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ありがとう普門館

中沢けい 小説家、法政大学文学部日本文学科教授

取り壊し工事前に一般開放イベントが開催された普門館=2018年11月5日、東京都杉並区
 建造物の寿命はどのくらいに見積もられているのかと、知人の建築家に尋ねたら、「永遠を夢見て」と答えられた。たしかに、寺院建築や教会建築のなかには数百年の歴史を持つものは少なくない。同じ質問を不動産屋さんにしてみた。こちらは中古マンション購入の時の質問だった。「一般的な不動産の評価には築50年までが表示されるようになっています」とのことだった。吉田健一の「金沢」の一節に米国では経済活動の活発化のために建物は30年程度で取り壊されるという一説があったと記憶している。永遠を夢見ることと比べれば、30年から50年程度で建造物が建て替えられるというのは、まことに短すぎる。平均的な寿命が80年と言われるこの時代にあっては、幼年期、少年期、そして青年期に見た街の眺めが晩年にはすっかり様変わりすることも珍しくなくなった。

 2019年の今年は1955年、1958年に建てられた法政大学55年館、58年館の取り壊しが実際に始まる。取り壊しが決定されてから、構内を歩く御老人のグループを見かけるようになった。校舎との別れを惜しみにきた卒業生の皆さんだ。鉄筋コンクリート建築として建築史にも記録された建物で、かなり堅牢に作られているので、実際の取り壊しがどのように進むのかは興味深い。1945年に戦争が終わり、戦後の焼け跡から抜け出すように建てられた法政大学55年館はまた俗に「55年体制」と呼ばれる自民党による政治体制が始まった年でもあった。

「楽隊のうさぎ」の取材のため訪れる

 杉並区方南町にある普門館はそれよりもずっと若い建物で、1970年の建築である。大阪で万国博覧会が開催された年であり、日本各地で公害問題が提起されていた頃だ。その頃は方南町のあたりも、今よりずっと農地が目立っていたことだろう。私が「楽隊のうさぎ」の取材のために普門館を訪れたのは1998年のことで、もう20年も昔になっていることに驚いた。

 その頃は吹奏楽の聖地などという呼び方もまだなかったが、吹奏楽コンクールの全国大会は毎年、普門館で行われていた。カラヤンが指揮をする音楽会が開かれたこともあるホールは、音響効果が良いことで知られていた。立正佼成会の建物で中央部に大きなお仏壇があり、お経を唱えるために音響効果を考えて設計されたと、20年前の取材の時に教えてもらった。縦にストライプが入った円筒形の建物に見えるが、実際は中心点が異なる二つの円がズレたフォルムを持った建築物で5千席の客席を持つ。「楽隊のうさぎ」の中では「ピンク色のロールケーキのような建物」と表現した。

一般開放最終日の11日夕、舞台には約800人の来場者が集合。「宝島」などの演奏で大いに盛りあがった=2018年11月11日、東京都杉並区の普門館
 ピンク色のタイルが一枚、手元にある。黒い縦の線で円筒形の普門館をかたどった柄の下にFUMONHALL1970-2018の文字。耐震構造に問題があるということで取り壊しが決定した普門館を一般に公開したおりに、入場者へ配られたタイルだ。普門館壁面に貼ってあるタイルと同じものだと言う。一般公開は2018年11月5日から11日の午後5時から8時まで。地下鉄丸の内線が終点方南町に近づくにつれ、楽器ケースを携えた人の姿が目立つようになった。あの小さなケースはきっとクラリネットが入っている。こちらの大きなケースの中はテューバかなと見当をつけた。公開は夕刻5時からで、短い冬の日はとっぷりと暮れ、地下鉄の階段を上がると東の方向には新宿の高層ビル群の灯りが灯っていた。

さよなら普門館、ずっと心に 「吹奏楽の聖地」歴史に幕

普門館で最後に見つけた宝島 大井剛史さんと漆黒の舞台

 「楽隊のうさぎ」は1999年秋から2000年春にかけ東京新聞など六つの新聞の夕刊連載だった。当初は学校でのいじめの話を書こうと考えていたのだが、吹奏楽のことを取材するうちに、そちらが主題になった。

吹奏楽をめぐる環境の変化

 この秋ある人に「あれは音が音楽になる瞬間を書こうとした小説なんですね」と言われ、思わず「そう、そう、そうなんです」とうれしくなってしまった。

 連載中は吹奏楽をやっていると経験することばかりが書かれているという感想をいただくこともあった。そこまではうれしい感想なのだが、

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