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[4]『服従』で描かれる学長の宗教的信念と叡智

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

モスクを閉鎖され、抗議の意味も込め、路上で祈りを捧げるイスラム教徒の人たち=19日午後、パリ郊外クリシー市モスクを閉鎖され、路上で祈りを捧げるイスラム教徒たち=2017年4月19日、パリ郊外クリシー市
 アッベス政権誕生後の『服従』後半における最重要人物は、パリ=ソルボンヌ・イスラム大学の学長に新たに就任したロベール・ルディジェ教授だ。

 ルディジェは、「ぼく」をイスラム教への改宗に導く“導師(グル)”でもある。……190センチくらいの長身で、がっしりして胸は分厚く、大学教員よりラグビーのプロップ(スクラム最前列のプレイヤー)といった体格で、日焼けした顔には深い皺が入り、その上に乗っかった角刈りの髪は完全に白髪だったがヴォリュームがある、といった威厳ある風体の、教養豊かで頭脳明晰、かつ弁舌巧みなベルギー出身の50代の男――という風に、ウエルベックはルディジェのユニークな風貌を、入念に描く(229頁)。

 そして、<事情通>というより、敬虔なイスラム教徒にして碩学(せきがく)であるルディジェは、文学、思想、歴史についての深い知識で「ぼく」を圧倒しつつ、イスラム教への改宗を条件に、「ぼく」の大学への再就職を提案する。ルディジェは「ぼく」と3時間も対話するが(234頁以降)、その無神論否定から始まるルディジェの“折伏(しゃくぶく)”のくだりは、きわめて読み応えがある。

ヨーロッパは完全に自殺してしまった

 ルディジェによれば――無神論の人間中心主義の根本には、途方もない傲慢、慢心がある、キリスト教の受肉の概念などがそうであり、神の子がイエスという人間の姿で現れるなど、とんでもない(244頁:無宗教の「ぼく」も、「人間中心主義」という言葉は嫌いなので、ちょっと心を動かされる)。……現代の西欧人は、自分が深刻な出来事、重い病気や家族の死などに直面したときにしか神や宗教について考えない(242頁)。……しかし実は西欧の無神論はうわべだけのことで、ニュートンもアインシュタインも無神論者ではなかった(241~243頁:卓見ではないか)。

 ルディジェはまた、共産主義と自由民主主義という無神論的人間中心主義を否定し、さらにレイシズムやファシズムを否定しながら、

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