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有働由美子はアナウンサー界の「不良」である

「女子アナ」イメージに抵抗する「ジャーナリスト宣言」

太田省一 社会学者

見送りに出た有働由美子アナウンサーと記念撮影するNHKの籾井勝人会長=東京・渋谷のNHK放送センター問題発言でたびたび物議を醸したNHKの籾井勝人会長(当時)の退任に際し、記念撮影をする有働由美子さん=2017年1月
 有働由美子は面白い。NHK『あさイチ』で見せた姿もそうだが、なによりも生き方が面白い。そう感じる理由を、これからアナウンサーの歴史とも絡めながらちょっと考えてみたい。

 番組が好評だっただけに『あさイチ』の降板も驚いたが、その後の「フリー宣言」(某局に早速出演するという情報もあるようだが)にはさらに驚かされた。『NHKスペシャル』から『NHK紅白歌合戦』まで硬軟さまざまな看板番組の司会を務めた経歴から、将来はNHKの重鎮として“局アナ道”をまっとうするのだろうと、なんとなく思い込んでいたからである。

 局アナがフリーになると、たいがいまずお金の話になる。収入がけた違いに増えるとか具体的な数字入りでまことしやかな記事が出る。有働由美子も例外ではない。ただ、個人的な印象では、そうした意味でのステータスのアップが最大の理由ではなさそうに見える。

羽生結弦さん。有働由美子アナウンサーからインタビューを受けた。左はお笑い芸人の又吉直樹さ2015年の紅白歌合戦で。ゲスト審査員の羽生結弦選手(中)、又吉直樹さんと

アナウンサーがフリーになるとは?

 では、そもそもどんなアナウンサーがフリーになるのか?

 大前提として人気がなければそういう話にはなりにくいだろう。しかし、たとえばTBSの安住紳一郎のように、人気・実力とも申し分ないアナウンサーでフリーにならないひともいる。そういう意味では、ひとそれぞれと言うしかない。とすれば、重要なのはそのひとの個性、生き方なのだろう。

 局アナのフリー転身はテレビの草創期から始まっていて、その歴史は意外に長い。その中心にいたのはやはりNHKである。古くは高橋圭三、木島則夫、小川宏など、1960年代からNHKの男性局アナがフリーになるケースは少なくない。1970年代から80年代にかけては、TBSの久米宏やテレビ朝日の古舘伊知郎など大物民放アナのフリー転身も相次いだ。現在もNHK、民放問わずそうした例は枚挙に暇がない。

 これら男性アナウンサーに対して、女性アナウンサーのフリー転身も同じくらいの時期からあった。

“プラスなにか”を備えた野際陽子

 昨年2017年に亡くなった女優の野際陽子は、そのパイオニア的存在である。1958年にNHKのアナウンサーとなった野際は、1962年にフリーになっている。その間、朝のワイド番組の草分けでもあるNHK『おはようみなさん』の司会などを担当した。そのあたり、有働由美子に似ているとも言える。

アナウンサーの野際陽子さんNHKを辞めてフリーになった頃の野際陽子さん=1962年
 野際は、一風変わったアナウンサーだった。さわやかさが求められる朝の『おはようみなさん』でもどこか投げやりに見えるところがあった。だがハスキーな声と相まって、それが「ニヒルな個性」として魅力になり、人気を得た(白井隆二『テレビ創世記』)。

 そうした魅力を「不良性」と表現した当時の関係者がいた。その人物によれば、NHKで教育を受けたアナウンサーたちは技術的には立派だが、フリーになって成功するにはそれプラスなにかがなくては駄目である。その“プラスなにか”として大事なのが不良性であり、野際陽子もそれを備えたひとりだと言うのである(同書)。

 もちろん、ここで言われている「不良」とは、単なる素行が悪いひととは違うだろう。いわば、組織のルールや社会通念に唯々諾々と従うのではなく、そこにまずひとりの個人として向き合う姿勢を崩さないひとのことだ。

 野際陽子には、新人局アナ時代のこんなエピソードがある。昭和30年代の当時、お茶くみは女性の役割という考え方はいまよりもはるかに根強かった。しかし野際は、この習慣をきっぱりと無視した。ほかの女性がお茶くみをしていても、いっさい関わろうとしなかった。そのことでたとえ女性の同僚から陰口をたたかれても、その態度は変わることはなかったという(同書)。

「わき汗論争」と不良性

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