言ってもよい書き方が基調になっている。その地味で控えめなアプローチが、読者にはかえって印象が深く、報告される内容の怖さがより切実に迫ってくるようだった。

 私の場合は、「防衛装備移転三原則」というネーミングがことさらに気になった。「武器輸出三原則」というストレートな言葉と並べてみれば、「防衛装備移転三原則」の「防衛装備」がほとんど「武器」と等しいことは明らかであり、「移転」が「輸出」であることも言うをまたない。この一見無意味と思える、軽い装いの言葉の曖昧化のなかに、変更にまつわる油断のならない事情があったことが隠されていると思うのだ。

 たとえば「武器輸出三原則」には「国際紛争の当事国または、その恐れのある国への武器輸出は認められない」という一項があった。これが「防衛装備移転三原則」では「紛争当事国には輸出しない」となっている。つまり、「その恐れのある国」が除外されているのだ。ありていに言えば、これはイスラエルや中東諸国に対する武器輸出の制限がなくなったことを意味する。

 しかし、この変更によって生じるべき輸出国としての心理的な葛藤は、「防衛装備移転三原則」という言い換えによって巧妙に軽減される。都合の悪いことはすべて曖昧さの海の中に投げ込むのである。

 安倍内閣にはこの手の仕掛け、あるいはためにする言葉の誤用が多すぎる。「積極的平和主義」しかり、「わたしは立法府の長」しかり。新設された「防衛装備庁」が先導する武器輸出は、デュアルユース(防衛にも応用可能な民生技術)という、これまた両義的で曖昧な掛け声のもとで、本書のオビの推薦文で森達也が言う通り「読み終えて言葉を失う」ほどの勢いで進んでいるのだ。

 ここで著者が、安倍政治には望むべくもない視点で、アメリカの雑誌で見つけた、小さいけれども見落とせない事例を紹介する。遠くアメリカにいて無人飛行兵器を操作し、アフガニスタンを爆撃してきた兵士のコメントだ。

 「アフガニスタンのどこかの道を、自動小銃を抱えた男が三人歩いていた……彼らがだれなのか知る由もなかった。上官が下した命令は、何でもいいから前の二人を攻撃しろというものだった。土煙が収まると、目の前の画面には大きくえぐれた地面が表示されていた。二人の肉体の断片が散らばり、後ろにいた男も右脚の一部を失って地面に倒れていた。男は血を流し、死にかけていた。赤外線カメラの映像に白っぽく映る血のりは地面に広がり、冷えていった。男はやがて動かなくなり、地面と同じ色になった」

 アメリカ政府は彼に、無人機はアメリカ兵の命を守り、アメリカをテロから守ると繰り返し説明したという。

 因みに、この兵士はその後、特別報酬の誘いを蹴って退役する。彼が加わった作戦の実績をまとめた文書には、約6000時間の無人機操作で殺害した人数は、1642名だと記されていた(その後、彼はうつ状態に陥って酒浸りとなり、PTSDとの診断を受けている)。

 著者は「日本はどこへ向かっていくのか」という小見出しを入れた本書の最後近くで、こう書く。「防衛白書には将来の無人戦闘機の姿についてこう述べられている……『今後は、人間が操作するものから完全な自律行動型に推移していく可能性があるとみられる。それは自律型致死兵器システムと呼ばれ、目標設定から攻撃まで自動で行われる。近い将来、人工知能開発が進めば実戦配備される可能性も指摘されている』」と。そして「私たち日本人は、武器輸出に踏み切ったことで、欧米と同じ世界に一歩を踏み出した」とも。

 「読み終えて言葉を失う」人が、一人でも多いことを望みたい。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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