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又吉直樹『劇場』の中にいる人志松本と布施明

最後に泣ける達者な恋愛小説の「不覚感」

矢部万紀子 コラムニスト

又吉直樹『劇場』又吉直樹『劇場』になぜ泣かされてしまったのか
 又吉直樹の『劇場』を読んだ。「積木の部屋」だった。布施明の1974年のヒット曲。なぜかバッチリ覚えていて、読後、頭の中でヘビロテしている。

 ご存じない、またはお忘れのみなさまへ。歌いだしはこうです。

 「いつぅのまにか君とっ、暮らしはじめーていたー、西ぃ日だけが入るっ、狭い部屋でーふたりー」(句読点は息継ぎ)

 さびはこうです。

 「もしもどちらかっ、もおっと強い気持ちでっ、いたら愛は続いて、いたのかぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ」

 布施が高い声で力強く歌い上げる。男と女が出会い、暮らし、別れる。そういう昭和歌謡。

 『劇場』は、言うならそれだけの話だ。

 主人公は永田、売れない劇団「おろか」の主宰者で脚本家。沙希という女性と出会い、暮らし、別れる。以上、終わり。

 と書くと、「それはいかんよ」な感じで伝わってしまうかもしれないが、別にそういうふうに強く思ったわけではない。よくできていた。最後には、涙もこぼれた。不覚である。

うならされる表現に付箋を張っていったら…

 この「不覚感」についてはとりあえずおいておくとして、『劇場』は又吉が「恋愛小説」を書いたというのが最大のセールスポイントなのだろう。

 かけがえのない大切な誰かを想う、切なくも胸にせまる恋愛小説。帯にそう刷ってある。『火花』がお笑いの世界に生きる男同士、先輩と後輩の話だった。今回は堂々の恋愛小説。

 森鴎外がエリスと出会い、暮らし、別れたのが『舞姫』。明治の時代から、恋愛小説とは「積木の部屋」なのだろう。

 となると、問題はどんな「積木の部屋」をどんなふうに書くか、ということになる。

 森鴎外は「ドイツ留学」をベースにした部屋だった。異国情緒? 「坂の上の雲」な時代のエリートの屈折恋愛?

 又吉は「積木の部屋」をどんなふうに書いたか。「すべらない話」のように書いた――と思った。フジテレビで不定期にオンエアされる「人志松本のすべらない話」。これが『劇場』をけっこう形作っている。

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