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[書評]『動物になって生きてみた』

チャールズ・フォスター 著 西田美緒子 訳

高橋伸児 編集者・WEBRONZA

人間が動物になったとき… 

 野生の動物でもそのへんのイヌやネコでも、いま彼らがじっと見ているものはどう映っているのか、何を考えているのか、昔から気になっていた。動物園で先方と目が合ったりすると、メンチ切り状態になってしまう。傑作『サルなりに思い出す事など』(みすず書房)の著者は「子どもの頃は……大きくなったらマウンテンゴリラになると思って」いたというから、その疑問を解く担い手になったかもしれないのだが、夢かなわず、結局ヒヒを研究対象にするにとどまったのは残念でならない。

『動物になって生きてみた』(チャールズ・フォスター 著 西田美緒子 訳 河出書房新社) 定価:本体1900円+税『動物になって生きてみた』(チャールズ・フォスター 著 西田美緒子 訳 河出書房新社) 定価:本体1900円+税
 本書の著者は、実際に「動物になる」(原題は『Being a Beast』)ことで、その謎を究明しようという。『動物記』のシートンも星野道夫も畑正憲もドリトル先生も、おそらくは誰も思いつかなかった英断である。「人々を笑わせ、考えさせてくれる研究」に与えられるノーベル賞のパロディー=イグノーベル賞の生物学賞(2016年)を受賞したのもうなづける。

 この奇特な人物は、ケンブリッジ大学で獣医学と法医学を学び、医療法と医療倫理の博士号を取得、獣医外科医でもあり、弁護士でもあり、旅行、哲学、法律などの著書があり、瞑想やシャーマニズムの修行もしたというが、幅が広すぎて、イメージがさっぱりわかない。訳者によれば、「ナチュラリスト」という肩書がふさわしいようだが、これもわかったようでわからない。とにかく変わった人であることは間違いない。

 さて、彼はどうやって「動物になった」のか。彼は、古代思想で4大元素とされた土、火、水、風に近い5種類の動物を選択する(この理由もわかったようでわからない)。「土」はアナグマとアカシカ、「火」はキツネ、「水」はカワウソ、「風」はアマツバメ。こうした動物に「なる」ことで知りたいのは、彼らの視覚や嗅覚、聴覚、味覚などであり、意識、認識である。

 イギリスはウェールズの丘に巣穴を掘り、アナグマのように暮らしてみる(しかも自分の息子と!)。最初は視野が狭くなることに恐怖を感じたというが(人間は視覚第一の生き物ということだろう)、それも慣れる。外に出るときも、四つ足ではいつくばり、ミミズを食べ、道路でぺちゃんこになったリスをひっぱがす。カワウソのように(さすがにウエットスーツを着るが)川を泳ぎ、食べるものを探し、脱糞する。ハンターの銃口や猟犬を恐れながら、シカとともに荒野に出る。ロンドンの街頭をうろつくキツネと同じく生ゴミをあさり、視覚や聴覚を総動員して、ネズミをつかまえようとする(当然失敗を重ねる)。さすがに自力では無理なのでパラシュートで空中高く飛び、自宅に来たツバメを追ってアフリカまで行く。

 森の中で放尿してマーキングしたり、ミミズをかじるぐらいならまだしも(?)、公園や建物の裏庭で寝たり、汚い格好で、捨てられたピザを鼻でひっくり返したりするわけだから、傍から見たら奇人変人にしか見えず、見つけられた人に説明するのはかなり面倒だったようだ(当然だが)。しかも1日、2日ではない。何カ月も実践するのだ。

 そうした“動物化”していく描写と、動物に対する知見が並行する。カワウソは著者の体重に換算すると、ビッグマックを1日88個食べないといけないぐらい代謝量が多く、それもあって一生の4分の3は寝ているといった類いのものだ。これがまた楽しい。そこに博覧強記を踏まえた独特の言い回しと、イギリス人らしい諧謔、風刺的表現、難解な隠喩が頻出して、時々つっかえてしまうが、それも彼の「奇行」の魅惑的なエピソードの数々でカバーされる。

 動物の地べたに近い目線から見ると、どれだけ世界が違うか。だが、人間の視覚はアナグマにとっての嗅覚であり、嗅覚こそが「風景」だという。だからアナグマになると嗅覚が鋭敏になり、いままで感じなかった匂いが識別できる。身体も変化する。動きやすいよう、アキレス腱が伸びる。歩きやすいような手の位置にタコができる。20分も先に巣穴から出て行った息子の跡をたどれるようになる。とても聞こえなかった自然界の音が判別できるようになる。

 驚異である。人間の身体や感覚の可能性は無限なのか。こう書くと、テクノロジーに依存する都市生活者は五感を鈍らせている、人間の眠ったままのキャパシティを研ぎ澄ますべき、といった教訓めいたメッセージを本書から受け取る向きもあるかもしれない。

 だが、本書のキモはそこだけではない。そもそも人間の視覚や聴覚などは他の動物と比べても優れているところが多々あるというし、著者の眼目は、人間と動物との感覚と認識を再発見することで、お互いのつながりの問い直しにあることがわかってくるからだ。

 自分がなってみた動物たちがいまも狩りをしていたり、眠っていたりすることを「知っているだけで……安らぎを与えてくれる」。それは本来の意味で、人間との関係性を問うことにつながるだろう。「キツネやアナグマほど自分とは異なるものと関係を築くことができるなら、私の妻や子どもたちや親友のことをわかる可能性がある」と著者は言う。とても常人が真似できない体験ののちの、「わかる可能性がある」とはあまりに重い。だが、希望の言葉でもある。「動物になって生きる」の「動物」とは、「人間」も含むのだということに、読み終わってやっと気づく。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。