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[書評]『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』

宮崎賢太郎 著

小木田順子 編集者・幻冬舎

これぞ「教養書」の本領発揮

 長崎を初めて訪れたのは2014年の3月。1980年代のさだまさしファンとしては一度は……と軽い気持ちで訪れ、行ってみて気がついたのが、ここはキリシタンの地であるということ。街のあちこちに、教会、そしてキリスト教ゆかりの史跡がある。大浦天主堂を訪れたときには、開国後の1865年、完成したばかりのこの教会で、禁教下で信仰を守ってきた信徒がフランス人神父に信仰を告白するという出来事があったことを初めて知った。この「信徒発見」は、宗教史上の奇跡とも称されているということで、感銘を受けた。

 二度目に訪れたのは2017年1月。たまたま、遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督による映画『沈黙』が日本で公開されたときだった。すっかり中身を忘れていた『沈黙』を再読して予習し、「トモギ村」のモデルと言われる外海地区に建てられた遠藤周作文学館を訪れ、角力灘の絶景を眺めながら、その世界にどっぷり浸った。

 前年の秋には、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産候補として推薦されていたことを、これまた、そのとき初めて知る。なぜ「隠れキリシタン」でなく「潜伏キリシタン」なのか。学術的には「隠れキリシタン」ではなく「カクレキリシタン」「かくれキリシタン」と記されるようになってきたのはなぜなのか。そういったことを、文学館ほか訪れた先の展示物で断片的に知り、かつて自分が学んだ日本史の教科書とはもういろいろ違うんだなと思っていた。

 そして今年、出会ったのが本書だ。

『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(宮崎賢太郎 著 KADOKAWA)定価:1700円+税『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(宮崎賢太郎 著 KADOKAWA) 定価:1700円+税
 本書はまず言葉の整理から始まる。1549年に日本に伝来したキリスト教は、1614年には禁教令が出され、1644年には最後の宣教師が殉教。以後約250年間に及ぶ、信徒だけの潜伏の時代に入る。この時代に、「仏教を隠れ蓑として秘かにキリシタンの信仰を守り通した」人々が、これまで一般的には「隠れキリシタン」と呼ばれてきた。

 明治になって禁教令が撤廃された1873年以降、「隠れキリシタン」だった人々は、新たにつくられたキリスト教会に帰属し、「復活キリシタン」となった。

 だが、教会に属することなく、潜伏時代の信仰を続ける人々もいた。その信仰は、わずかではあるが、長崎市郊外や五島列島に今も残っている。従来はこれらの人々も「隠れキリシタン」と呼ばれてきたが、彼らはもう隠れているわけではない。そこで、潜伏時代の信徒は「潜伏キリシタン」と呼び、禁教令撤廃後も教会に属さずそれまでの信仰を続けてきた信徒は「カクレキリシタン」と呼ぶのが適当である、と著者は言う。世界遺産の名称が「潜伏キリシタン」となっているのも、これと同じ考えに依るのだろう。

 このような言葉の整理だけでも、私にはかなり新鮮だったのだが、さらに興味をそそられたのは、「潜伏キリシタン」も「カクレキリシタン」も、キリスト教信仰ではないという、著者の見解だ。

 16世紀後半、日本では大名から庶民まで30万~40万人がキリスト教に改宗したと言われている。しかし、その多くは、領主の改宗にしたがって強制的に集団改宗させられたものだった。当時日本を訪れていた宣教師はほとんど日本語ができず、日本語で記された教義の解説書も抽象的概念はスペイン語、ポルトガル語などの原語で記されていた。としたら、文字も読めない庶民が果たして、一神教における神の概念や三位一体の教理を理解できたのだろうか? 分かっていないとして、それでも彼らはキリスト教に改宗したと言えるのだろうか? 言われてみれば、ごく自然な疑問だ。

 そして、指導する立場の宣教師すらいなくなった潜伏時代。潜伏キリシタンには、「あんめん」(アーメン)、「じんす」(イエズス)、「丸やさま」(マリヤ様)という、キリスト教の言葉が入った祈りの言葉(オラショ)が受け継がれていた。それは外形的には確かにキリスト教だ。だが、人々が、イエスの存在もマリアの存在も知らず、先祖から伝えられた呪文として、五穀豊穣や無病息災のために唱えていたなら、それはキリスト教信仰と言えるのだろうか?

 著者は30年にわたり、「カクレキリシタン」のフィールドワークも行っている。本書には、著者が取材した、あるカクレキリシタンの家の祭壇の写真が紹介されている。それは「お大師棚」「仏壇」「神棚」「カクレ祭壇」が並ぶものだった。江戸時代から、彼らは寺の檀家であり神社の氏子だったが、それは決してカムフラージュではなかった。カクレ信仰は、神仏信仰に付け加わる、家や地域に伝わるもうひとつの信仰だった。

 つまり、潜伏キリシタンもカクレキリシタンも、仏教や神道を隠れ蓑にしていたわけではなく、キリスト教を信仰し続けたわけでもない。著者は「隠れキリシタン」という語を解体しただけでなく、そこに必ず付いてまわる「迫害されても仏教を隠れ蓑として秘かにキリシタンの信仰を守り通した」という、定番のロマンチック・ストーリーも、解体してしまったのだ。

 それだけではない。1865年の「信徒発見」の奇跡についても、きわめて勇気ある、しかし、指摘されてみればごくごく納得できる推理が展開される。250年の迫害を生き延び、「ここにいる私たちはあなたさまと同じ心の者です」と初対面の外国人神父に告白できる、その後の日本におけるキリスト教再生の鑑となるような信徒は、果たして存在し得たのだろうか?

 これでは世界遺産のロマンもあったもんじゃない、営業妨害だ。長崎の観光関係者が本書を読んだらそう思うかもしれない。殉教者の悲劇に彩られた、ステレオタイプ化したキリシタン史を見直すことが本書の目的であるとは、著者自らが述べていることでもある。

 たしかに、私が大浦天主堂で「信徒発見」のエピソードを知ったときの感激も、『沈黙』の舞台を訪れた際の感激も、本書を読んだことで、かなり色合いは変わった。だが、それは私にとってまったく興醒めなことではない。長崎を訪れて得た断片的な知識や素朴な疑問は、本書を読むことで、点と線がつながり、ひとつの見取り図となった。

 そして、もう一度長崎に行きたい、とりわけ、もうすぐ世界遺産に登録される五島列島を訪れたいと、今強く思う。見取り図を手にして、今度はもっと多くのものを見て感じとることができるはずだ。

 著者のフィールドワークをまとめた『カクレキリシタン――現代に生きる民俗信仰』(角川ソフィア文庫)という本も読みたいし、遠藤周作氏の『切支丹の里』(中公文庫)という紀行作品も、最近出たばかりの『消された信仰 「最後のかくれキリシタン」――長崎・生月島の人々』(広野真嗣、小学館)というノンフィクションも……と、本書がきっかけとなって、読みたい本も芋づる式に出てきている。

 ライフネット生命の創業者で、今は立命館アジア太平洋大学(APU)学長である出口治明さんは「教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです」「教養を培ってくれるのは本・人・旅の3つです」と著書で述べている。

 出口さんの言葉どおり、長崎への旅と本書との出会いによって、キリシタンの歴史という、それまでの私の実生活に何の接点もなかったテーマが、新たな好奇心の鉱脈になった。これぞ教養。人文知の力。ビジネス書にも自己啓発書にもできない、「教養書」によってしか得られない果実をもたらしてくれた本書と出会えたのは、本当に幸せなことだった。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。