メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[1]コンビニだけでは健康的生活を支えられない

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

生鮮食料品の品揃えが増えたコンビニだが、ここだけで十分に栄養をまかなえるわけではないだろうコンビニも、生鮮食料品の品揃えは増えてきたが……
 いま、世の中はとても便利である。

 と、世間では言われているようだ。朝日新聞が9月に3回連載した「便利すぎる?社会」という記事をたまたま見つつ、私の視点から、「便利な社会」の裏面について記しておきたい。

買い物の不便を感じつつ生きる人がいる

 記事では、コンビニの数やその便利さが表(おもて)に出ていたように思う。もちろん、その負の側面も的確に指摘されていたが、コンビニが繁盛する一方で、世の中から、近年、人の生存の拠点となるはずの「商店」が、ことに飲食料品店が次々と姿を消しており、自分で「足」=クルマをもたない人たち(高齢者が圧倒的に多いが、それ以下の年代に属する人も少なくない)、つまりいわゆる「買い物難民」層にとっては、現在の世の中は不便きわまるということが、もっと自覚されるべきだと思う。

 買い物という、当たり前の行動に支障をきたす人が生まれたのは、歴史的に見て、未曽有のことである。

規制緩和・モータリゼーションの帰結

 それは1980~90年代以降に起きた。

 1982年、全国には約72.6万軒の飲食料品店があった。これは、直感的なイメージで言えば、ふつうの都市なら――少なくとも郊外に住むのでなければ――5分も歩けばたいていの商品が手に入ったということである。

 けれどもその頃、インフレ対策の一環として世界的に規制緩和の流れが作られており、日本ではこれが大店法(大規模小売店舗法)の緩和・廃止へ向けた流れとなった。大店法のためにアメリカの流通資本が日本の市場に入り込めないという、米政府が持ち出した真偽不明の理屈を真に受け(あるいはむしろこれを利用し)、80年代、日本政府は流通分野における規制緩和の方向に舵を切ったのである。

 その頃から飲食料品店数は減少し始めるが、90年には通産省(当時)の規制緩和に向けた省令が出され、その後、大店法自体が全面改定され、また改定大店法に基づく省令・通達が出されるに至る(この辺の事情は坂本秀夫『大型店出店調整問題』(信山社)に詳しい。なお当時から米政府の言い分を疑問視する声はあったが、30年近くがたって疑問の正しさが証明された。少なくとも飲食料品店を展開する流通資本についてみる限り、大規模店を次々に出店し地域を一変させたのは、ほとんど日本のそれであり、アメリカのそれは、西友を買収したウォルマートやコストコその他いくつかの例をのぞき、決して多くはない)。

 買い物難民層の出現には、市民側の事情も関係する。モータリゼーションが勢いを増し、80年代にクルマ(四輪)の保有台数は一家に1台に近づいていたが、90年代半ばには、1台を超えている。これは、事態を少々単純化して言えば、この頃に、家計収入のためにクルマを利用する以外に、買い物のために利用する市民が誕生したことを意味する。それに対応するかのように、80年代後半には、大型店に求められる「商業調整」を嫌った流通資本側が、都市計画法上の規制の及ばない郊外――同法上は市街化調整区域の場合が多い――に出店し始めている。

 これは一面では、バブル経済による地価高騰のあおりを避けるためであったが、90年代、バブル崩壊後も、じょじょに変化してきた消費者の買い物行動に合わせて、あるいはそれをさらに促進する方向で、郊外への出店が続けられた。じっさい郊外型店舗は、市街地の商店(街)と異なり、広い駐車場のおかげでクルマでの買い物客を広く集めることに成功した。

激減した飲食料品店

・・・ログインして読む
(残り:約1637文字/本文:約3080文字)