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[書評]『風から水へ』

鈴木宏 著

中嶋 廣 編集者

出版の裏表を全部語る  

 これは「出版人に聞く」と題して、小田光雄がインタビューしたシリーズの特別版である。何が特別版かというと、とにかく微に入り細を穿(うが)って鈴木宏さんの35年を回想し、出版の内容だけでなく経営の全貌までを見せている。

『風から水へ——ある小出版社の三十五年』(鈴木宏 著 論創社) 定価:本体3000円+税『風から水へ――ある小出版社の三十五年』(鈴木宏 著 論創社) 定価:本体3000円+税
 この出版社は初め「書肆風の薔薇」を名乗り、途中で「水声社」と名を変えた。それでそれぞれ一字ずつ取って『風から水へ』というわけ。

 出版物の内容は「文学(広い意味で前衛的な)・芸術(これも広い意味で前衛的な)・人文科学とオカルティズム」であると、創業の挨拶文にある。

 出版に関しては、核心を非常にはっきりと述べている。

 「人間が人間になるためには、人間であるためには、『文学』が絶対に必要なのではないでしょうか。その意味では、『文学』は人間の条件です。『言語』『知性』『芸術』『遊び』『労働』『(生殖を目的としない)性欲』といったようなものが、人間と動物を分かつもの、人間の条件として考えられてきましたが、『文学』もまた人間の条件、非常に重要な条件のひとつなのではないでしょうか」

 これはなかなか立派なセリフである。

 著者は自分で出版社を作る前に、『幻想と怪奇』の雇われ編集者になり、そこが潰れたので、『幻想と怪奇』に用意しておいた「ボルヘス特集」を、自力で刊行しようとする。そのときの著者の意気ごみが面白い。

 「考えてみれば、多少とも客観的にみれば売れそうもないものを、売れそうだと思い込んでしまうというのは、私の場合、このときに限らず、その後もしばしば起こったことです。進歩がないと言えば言えますし、編集者の『宿命』と言えば言えるのかも知れません」

 これはもう、僕もまったくこの通りなのである。売れるに違いないと思いこむのは編集者の宿命、というか宿痾ですね。

 その後、鈴木宏さんは国書刊行会で編集の仕事をする。その内容は、小出版社ならみんなやっていることだ。

 「著者、訳者と企画の相談をし、会社に企画書めいたものを提出し、上司と話し合い、著者、訳者に原稿を依頼し、ときどき催促する。原稿ができあがれば、赤字で指定を入れて印刷所にまわす。装幀を依頼する。校正し、校了にし、見本をチェックする。これはこれで、もちろん面白かったし、……それはそれで『幸福』でした」

 本当に、僕にもこういう幸福な時期があったのだ。

 著者はここで『世界幻想文学大系』や『ゴシック叢書』を手がけることになる。『幻想文学大系』のブック・デザインは杉浦康平。それは最初に出会ったブック・デザイナーだった。著者はここで、もう出版の女神に魅入られている。

 「杉浦さんは、非常にはっきりしたポリシーをもった方で、いっさい(といっていいのかどうか分かりませんが)『妥協』ということをしない方でした。簡単に言うと、『私のプラン通りにやってください。無理なら、どなたか別の方に頼んで下さい』ということです。もちろん私は、杉浦さんの『造本』プラン通りにやりました」

 駆け出しで「造本」と「装幀」の区別もできない新米編集者の著者は、当代並ぶもののない超の付く一流デザイナーに、「それと明確に認識することもなく、『猪突猛進』の精神で」、15巻ものシリーズの「造本」を頼んだのである。これを、ただ幸運なだけの出会いとは呼ぶまい。たとえ駆け出しであろうと、著者は杉浦さんと15巻もの仕事をしたのだ。著者は杉浦さんに、編集者として選ばれたのである。

 並行して取りかかることになった『ゴシック叢書』は、装幀を加納光於に依頼した。駆け出し編集者には大きすぎる名前である。しかしこれも、いってみれば編集者として「コンビ」を組んで、装幀の仕事を成し遂げている。こういうことは、なんでもないことのように書かれているが、著者はこの段階で選ばれているのである。

 そしてかの『ラテンアメリカ文学叢書』に挑むことになる。

 「……六〇年代に欧米の読書界にときならぬ「ブーム」を巻き起こしたラテンアメリカの現代文学をある程度まとめて紹介しようとしたものです。その鼓直さんに編集責任者になっていただき、斎藤博士さんの翻訳によるボルヘス+ビオイ=カサーレス『ブストス=ドメックのクロニクル』を第一回配本、鼓直さんの翻訳によるカルペンテイエール『時との戦い』を第二回配本として、刊行を開始しました」

 この広告は今でも鮮明に蘇ってくる。僕はこの中ではコルタサル『遊戯の終り』、マヌエル・プイグ『リタ・ヘイワースの背信』、オクタビオ・パス『弓と竪琴』、カルロス・フエンテス『聖域』、ガルシア=マルケス『ママ・グランデの葬儀〛、マリオ・バルガス=リョサ『小犬たち/ボスたち』などを読んだ。

 これは毎月1冊刊行であったという。すべて本邦初訳でこのペースは信じられないが、しかしこれはという企画が燦然と輝くときにはこんなことも起こりうる。著者は大変ではあったものの(それは当然そうだろう)、紀田順一郎や荒俣宏らと企画を相談したり、訳者をお願いしたりするときは、とても楽しかったという。

 『ラテンアメリカ叢書』の装幀は中西夏之。中西は本の装幀はできない代わりに、1冊につき1点、ドゥローイングを提供するという。こういうことができれば、もう編集者としてはもって瞑すべしである。

 著者はその後、3人の先輩編集者に会ったことを思い出している。弓立社を立ち上げた宮下和夫、『現代思想』『エピステーメー』などを創刊し、最後は哲学書房によった中野幹隆、『パイデイア』の竹内書店から中央公論社、メタローグに移り、最後はフリーになった安原顕の3人である。この3人を挙げるところからして、著者は小出版社への道のりを、選んだのか、選ばれたのか……。

 そうして次に創業が来る。はじめ「書肆風の薔薇」と名乗り、途中で「水声社」と名前を変えた一出版社の来し方については、直接本文に当たられたい。小出版社のいろいろな出来事については、自分でも「トランスビュー」でやってきたことで、だからここでは意見を異にするところもあるし、諸手を挙げて賛成するところもある。

 それにしても出版は本当に大きな曲がり角にある。20年前、2兆6000億円あった売り上げは、2016年には1兆5000億円を切っている。もっとも、本当の危機は、売り上げではなく、本の中身の問題である。しかしこれは、また別に論じるべきものであろう。

 著者がここでいくつか論じている中で、目からウロコだったのは取次の問題である。1999年に、人文科学書を中心とする柳原書店が倒産する。2001年には岩波を中心として、人文書の主だったところと取引のあった鈴木書店が倒産する。そうして2015年には栗田出版販売が、2016年には太洋社がいけなくなる。二大取次のトーハン、日販も、売り上げは最盛期の6、7割だという。

 そこで著者は、根本的な疑問を出す。

 「そもそも、再販制度に『守られて』、戦後、数十年、いわば『発展しつづけてきた』取次が、なぜ倒産するのか。出版業に特有の『返品』のリスクはすべて出版社が負うわけであり、他業種にくらべればそう多くないとはいえ、一定のマージンが入ってくるはずの取次が、たとえ売上高が年々減少し続けているとはいえ、いったいなぜ倒産しなければならないのか」

 うーん、これはコロンブスの卵。そういえばマージンだけとっている取次が、出版社や書店を差し措いてなぜまっさきに潰れるのか(とはいえ続けて出版社も書店も先を争うように潰れているが)。

 「出版業界が今後とも『健全に』発展してゆくためには、倒産をなくすためには、倒産の『原因』が分からなくてはなりません。関係者が公けの場で、倒産の真の『原因』について、はっきりと発言してくれないことには、柳原書店の倒産、鈴木書店の倒産、栗田、太洋社の倒産が、業界全体の『経験』にならないのではないでしょうか」

 どうしてこんなことが、著者が問題にするまで分からなかったんだろう。それとも著者と僕が分からないだけで、みんなには分かっているんだろうか。

 そのほか、インターネット書店などについても論じられている。また製作原価や、印税、原稿料について、さらには制作費との絡みで人件費、在庫の考え方まで、問題にすべきことはすべて網羅している。その考え方を首肯するにせよ、疑問符をつけるにせよ、いま出版を考える上では、実に適切な書物なのである。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。