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[書評]『編集者 漱石』

長谷川郁夫 著

中嶋 廣 編集者

全体像が初めて顕わに

 この本は、この著者にして初めて書けたもの、という感がある。小沢書店を30年近く経営し、転じて『美酒と革嚢――第一書房・長谷川巳之吉』(河出書房新社)『吉田健一』(新潮社)を著した人は、また2010年、日本編集者学会を発足させ、自ら初代会長に就いた。

『編集者 漱石』(長谷川郁夫 著 新潮社)定価:本体3500円+税『編集者 漱石』(長谷川郁夫 著 新潮社) 定価:本体3500円+税
 そうして漱石を見れば、長谷川郁夫さんだけが、透徹して彼を見ることのできる場所にあったということだ。漱石はこれまで作家という位置、文豪という位置に収まりかえっていた。そこに編集者という光を当ててみれば、まったく違った光景が見えてくる。「すぐれた文学者は、誰れもが自らのうちに編集という機能を備えている」という冒頭の言が、骨の髄まで分かっているのは、実に長谷川さんしかいなかったのである。

 「私が見るところ、日本の近代文学において最初の、そして最高の文学者=編集者は夏目漱石である」

 長谷川さんはこう書く。漱石は本の形態を近代化した。それまで寝かせていた本を、縦に並べ、束を出し、背に文字を入れた。わが国最初の装幀家、橋口五葉を見出し育てたのは漱石である。

 彼のところに出入りしたのはざっと数え上げても、小宮豊隆、寺田寅彦、安倍能成、中勘助、野上豊一郎、鈴木三重吉、伊藤左千夫、長塚節、志賀直哉、武者小路実篤、芥川龍之介、菊池寛……。

 それだけではない。漱石は朝日新聞文藝欄の最終責任者に就任する。朝日新聞社史は「以後、この欄の評論、小説、読み物の選定はすべて漱石に一任された」と書く。しかしこれは、さらりと1行で書いてすまされることではない。例えば漱石は、文学的立場を異にする森鷗外や永井荷風、島崎藤村までを連載小説に起用する。のみならず、漱石と鋭く対立していた自然主義の作家でさえ登用している。

 作家だけではない。随筆、評論、読み物、等々はすべて漱石が差配するのであり、漱石門下およびその知り合いは総動員である。その際の漱石の動機は、文壇の党派性ではなく、ただオリジナリティーと文章の力のみであった。

 しかしそもそも、なぜ突然、漱石に「編集者」という存在が胚胎したのだろうか。長谷川さんは、そのもとを正岡子規に求めている。詩人の平出隆さんが「編集少年・正岡子規」という展示を企画したのを聞いたとき、「瞬時に子規が漱石の内面に潜んでいた編集機能を目覚めさせたのだと直覚した」。

 正岡子規は「回覧雑誌の制作に熱中する、早熟な“編集少年”だった。/最初の制作は『櫻亭雑誌』。明治十二年の四月二十四日(推定)に第一号が、以後毎週木曜日に発行された」。子規はこのとき勝山学校の最終学年、12歳ころであった。この歳で毎週木曜日に雑誌を発行する――確かに早熟の天才とはいるものなのだ。

 けれども子規は、志なかばで結核に倒れてしまう。このとき長谷川さんの言う「無意識の触手の結合」が、子規と漱石の間に起こった。

 漱石は英国留学直前に子規を訪ねる。漱石も子規も、これが今生の別れであることを覚悟している。「この日、どんな言葉が交されようとも、無意識の触手が静かに絡み合っていたことだろう。『半死』の子規の『霊魂』が漱石の無意識にしっかり摑まれた様子が、私には想像されるのである。子規が黙ったまま頷いて、その表情が緩む一瞬までが確認される気がする。……子規の魂は漱石の意識の深層に宿る」。長谷川さんの創作とも見まごう、しかし見事な文章創造である。

 漱石が死んでおよそ100年、長谷川さんが出てくるまでは、その全体像はわからなかった。考えてみれば、これもにわかには信じられないことである。けれども編集者にして作家であるということを、とことん突き詰めて考えることができたのは、長谷川さん以外にはいないということだ。

 たとえば今、『吾輩は猫である』が誕生する瞬間を、虚子と漱石の心理を題材にして、長谷川さんの叙述を見ておこう。

 「……虚子が編集者の役割を見事にこなして、漱石は発見されたのである。漱石の精神状態を読んでタイミングを図った、虚子の を褒めるべきだろう。『今迄山会で見た多くの文章とは全く趣きを異にしたものであつたので少し見当がつき兼ねた』とあったところに、編集者としての喜びと同時に、不安と緊張が表現されている」

 私はもう編集者の立場を離れて久しいが、こういうところに来ると、思わず手に汗を握りたくなる、膝が震えてくる。

 しかし長谷川さんは名うての編集者であると同時に、超一流の著者でもある。するとどういうふうになるか。「漱石の方でも、身は緊張につつまれて、眼差しだけが自作の原稿を捲る虚子の指先を注視していたことと想像される」。長谷川さんは、漱石に乗り慿る。漱石の視線が、長谷川さんの視線にぴたりと重なり合う。

 私は『編集者 漱石』を、ただ夢中で読んだ。我を忘れて、夜がすっかり明けるのもまったく知らなかった。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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