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[書評]『不意撃ち』

辻原登 著

高橋伸児 編集者・WEBRONZA

“運命の悪意”の恐ろしさ

 のっけから当たり前のことを書くようで恐縮だが、日々の生活は「不意打ち」の連続だ。大病や事故、天災といった人生が一変する重大事はそうそうないにしても、他人から見たら取るに足らないことだろうが、当人に「打たれた」自覚があろうがなかろうが、である。

『不意撃ち』(辻原登 著 河出書房新社)定価:本体1600円+税『不意撃ち』(辻原登 著 河出書房新社)定価:本体1600円+税
 この本の書名が「不意打ち」ではなく、あえて「不意撃ち」としてあるのは、身体や精神に対する「うたれる」ことの強度ゆえだろうか。それにしても計5編の読後感がそれぞれ全く違う短編集も珍しいかもしれない。破局の予感が充満していたり、ユーモラスだったりと、そのタッチの違いにかかわらず、いや、まったく肌合いが違う間口の広さがゆえに、読後は日常生活が違って見えてしまうのだ。

 どこが「不意打ち/撃ち」かネタばれにならない程度に紹介すると――。

 デリヘル店で風俗嬢の送迎をする運転手の男が、そこで親しくなった女を追いかけて江戸時代から続く三重県の“売春島”を訪ねる「渡鹿野(わたかの)」。ワケありの男女が東京で知り合うに至る経緯は、ベタといえばベタな設定で、いわくつきの島での二人の交歓も湿り気たっぷりだ。男と女(いや同性愛でも同じだろうが)の愛と性は、言葉も行為も「不意」の連続なのだなあ。今さら言うまでもないことだけども。

 「出番が来たんちがう?」という冒頭部の関西弁からしてただならぬ空気が漂う「仮面」。阪神淡路大地震のボランティアで親しくなりNPO法人を設立した中年男女が、3・11の後、東北の被災地に向かう。神戸での経験を活かし、現地で先頭に立って救援物資を配り、被災した子どもたちを東京に連れていく。大震災という2度にわたる「不意撃ち」が、男女の人生を狂わせる。ボランティアという善意とそこに潜む悪。善が悪にたやすく転調する。人間の心の闇はどこまで深いのだろう。

 「いかなる因果にて」は、元厚生省事務次官宅連続襲撃事件が基点。30年以上前に飼い犬が殺処分されたことを恨んでの犯行が話題になった実在の事件だ。この「愛犬の仇討ち」をとっかかりに、60歳も過ぎた「私」が、中学時代に同級生に暴力を振るった元教師の自宅を探し当てて訪問する。40代で死んだ彼の代わりにだ。これも「仇討ち」の変種なのだ。主人公にも説明がつかないであろう感情と、襲撃事件の死刑囚の思いとが執拗にからまりあう。「恨み」という、避けがたくも、おそらく何も確たるものは生み出さない情念の悲しさが沁み入る。エッセイなのか、ノンフィクションなのかフィクションなのかすら判然としないタッチもまた効果的だ。

 「Delusion」は、宇宙ステーションから帰還した女性宇宙飛行士が、自分に関わる近未来を予知できるようになり、精神科医を訪ねて自分の体験を話すことから始まる。その一つの予知が物語の最後にあっけなく現実になるあたり、星新一のショートショートの読後感にも似た、意表を突かれた快楽とある種の居心地の悪さがないまぜになる。

 出版社をつつがなく勤めあげた男が定年後、妻や娘に内緒で突然「独り暮らし」を始める「月も隈(くま)なきは」。簡単な書き置きを残し、自宅からそう遠くない場所に「ウィークリーマンション」を借り、都内でアルバイトをしたり、将棋道場に行ったりと、気ままに暮らす。妻は探偵を雇って夫を探すのだが……。時代は現在だが、とぼけた味わいたっぷりで昭和のよき時代といった風情もある(なぜだかわからないが、映画化するとすれば1950~60年代の設定にしたモノクロ画面で、主役は小林桂樹あたりがはまっていただろうなと思えて仕方がなかった)。

 さて、この主人公は若いころ、あることから「“運命の悪意による不意打ち”を食らったのではないか」と思うようになった。そして「無事に生きていられるのは、外側から恐ろしい力が襲いかかってこない間だけ」という妄想にとらわれる。この畏れは40代、50代と人生経験を積むうちに解消されたというが、「なるようにしかならないと、どこかで思い定めた」。

 本書で「不意打ち」という言葉が出てくるのは、ほぼ最終盤のこのエピソードだけなのだが、ここがキモなのだ。彼の「妄想」は実は妄想ではまったくない。今すぐにも“運命の悪意による不意打ち”が襲いかかってくるかもしれないという予感は重々頭の隅にありながら、きのうと同じように今日があり、今日のように明日も同じようにある(はず)と、確たる根拠もなく暮らしているのがわれわれだ。そういう態度を保っていなければ人間の精神は耐えられるようにはできていない。そんな人間の脆さをあらためて自覚させる、突きつける決定的挿話を「妄想」などとしてなにげに挟んである。物語の大団円はあまりに軽妙なのに。恐ろしい短編集である。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。