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[書評]『宮本常一を旅する』

木村哲也 著

西 浩孝 編集者

学問は遊びから生まれる

 著者の第1作『『忘れられた日本人』の舞台を旅する――宮本常一の軌跡』(河出書房新社、2006年)には驚かされた。「旅する巨人」とも称される民俗学者・宮本常一(1907―1981)の代表作『忘れられた日本人』(未來社、1960年/岩波文庫、1984年)の舞台となったすべての土地を宮本と同じように歩いて回り、しかも二度三度と訪ねて当時を知る関係者に話を聞いた旅の記録である。平易な叙述、いきいきとした文体、全編にみなぎる好奇心。宮本常一そのひとを彷彿させた。1971年生まれ。こんな人がいるのか? この本と出会ったときのよろこびは忘れられない。

 それから10年あまり。本書もまた宮本常一の足跡をたどりながら、前著とは異なる興奮に読者をいざなってくれる。

『宮本常一を旅する』(木村哲也 著 河出書房新社)定価:本体2000円+税『宮本常一を旅する』(木村哲也 著 河出書房新社) 定価:本体2000円+税
 全16章、北は北海道利尻島から南は沖縄県宮古島まで、対象は日本列島全域に及ぶ。構成が秀逸だ。「I 非農業民へのまなざし」「II 瀬戸内海の多様性」「III 離島振興の冒険」「IV 写真という方法」「V 観光文化を語る」「VI 「日本文化論」への挑戦」から成る。宮本が生涯をかけて挑んだテーマがはっきりと浮かんでくる。

 宮本が成し遂げた、あるいは果たそうとして叶わなかったことは何か。それを探るために、目次を一瞥するだけでは脈絡のないように思える各調査地も、明確な意図をもって選ばれている。たとえば宮本がもっとも多く旅した地域(新潟県佐渡)を取り上げると同時に、一度も訪ねることのなかった場所(高知県沖の島)に着目する。あるいは「周防大島(山口県)の百姓」を自称し、西日本に立脚して思考を重ねたと思われている宮本の「北」への視点をあぶり出すべく、ひとつひとつの土地を単独で歩くのではなくして、山形県酒田、秋田県角館、青森県津軽半島・下北半島、岩手県遠野、宮城県気仙大島、福島県浜通りと、東北地方におけるゆかりの要所をひとめぐりする、といったぐあいである。

 本書の旅は1990年代の半ばから現在にかけて、足かけ20年にわたっておこなわれたようだが、これらがみな宮本が残した膨大な著作群を読み込んだうえでなされていることに注目すべきだろう。

 一例をあげると、著者は宮本が戦前に高知県月灘村(現・大月町)から投函したというハガキを手がかりに当地のサンゴ漁について追っているが、ここでいかにもあっさりと言及されているハガキの内容は、じつは著作集や単行本には収録されておらず、それ以外の関連文献に広く当たることなしには知ることのできないものだ。宮本がついに作品化することのなかった調査や断簡零墨にまで目を配る、緻密な資料探索が歩くことを支えている。そのことが記述の端々からうかがえる。

 このような周到な準備のもとに時間をかけて書き上げられた本書は、数々の発見と明察に満ちている。「山奥の秘境」の暮らしが、養蚕、馬の飼育、焼畑、木挽き、狩猟、川漁と想像を超える豊かさをもつこと。「陸の孤島」「絶海の孤島」と言われる土地が、海を介し産業を通して広く日本列島の他地域や世界の国々とつながっており、ある時期まではむしろ先進的であったこと。著者は宮本とともに、「あるく・みる・きく」という方法で、埋もれていた記憶を掘り起こし、支配的言説を問い直し、私たちが疑うことなく抱いている「常識」や「価値観」を見事にくつがえしていく。歴史の塗り替えである。

 古老の話を聞いたり、民具を収集したり、伝統芸能を記録したりすることだけが民俗学ではないとも知らされる。宮本は離島振興に情熱を傾けたが、みずからを「伝書鳩」に例え、旅で得た見聞を島の人たちに惜しみなく伝えた。牛の飼料の改良やイネの肥料の使い方、現金収入を得る方法としての特産品栽培など、その提言は土地固有の条件を考慮したもので、具体的かつ実際的だ。「法ができたから島がよくなるのではない。島がよくなろうとする時、法が生きるのである」。離島振興法の制定(1953年)を受けての発言だが、住民の主体性を尊重する宮本の姿勢があらわれている。

 宮本は「当たり前のもの」「人々があまり気にとめないもの」にまなざしを注いだ。文章だけでなく、10万枚にものぼる写真がそれを示す。他の人が「何でもなくつまらない」と考えるものでも、そこに「人間の営みがある」と思えば、「見のがすことができない」でシャッターを切った。宮本の写真を「懐古趣味」で愛でる向きがあるが、宮本は「懐かしさ」ではなく「現在」をこそ切り取っていたのだとする著者の指摘は重要である。

 宮本常一という存在を「過去」に閉じ込めずに「未来」へと開いていこうとする態度は、本書において一貫している。宮本の業績を顕彰することはある意味では簡単だが、大切なのはその精神を今に生きることではないか。そんなメッセージも感じるのである。

 本書のあとがきで、著者はこう述べている。「学問は遊びから生まれる」。この言葉は「役に立つ学問」が求められる昨今の風潮に対する強烈な批判だ。短期的な成果主義や研究予算の削減により疲弊する大学の外側で、こんなにも伸びやかに学問に取り組んでいる人がいるという事実は痛快でもある。

 古今東西、独創的な学問はつねに遊びから生まれた。この本はまさに「遊びとしての学問」の実践であると言っていい。宮本常一の魅力、旅の醍醐味、学問のおもしろさを、豊富な話題と視角から思う存分に教えてくれる1冊である。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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