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[書評]『うしろめたさの人類学』

松村圭一郎 著

渡部朝香 出版社社員

感情は、ここにある。お金や国は、どこにある?

 編集の仕事をしながら、いつもどこかで「うしろめたさ」を感じている。出版の原点は、誰かの言葉を多くの人に伝えたいという思いなのに、本に値段をつけて商品にすることで、さまざまなものを閉ざしてしまう。おまけに、苦労して書くのは自分ではない。さらには、環境に負荷をかけて製造する大量生産品だったりもする。よきことをめざして仕事をしたいのに、矛盾がある。でも、そのことに蓋をするようにして、わたしは日々、働いている。

 そんな思いを言いあてられたような書名にどきりとしながら、本書を手にとった。

『うしろめたさの人類学』(松村圭一郎 著 ミシマ社) 定価:本体1700円+税『うしろめたさの人類学』(松村圭一郎 著 ミシマ社) 定価:本体1700円+税
 学生時代から20年近くエチオピアと日本を行き来している人類学者の松村圭一郎さんは、エチオピアでの物乞いとのやりとりから、「うしろめたさ」について考えた。

 日本人は物乞いにお金を与えることに抵抗を感じてしまう。お金をただあげると(「贈与」すると)、それによって生じる感情を引き受けねばならない。重たい。あるいは、なにかに支払うのでなくお金をあげるのは、どうも落ちつかない。お金は「交換」するものだから。

 こうして、多くの日本人はなにもあげないことを選ぶ。いっぽう、エチオピアの人びとは、よく物乞いにお金を渡している。わたしたちは、いかに交換のモードに縛られ、共感を抑えこんでいるのか。それによって、たんに彼らよりも不当に豊かだという「うしろめたさ」を覆い隠しているのではないか。

 以来、松村さんは、お金をどこかに漏らすように、小銭を誰かに渡すようになったという。

 「それは『貧しい人のために』とか、『助けたい』という気持ちからではない。あくまでも自分が彼らより安定した生活を享受できているという、圧倒的な格差への『うしろめたさ』でしかない」「この違いはとても大きい。善意の前者は相手を貶め、自責の後者は相手を畏れる」

 現地の人を前に湧きあがった「うしろめたさ」に、松村さんは断絶された世界をつなげなおすヒントを見いだした。そして、エチオピアで感じた「ずれ」や「違和感」を手がかりに考察を深め、わたしたちのあたりまえを、揺さぶり、解きほぐしていく。

 たとえば、エチオピアの人びとの激しく、ときに鬱陶しいほどの感情の応酬から、気づかされる。日本社会では、みな、なんて波風を立てないように暮らし、感情をコントロールしているのだろう。

 「ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす『権力』や『構造』、『制度』といったものは、とても巨大で強力だけれども、まずはすべてをその『せい』にすることをやめてみる」

 「いったい、ぼくらはどうしたら『社会→世界』の構築に参画できるのか?」「でも、なんとかこの山の峠を越えて、その向こうに広がる景色を観てみたい。そんな気分になってしまったのだから、仕方がない」

 あたりまえと思っている現実が、あたりまえでないと気づいてしまったら、こうではない、べつの世界を求めずにはいられない。

 松村さんは、「わたし」が「世界」を揺さぶるために、さらに、「国家」と「市場」を問う。

 エチオピアでは、関係性によって呼び名が変わるし、子どものときからの名前とはべつに、大人になってからつけられる名前もある。たった1つの正しい名前なんてない。名前、あるいは結婚、それらを制度化する戸籍制度など、日本社会では国家による管理がどれほど人びとに内面化されているかが、エチオピアから照らしだされていく。

 「国家と密着するのが『あたりまえ』になると、自由に息を吸うことがどんな感覚だったのかさえ忘れてしまう。そう、だから『スキマ』が必要なのだ」

 とはいえ、ことは簡単ではない。

 「どこかに諸悪の根源があって、それを取り除けばすべてがうまくいく、なんてことはない。すべての問題を最終的に解決できる力や手段があるわけでもない」

 最後の章で、松村さんは、先進国から途上国への贈与である「援助」に目を向ける。そこには、政治と経済の明らかな癒着がある。だが、現地の人たちは、売却禁止の支援物資を、交換したり、消費したり、穀物から酒を醸造して宴を催したりする。国家や市場の思惑が、個人のささやかな行為のなかで解消されるのだ。

 あらためて気づかされる。わたしたちは現在の経済システムや国家といった神話を生きることで、目の前にある、悲しんだり怒ったりするべき事柄について、「しかたがない」と見ないようにしているのではないか。でも、それは、ほんとうに「しかたがない」のだろうか。

 松村さんは、ざわつく「うしろめたさ」の感覚をたいせつに、あたりまえとされている既存のルールではなく、共感などの感情をベースに、世界を揺さぶる行為へと、わたしたちを煽動する。短文がリズミカルに連なり、やわらかで具体的で、ときにユーモラスな文体は、この本の決定的な魅力だ。語りのような文体が、静かに、強く、再考を促す。

 そう、仕事からだって、世界は変えられる。

 「誰になにを贈るために働いているのか。まずはそれを意識することから始める。『贈り先』が意識できない仕事であれば、たぶん立ち止まったほうがいい」

 蛇足ながら、それにしても、アフリカだ、と思った。昨年(2016年)は、小川さやかさんの『「その日暮らし」の人類学――もう一つの資本主義経済』(光文社新書)が話題を呼び、今年は、雑誌『思想』『WIRED』が立て続けにアフリカを特集。そうしたものを読んでいるうちに、この『うしろめたさの人類学』に出会った。搾取でも理想の投影でもなく、いまのアフリカにむきあい、そこから新しい未来を模索する試みが、あちこちではじまっている。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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