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百田尚樹『日本国紀』は歴史書ではなく「物語」 

福嶋聡 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店

百田尚樹百田尚樹氏の『日本国紀』は、実証的な歴史書ではなく、「私たち自身の壮大な物語」ということのようだ

 百田尚樹の『日本国紀』(幻冬舎)は発売後すぐにベストセラーとなり、その後もどんどん売上を伸ばし、増刷を繰り返していった。1月半ば時点で、8刷60万部まで伸びる。

 出版・書店業界の人間にとって、このことは不思議でもなんでもない。「予想通り」「期待通り」であり、全国の書店は、大量の事前発注と追加注文をしたと思う。

 すぐに3つの理由を挙げることができる。

『日本国紀』(幻冬舎)
 第一に、百田尚樹は「ベストセラー作家」である。『永遠の0』(講談社)は文庫だけで440万部、『海賊とよばれた男』(講談社)は、単行本は190万部、文庫は250万部超まで伸びた(共に上下巻合計)。後に批判された『殉愛』(幻冬舎)も、売れ行きの最大瞬間風速は凄かった。

 第二に、歴史関係の本が現在またブームになっている。『応仁の乱――戦国時代を生んだ大乱』(呉座勇一著、中公新書)は2016年刊行、2017年にベストセラーに躍り出て、現在33刷、発行部数47万5000部を数えている。他にも、かつて『武士の家計簿――「加賀藩御算用者」の幕末維新』(2003年、新潮新書)がベストセラーとなった磯田道史や『江戸お留守居役の日記――寛永期の萩藩邸』(1991年、読売新聞社、日本エッセイストクラブ賞受賞)の山本博文ら人気歴史家が、新書版を中心に続々と新著を刊行している。

 今日の歴史ブームは、日本社会の高齢化とも関係していると思う。退職後の人生は、20年〜30年もある。『史疑 幻の家康論』(批評社)、『サンカと説教強盗――闇と漂泊の民俗史』(河出文庫)など多くの著書がある在野史家礫川全次(こいしかわぜんじ)は、その年月を歴史の独学に当てることを勧めている。

歴史というのは、誰もが気軽に始められる学問です。これを研究するに当たって、特殊な知識・技術・才能などは必要ありません。(『独学で歴史家になる方法』日本実業出版社)

 多くの人は、学校で一度は歴史を学んだことがある。「応仁の乱」は、戦国時代の到来を準備したとはいえ、事件としては地味で、その実態もおそらくは詳しく学ばなかっただろうが、歴史用語としては記憶の片隅に残っているだろう。現在の高齢者が現役の頃、日本経済が右肩上がりを続けていた時期、ビジネス街の書店で数学の入門書が次々とベストセラーになった時も、同じような理由を感じた。

「すじみちをたてて」記した書

 一方、『日本国紀』の読者は、リタイアした高齢者だけではない。発売以来、多くの若い人が買い求める姿を、ぼくは見ている。この本があらゆる年齢層に読まれているのは、なぜか? 『日本国紀』の最初に、その答えはある。

日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません。(P2、引用は第4刷。以下同様)

 この一文は、確かに、その経済的隆盛に影が差し、かつては謳歌した世界での高い地位が失われていくことが否めない時代を迎えたこの国の多くの人々に快感を、満足を与えることは間違いない。このことが、多くの読者が『日本国紀』を手にし、この本がベストセラーになっている、3つめにして最も本質的な理由である。昨年、ケント・ギルバートの『儒教に支配された中国人と朝鮮人の悲劇』(講談社+α新書)が版を重ね、47万部に達したように。

「K・ギルバート氏の本で心地よくなってはならない」

 この本のタイトル『日本国紀』には、「紀」という文字が使われている。「紀」は、「記」と違って、単なる記録ではなく、「すじみちをたてて記したもの」という意味を含む(岩波国語辞典、第7版)。その「すじみち」こそ、「日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません」という百田の信念なのである。

 また、「紀」は、「古事記」の「記」に対して「日本書紀」の「紀」である。「紀」は、「日本書紀」が範とする中国の史書では、英雄譚である「列伝」に対する天子=支配者の事績をしるした「本紀」の「紀」である。日本が「素晴らしい歴史を持っている」理由は、

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