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[書評]『鶴見俊輔伝』

黒川創 著

松澤 隆 編集者

「まともさの感覚」を「学びほぐす」ということ

『鶴見俊輔伝』(黒川創 著 新潮社)定価:本体2900円+税『鶴見俊輔伝』(黒川創 著 新潮社) 定価:本体2900円+税
 実に面白い。年譜と索引を除いても500ページ余の大著ながら、一気に読んでしまった。雑誌「思想の科学」で培った視野、作家としての熟練の表現力と構想力、そして、年少時からの鶴見との長い交流体験が過不足なく生かされており、稀有の《思想家》の言説・活動を総合的に伝える濃縮度の高い傑作伝記を堪能できる。濃縮度は高いが湿り気はなく、雑誌編集に帯同したといっても、けっして偶像視はしていない。病歴や嗜好も(節度を守りつつ)描かれている。

 全体は5章からなる。すなわち、1章は1922年の誕生から不良少年時代を経て留学へ向かう1938年まで。2章はハーヴァード入学の1938年から、帰国・海軍軍属を経て熱海で敗戦を知る1945年まで。3章は雑誌刊行を企画する1945年から、父祐輔が倒れる1959年まで。4章は第4次「思想の科学」を始める1959年から、祐輔が死ぬ1973年まで。5章は黒川が謦咳に接した《編集者・鶴見》の方法と、晩年から2015年の死まで。

 どの章どの時代を面白く読むかは、鶴見への共感―反発の振幅の差によるだろう。もし「鶴見俊輔」に政治社会史的な記号の意味しか感じなければ、4章が述べる60年安保闘争、「ベ平連」の旗揚げ、ベトナム戦争下の脱走米兵の援助などを一瞥して事足れりとするだろう。

 だが、晩年の鶴見が後進の質問に答えた『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社)や、黒川らとの共著『日米交換船』(新潮社)で、鶴見の面白さを再認識した読者(自分もそうです)ならば、1・2章がじっくり描く少年青年期こそ、熟読に値しよう。〈祖父・後藤新平、父・鶴見祐輔と、権勢と名声を併せ持つ家族のもとに育ち、しかも彼自身はそこからの自立を願いつづけた〉鶴見。放蕩・非行遍歴は既刊書にもあるが、時代背景や関連人物との対比が、本書ならではの魅力。米国留学後(カバー写真)の猛勉強、ハーヴァード第3学年でトップ成績、都留重人の勧めでプラグマティズムを専攻する経緯も精彩に富む。1941年の開戦で米国政府は敵国留学生を投獄するが、大学がFBIに掛けあい未完論文は返却され、獄中の便所で書き継ぎ、卒業を認められるくだりも圧巻。

 留学中、特に忘れ難い一節がある。開戦の年の夏、アルバイト仲間とヘレン・ケラー(当時61歳)に会う場面だ。奇跡の人が元不良少年に伝えたのは、卒業後〈学んだことの多くをunlearn〉する意義。「unlearn」を知らなかった鶴見は、その後これを「忘れる」ではなく〈「学びほぐす」という意味ではないか〉と理解する。学びなおす、でなく、学びほぐす。これこそ鶴見の急所ではないだろうか。

 帰国後は1943年に通訳担当の海軍軍属、着任したジャカルタでは同僚が民間人捕虜を殺害する惨烈な体験。このように10代もしくは戦時下の鶴見は、のちの思索・行動の基礎を文字通り獲得しており、1・2章はそれを伝えて倦ませない。続く第3章の展開も肺腑をえぐる。京大助教授時代の1951年、スタンフォードから研究員として招聘されるが、その直後京大学生会が中心となった「原爆展」開催に賛同署名すると、米国はヴィザ発給を拒否。以後鶴見は生涯、米国の土を踏むことはなかった。〈開戦のもとで牢獄にいる自分を卒業させてくれるという、米国の公平さ。自分の体内に溶け込〉んでいた米国を、〈異物として抜き出し、確かめてみることは難しかった〉。

 だがその「難しさ」に、対象が米国であれ何であれ、挑み続けたのが鶴見だった。それを我々は4章・5章と読み進むことで確認する。基盤は、弟同様留学を経験した4歳上の姉・和子の勧めで誕生した雑誌「思想の科学」。創刊は1946年。以後1996年まで半世紀にわたり、途中版元の変更を経て、続けられた。

 本書は多彩な人物群像も魅力だ。関係が深かった丸山眞男や竹内好は当然として、印象が鮮やかなのは、「思想の科学」創刊直後一面識もないのに年間購読料を送り、最初の大学勤務の道を開く桑原武夫。また父親同士が知己で、戦後すぐ軽井沢で語り合い、後年共にハンセン病への偏見と立ち向かう前田(のち神谷)美恵子。思想信条は相容れなくとも長く親交を重ねた葦津珍彦。あるいは杉山龍丸(夢野久作の長男、杉山茂丸の孫)。ほかにも鶴見に関わり共鳴/対立した人々が、(鶴見自身の著述と相手方の文献に基づいて)いきいきと彩り豊かに描かれる。

 母と姉に愛された鶴見は、愛妻も得た。同志社大教授会が学生鎮圧のため機動隊導入を認めたとき抗議して47歳で教授を辞職。以後定職につかなかった夫を支えたのは京都精華大勤務の妻、横山貞子だ。妻が心臓発作で入院すると「主夫」を自覚、家事に精励した。〈愛情というものがないとしたら、大変な苦痛とわずらわしさだろう……それは黒い恨みがたまってくるだろうね〉。当時は『柳宗悦』を著わした直後。鶴見の〈「民芸」の見え方〉は、こうした家事経験の中で変わっていったことも示唆される。

 最も胸に響くのは、1979年カナダのマッギル大学での連続講義、リリアン・ヘルマンへの言及を引用した箇所。ヘルマンは赤狩りの追及(1952年)を受け〈自由主義についてもっている信念は、ほとんど全部〉失うが、〈何かひそやかなもの〉を獲得した。原文に照らせば《decency》。これを鶴見は《まともであること》、《the sense of decency(まともさの感覚)》と訳した。

 黒川は現在を省み、卓抜な比喩で続ける。〈「まともであること」のハードルは下がりに下がって、もはや、ほとんど水面下に没して、波に洗われてしまっている〉。我々一般の暮らしとは元からそうだったかも知れない、だが鶴見は、その〈水面下〉または足跡を消す〈波打ち際〉という〈目には見えにくい、それぞれの道〉に、つねに目を注いだのだ、と。〈知識人によって使いこなされるイデオロギーの道具〉よりも〈生き方のスタイルを通してお互いに伝えられるまともさの感覚〉を忘れず、「学びほぐし」続けた。その軌跡を辿る意味。それを本書は、強く訴えかける。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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