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[書評]『民主主義の死に方』

スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット 著 濱野大道 訳 池上彰 解説

堀 由紀子 編集者・KADOKAWA

推理小説を読むように民主主義の本質を知る 

 少し前の休日、買い物でもしようかと駅ビルにぶらぶらと向かっていたところ、ふだんはのんびりした駅前が物々しい雰囲気に包まれているのに気づいた。100人はゆうに超える警察官、バリケード、プラカードを持ったたくさんの人……。近づくと、広場の一角を「日本第一」を謳う人たちが陣取り、「ヘイトスピーチはいらない」と主張する人々が取り巻いていた。なじみ深い場所でのできごとに呆然とした。

 世界に目を向ければ、「自国ファースト」を掲げる政党が躍進した、というニュースが飛び交っている。アメリカも2016年に「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ氏が大統領となり、ドイツやスウェーデン、フランスなどでも自国ファーストを掲げる政党が躍進している。政党のトップに立つのは、排外的な主張を繰り返すカリスマ的な人物だ。

 民主主義が成熟した社会で、なぜ彼らは支持されるのだろう。報道の自由を弾圧し、要職者を簡単にクビにするような人物がなぜトップに立っていられるのだろう。なぜ、なぜ、なぜ……?

 そんなとき、目に飛び込んできたのが本書だ。著者の2人は15年来の同僚で、ヒトラーが台頭した1930年代のヨーロッパや、軍事政権が次々に誕生した1970年代の南米など、世界各地に出現した独裁政治の形について調べ、民主主義がどのように、なぜ崩壊するのかを研究してきたという。

『民主主義の死に方――二極化する政治が招く独裁への道』(スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット 著 濱野大道 訳 池上彰 解説 新潮社)定価:本体2500円+税『民主主義の死に方――二極化する政治が招く独裁への道』(スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット 著 濱野大道 訳 池上彰 解説 新潮社) 定価:本体2500円+税
 言わずもがなだが、民主主義は民衆が主権の国家のことで、対義語は独裁主義だ。民主主義は崩壊し、独裁主義となる。その転換が、クーデターなどの劇的なものであれば、両者の入れ替わりはわかりやすい。

 しかし本書によれば、民主主義は、「多くの場合、見えにくいプロセスによってゆっくりと侵食されていく」。クーデターが起きるわけでも、緊急事態宣言が発令されるわけでも、憲法が停止されるわけでもない。選挙によって選ばれた政治家が、民主主義を少しずつ崩壊させて、憲法を骨抜きにし、「合法的に」独裁者となって君臨するというのだ。

 私が本書を読んでおどろいたのは、合法的な独裁を成し遂げた独裁者が、ある種のパターンを持っていることだ。ヒトラーでさえも踏襲しているこのパターンは、「独裁主義的な行動を示す4つのポイント」として簡潔にまとめられている。「これらの基準にひとつでも当てはまる政治家がいたら、注意が必要だ」という。

1. ゲームの民主主義的ルールを無視(あるいは軽視)する
2. 政治的な対立相手の正当性を否定する
3. 暴力を許容・促進する
4. 対立相手(メディアを含む)の自由を率先して奪おうとする(42ページ)

 こういった独裁者の登場を防ぎ、民主主義を護るために憲法は存在するのだが、著者たちは、「憲法は常に不完全だ」と言い切る。どれほどしっかりしたと思われる憲法であっても、恣意的な解釈や運用が可能なため、それだけでは民主主義は護れないという。たとえばフィリピンの憲法は、「合衆国憲法の忠実なコピー」だったが、マルコス大統領によりいとも簡単に骨抜きにされてしまったそうだ。

 ではなにが民主主義を護るのか。わたしが本書でもう一つおどろいた点なのだが、それは「相互寛容」と「組織的自制心」の2つだという。相互寛容に自制心――つまり、心の持ちよう(!)ということなのだ。

 「相互寛容」とは、対立相手を自分の存在を脅かす脅威とみなさず、正当な存在とみなすこと。つまり、「政治家みんなが一丸となって意見の不一致を認めようとする意欲のこと」だ。

 もうひとつの「組織的自制心」は、厳密には合法であっても、明らかにその精神に反するような行為は行わないようにすること。例として出されているのが、審判がいないストリートバスケットだ。審判がいないから反則ギリギリのプレーで相手をやりこめることもできるが、それでは誰も試合をしてくれなくなる。そのため、両者は一定の節度を持って試合に臨む。「政治の世界に言い換えれば、丁寧な言動やフェアプレーに重きを置き、汚い手段や強硬な戦術を控えなければいけないということだ」。

 民主主義が継続できるか否かがこういった人としての規範、政治家たちの心の持ちように任されているとは、なんて心もとないのだろう。独裁的な傾向のある人物が、意図を持って民主主義を崩そうと思えばできてしまうのだ。そのもろさにおどろいてしまう。

 そんな危うさの上に成り立っている民主主義だが、歴史を見れば、崩壊をしっかり食い止めた国もある。紹介されている戦前のベルギーやフィンランドの例には安堵を覚えた。既存の政党が「民主主義を護るために」共闘したという。

 イデオロギーの異なるライバル政党と組むか、カリスマ的な人気のある人物のいるイデオロギー的に近い、でも民主主義を否定する政党と組むか――ベルギーやフィンランドの政治家たちは、前者を選んだ。党利よりも民主主義を護ることを優先し、過激な思想を持つ政治家を排除したのだ。最近でも2016年にオーストリアで、2017年にはフランスで、左右が手を組んで扇動政治家に権力を渡さずにすんだ例が紹介されている。

 本書のすばらしさは、こういった政治や社会の一見難しそうな話題を、スリル感とともに伝えてくれることだ。民主主義が薄皮をはぐように砕かれ、独裁者が独裁国家を築き上げるまでのさまや、独裁をすんでのところで止めた事例には、推理小説のようなハラハラ感、ドキドキ感がある。

 くしくも先日、「第1次世界大戦終結100年記念式典」でフランスのマクロン大統領はこんな演説をした。

 「自国の利益が第一で、他国は構わないというナショナリズムに陥るのは背信行為だ。いま一度、平和を最優先にすると誓おう」(11月12日付、朝日新聞)

 アメリカでは、1930年代にも「アメリカ優先委員会」(アメリカ・ファースト・コミティ)を唱えた政党が躍進したという。日本でも世界のあちこちでも自国ファーストがかまびすしい。歴史は繰り返すということを目の当たりにした。歴史に学ぶことができる。その先導役に本書はぴったりだ。

 本書は、逆から見れば、独裁政権を築くためのある種のマニュアルにもなりうる。だからこそこの本を多くの人に読んでほしい。先に記した4条件に合う政治家や、「チェンジ!」「リセット!」など、気持ちのいい言葉で現状を否定し、海外の脅威を不必要に煽るポピュリスト(これも共通のパターン)が現れたとき、きちんとした判断ができるように。

 ちなみに、この本の中では、日本のことは触れられていない(池上彰さんの巻頭解説を除いて)。しかし私は、今の日本との相似性を意識せずに読めなかった。カバーにある言葉、「司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える――。『合法的な独裁化』が世界中で静かに進む。全米ベストセラーの邦訳」をどう感じるだろうか。空気のように当たり前の民主主義を次世代に渡していくために。本書はその大きな手がかりをくれる。 

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。