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[書評]『アガサ・クリスティーと14の毒薬』

キャサリン・ハーカップ 著 長野きよみ 訳

小林章夫 上智大学教授

毒薬の使い方教えます?

 こんな手があったのか、とただ感心するだけ。

『アガサ・クリスティ—と14の毒薬』(キャサリン・ハーカップ 著 長野きよみ 訳 岩波書店) 定価:本体2800円+税『アガサ・クリスティ—と14の毒薬』(キャサリン・ハーカップ 著 長野きよみ 訳 岩波書店) 定価:本体2800円+税
 クリスティーと言えば、もちろん「ミステリーの女王」。「灰色の脳細胞」ことベルギー人のポワロ。イギリスの田舎にひっそり暮らす老女ミス・マープル。この二人の名探偵が謎解きをするシリーズは、シェイクスピアを凌ぐ数の翻訳が世界中で出版され、多くの人の不眠の原因を作り出している。

 クリスティーのミステリーでは、もちろん殺人事件が多く起こり、その犯人探しが重要なポイントとなる。もちろん詐欺や盗みもあるけれど、殺人が主な事件となるのは言うまでもない。

 その殺人事件でひときわ目立つのは毒殺である。撲殺や、銃を使った殺人もあるけれど、やはり毒薬を使った事件のほうが、何というか「深みがある」ような気がする。毒薬が人を死に至らしめる経過が大いに謎めいているからだろうか。同時に、毒薬は効き目が出るのに時間がかかるものがあり、胃の中に食べたものが残っているか、あるいは空腹かで、その時間にも違いが出る。

 もちろんクリスティーが薬品、毒薬に関して並々ならぬ知識を持っていたことが重要で、彼女は病院で看護師の仕事をしたことがあり、続いて調剤師の資格を獲得しているのである。これが作品の執筆にあたり、大いに役立ったことは言うまでもない。毒と一口で言うけれど、その中には薬として使われるものがあるから、物語を複雑にするのに大いに役立つのである。

 本書はイギリスのサイエンス・ライターの手になるもの。砒素(ヒ素)に始まり、ベロナールという毒薬まで14種類の特徴を詳しく解説しつつ、作品とのかかわりを跡付けている。なるほどこんな手があったかと感嘆するほどの出来栄え。人気ミステリーの背後に隠された科学的知識を摘出しつつ、クリスティーの物語を深く味わう手段を教えてくれる。

 しかし、まあ一般の読者はここまで踏み込む気持ちはあまりないだろうし、下手をすると、あの鼻持ちならぬ「シャーロッキアン」のようになる危険性もある。ところが本書はそこをうまくかわして、14の毒薬の特質をわかりやすく解説してくれる。ただし、通読よりも、クリスティーの作品の参考書として拾い読みするほうが向いているかもしれない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。