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学生が映画祭「朝鮮半島と私たち」を企画した理由

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

キューポラのある街吉永小百合主演『キューポラのある街』(浦山桐郎監督) (c)日活

 筆者が教える日本大学芸術学部映画学科の3年生が企画する映画祭「朝鮮半島と私たち」が、12月8日(土)から東京・渋谷のユーロスペースで始まる。こう書くといかにも宣伝のようだが、実は「どうして大学生がこんな映画祭を企画したんですか」という編集部からの疑問に答える形で書くことになった。「これは授業の一環です」というのが最初の答えで、映画祭をやることで学生は単位を取得するという、たぶんほかの大学にはないシステムをここで紹介したい。

 この映画祭は、企画立案に始まって、作品選定、上映・ゲスト交渉、広報、会場運営などを1年がかりで学生が進めるもの。映画素材を借りて大学内で無料上映するのはよくあるが、普通の映画館で1週間もやるのはあまり聞かない。それも大学が映画館に借料を払うのではなく、映画館はあくまで興行として受けている。つまり、普通の新作を上映するのと同じように、観客が入る企画として引き受けてくれるのだ。

 私はちょうど10年前に朝日新聞社を退社してこの大学に着任したが、映画学科では演出、撮影、録音、演技、脚本、批評などは教えるが、映画ビジネスは当時誰も教えていなかった。映画界で生きている人々の大半は、監督などの作り手ではなく、映画の企画や製作、配給や興行、つまり映画ビジネスに携わっているにもかかわらず、だ。そこで私は2年目にプロデューサーや宣伝担当者を週替わりで次々に連れてきて現場の話をしてもらう授業を始め、3年目にこの映画祭を始めた。

 この映画祭を一言で言うと、ゼロから企画して商品として練り上げ、一般に宣伝し、最終的にお客様にお金を払ってもらう、という資本主義の模擬訓練。映画学科だから、映画を題材にしているだけ。もちろんたくさん人が来ればいいというものではない。自分たちが自信を持つ中身を作らないと意味がない。

 今年が8回目だが、4年前から「映画ビジネス」Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳというカリキュラムを構成した。2年生のⅠ、Ⅱは座学でプロデューサーなどの話を聞き、3年生のⅢは映画会社への20日間のインターンシップ、Ⅳの映画祭が仕上げとなる。

映画祭を企画した日本大学芸術学部映画学科の学生ら。後列中央が古賀太教授=東京都練馬区の日本大学芸術学部映画祭を企画した日本大学芸術学部映画学科の学生たち。後列中央が筆者

「朝鮮半島」は未来につながるテーマ

 この映画祭の最近のテーマは社会的なものが多い。「労働」「マイノリティ」「宗教」と続き、昨年(2017年)は「天皇」だった。そして今年は「朝鮮半島」。もちろんすべて学生からの提案だが、なぜこういうテーマが出てくるかというと、こちらが「内容がありながら、人が入る企画」という方向に引っ張っていくから。そこから「映画業界が考えそうもない、学生ならではの発想」「社会的なインパクトがあり、時事性があって話題になるもの」「映画を見てみんなで議論したくなるラインナップ」といった方向性が生まれてくる。

 今年は「映画ビジネス」のⅠ、Ⅱ、Ⅲを取得した3年生14人が参加している。最初は全員が各自1本の企画を持ち寄り、みんなで話し合った。毎週絞っていって、6月頃に「#MeToo」「1968」とこの企画が残った。それから映画館の支配人にこの3つの企画をプレゼンして選んでもらう。こうして「朝鮮半島と日本」というテーマが決まった。

 このテーマを出した金子絹和子(きわこ)さん(21)は、去年「映画批評演習」という私の授業で『キューポラのある街』(1962年、浦山桐郎監督)を見た時に「北朝鮮帰国事業」のことを知ったのがこの企画の発端と言う。私は上映後に「帰国事業」を説明し、テッサ・モーリス=スズキの『北朝鮮へのエクソダス――「帰国事業」の影をたどる』を紹介した。その本を読んだ金子さんは、「こんな大事なことを知らなかった」「誰も教えてくれなかった」と大きなショックを受けた。

 ユーロスペースの北條誠人支配人と私がこの企画を選んだ一番の理由は、時事性だ。選んだのが6月末で、ちょうどアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が会談するという奇跡のようなニュースが流れた直後だった。今後、朝鮮半島は話題になると感じた。「1968」も日大や東大の闘争の1968年から今年で50年ということで惹かれたが、この企画の方がより未来につながると考えた。

 去年の「天皇」映画祭でもそうだったが、「朝鮮半島」もデリケートなテーマ。在日の方がどうとらえるかわからないし、右翼や「ネトウヨ」などの攻撃の対象になる可能性もある。ただ、このまじめに考えた企画案を見たら、学生たちの姿勢をわかってくれるのではないかと思って私は決断した。心配したのは学生も同じだ。何人もの学生が、

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