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[書評]『安倍三代』

青木理 著

小木田順子 編集者・幻冬舎

言ってはいけなかった真実  

 特定秘密保護法や、安全保障法制、そして現下の「共謀罪」や憲法改正など、安倍政権の施策、ひいては安倍首相の思想信条に反対する人たちの最大の疑問、苛立ちの原因は、なぜ安倍内閣の支持率はこんなに高く、選挙で勝ってしまうのか、というところにある。いったい安倍晋三とはどんな人物なのか。

 ジャーナリストが政治家について書こうとするとき、ひとつのアプローチは、政治家そのものに近づくことだ。だが、その懐に飛び込んで独自の情報を得ることと、批判的・客観的なまなざしを向け続けることは、なかなか両立しない。新聞・テレビの政治記者の書く政治家論が、しばしば「ヨイショ本」と言われてしまう理由はそこにある。

 政治記者ではない著者が、本書でとったのは、父・晋太郎、祖父・寛というあまり知られていない父方のルーツに光を当て、地元や関係者など周辺取材を積み重ねることで、安倍晋三の人物像を浮き彫りにするというアプローチだった。

『安倍三代』(青木理 著 朝日新聞出版) 定価:本体1600円+税『安倍三代』(青木理 著 朝日新聞出版) 定価:本体1600円+税
 晋三氏の父方の祖父・寛。1894年、山口県日置村の醸造業を営む名家に生まれる。村長を経て、衆議院に2期連続当選するも、終戦直後の1946年1月、51歳で、志半ばのうちに亡くなる。

 寛の息子・晋太郎は、1924年生まれ。政治家を志し、まず新聞記者となり、同郷・山口県の政治家である岸信介の女婿に。その後、岸の秘書官を経て、父・寛の地盤を受け継いで衆議院議員となり、外務大臣ほか要職を歴任。首相候補と目されながら、67歳、やはり志半ばで亡くなる。

 そして三代目・晋三。祖父は岸信介、父は安倍晋太郎という、政治家になるには最強と言っていいバックグラウンド。晋三氏の兄が政治家になることを望まなかったため「後継ぎ」が回ってきて、父・晋太郎の秘書官に。小泉政権で抜擢され、戦後最年少の総理大臣に就任する。最初の政権を病気のために途中辞職するも、それもいまや、「挫折を乗り越えて復活」という美談となって、戦後の最長政権に迫っている。

 私も、冒頭で触れた安倍政権の施策に反対し、晋三氏の思想信条に共感しない者であるが、本書を読んで、その憤りの矛先をどこに向けたらいいのかが分からなくなってしまった。

 祖父・寛は、反戦と貧者救済を訴える政治家だった。戦時中の1942年、全政党が解散し大政翼賛会に一本化された、いわゆる翼賛選挙で、翼賛会の非推薦、つまり反権力の候補者として立候補する。官憲による厳しい弾圧を受けながら当選を果たすくだりは、本書で描かれる寛の生涯のなかでも、もっとも胸に迫るところだ。

 父・晋太郎も、改憲を党是とする自民党の派閥政治全盛の時代に生きた政治家であるが、彼を知る人は口をそろえて「平和憲法を擁護するリベラル。きわめてバランス感覚のすぐれた人」と語る。晋太郎氏は周囲には「俺は岸信介の女婿じゃない、安倍寛の息子なんだ」と繰り返していたという。本書で描かれる晋太郎像には、私がぼんやりと記憶するあの温和そうな人が、かくも気骨あふれる人物だったのかと、多くの驚きがあった。

 で、三代目である。三代目が父や父方の祖父に言及することはほとんどない。「反骨の政治家・寛や平和主義者・晋太郎の思いを受け継がないのは、けしからん」と非難するのはたやすい。だが、晋三氏は、なにがしかの思想遍歴を経て、彼らの思想信条と決別し、保守政治家を志すに至ったのかといえば、どうもそうではない。

 寛は晋三氏が生まれる前に世を去っており、晋太郎は多忙のため晋三氏との親子の関わりは希薄だった。晋三氏が、尊敬する政治家として、ことあるごとに岸の名を出すのは、その思想信条に共鳴したゆえでなく、幼い自分を溺愛し、幼少時代の幸せな時間を共に過ごしてくれた、いいおじいちゃんだったから……としか思えないのだ。本書を読んでいると。

 「とくに強い印象はない。勉強もスポーツもほどほどの、いい子、いい青年」「現在の保守的な思想はおろか、そもそも政治の話をするのも聞いたことがない」。幼少期から社会人になるまで、周囲の晋三評は、すべてこんなものだ。

 何人もに取材を申し込み、せっかく足を運んで話を聞いても、みんな言うのは同じことばかり。ノンフィクションライターの心を躍らせるようなエピソードは何も出てこない。著者がそのことにいいかげんゲンナリし、晋三氏を描く筆が意地悪になっていく……という点が、本書で描かれる晋三像についての一番面白いところと、私も意地悪になってつい言ってみたくなる。

 さしたる思想的基盤もなく、政治家になりたいという強固な意志もなかった政治家・安倍晋三、日本国首相。「王様は裸だ」ならぬ、「首相は○○だ」。著者は本書で、この言ってはいけない真実を明らかにしてしまった(○○の中身は、ぜひ本書を読んで、ご自身の言葉を当てはめて噛みしめてほしい)。

 そしてそのような人物を、あなたは何で政治家になったのかと非難しても仕方ない。あなたの思想信条は間違っていると批判しても空しい。いったいこの憤りをどこに向けたらいいのか、あらためて考えるとき、著者が本書を、現政権への批判でなく、「現在、全衆議院議員のほぼ4人に1人が世襲である」という事実を述べることから始めた意味が、重くのしかかる。

 さらには、このような人物が多くの人々の支持を得て、国を率いる立場にまで昇りつめることは、何も日本でだけ起きているわけではない。そのような時代の潮流への言及はないものの、本書が投げかける問いは、当然、そこまで広がっていく。何重もの意味で、罪深い本だ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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