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言ってよい「死ね」、悪い「死ね」はあるのか

誰もが短く強い言葉で批判、罵倒、鎮圧しようとする社会で

香山リカ 精神科医、立教大学現代心理学部教授

「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した書き込みが話題になったブログ2016年に話題となった「保育園落ちた日本死ね!!!」と題したブログ

切羽詰まった人たちが現れ始めた

 2013年4月8日、イギリスのサッチャー元首相が死去したことを受けてイギリスの各地でその「死を祝う集会」が行われたことは、日本の新聞などはほとんど取り上げなかったがイギリスのメディアが伝えネットで話題になった。プラカードを掲げ、シャンパンを抜き、輪になって踊りながら大喜びする人たち。サッチャー元首相が強引な経済政策を進めた結果、所得格差が広がり失業する若者が激増したことなどが理由であるが、誰かが死去すると冥福を祈り功績を讃える文化になれ親しんできた私は、その写真に正直言って違和感を覚えた。

 しかしそれから約3年後の2016年11月25日、キューバのカストロ議長が死去し、アメリカのフロリダ州マイアミで数千人もの亡命キューバ人たちが「独裁者、悪魔が死んだ。すばらしいことだ」と歓喜の声を上げたことは、朝日新聞も伝えている。私もそのときは「反米の英雄」とされたカストロ議長だが、一部の人々にとっては自由を奪う圧政の独裁者だったのだと感慨を深くし、喜び踊る人たちの心中を思いやった。

 前年の2015年には100万人を超えるシリア難民が国を離れ、カストロ議長逝去の直前、2016年11月8日には米大統領選で共和党のトランプ候補が勝利を収めていた。多くの人の命が脅かされ、世界のさらなる混乱が予測される中では、一概に「死者を敬え。死を喜ぶのは不謹慎」とも言っていられない、と私の、そして世間の感覚が変化したのかもしれない。

 日本でも、育児休暇から復職しようとした女性が「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名のブログで「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ」とストレートに怒りを表明し、多数の賛同の声とともに大きな注目を集めたのは2016年2月のことであった。

 いささか乱暴なくくりかもしれないが、世界でも日本でも「人の死を喜ぶな」「『死ね』などと言ってはいけない」といった“悠長なこと”は言っていられないほど切羽詰まっている状況や人たちが現れ始めたのが、ちょうどサッチャー逝去つまり2013年以降なのではないだろうか。

相手が言い返せないことを見越して言い放つ人たち

 しかし、実は表現としての「死ね」は、それ以前からある場所であふれていた。

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