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武道を通して平和のメッセージを広げる

イスラエルNGO「Budo for Peace」ダニー・ハキム氏の夢

徳留絹枝 ブログ「ユダヤ人と日本:理解と友情の架け橋のために」管理者

=筆者提供「Budo for Peace」が指導する空手道場で=筆者提供

ベドウィン村の空手道場

 「いち、にー、さん」――イスラエル中心部ネゲブ砂漠にある集落アブ・ケダーの空手道場から、元気な掛け声が聞こえてくる。電気も来ないこの小さなベドウィン村で、「平和のための武道」(Budo for Peace “BFP”)というイスラエルのNGOが子供たちに空手を教えているのだ。設立者で松濤館空手7段のダニー・ハキム氏の案内で、練習を見学させてもらった。

 教えるのはハゼム・アブ・ケダー先生で、彼も空手4段の腕前だ。BFPのプログラムで12年間空手指導を続け、現在は7か所の道場で500人の子供たちに教えているという。この集落は、つい最近まで近くの国道に通じる道路さえなかった僻地にあるのだが、子供たちは満面の笑顔で私たちを迎えてくれた。

 同行した在テルアビブ日本大使館の河合土恩広報文化班長の長男一騎君(10歳)も、ベドウィンの同年代の子供たちに混じって練習に飛び入り参加した。この日はハキム氏も先生となり、「礼、始め、止め」といった日本語の掛け声に従い、6歳から18歳の子供たち40人ほどが元気いっぱいの練習を見せてくれた。空手を通して身に付けた礼儀や自信が彼らの全身から溢れるようで、ハキム氏が目指したものがそこに花開いていた。

*写真は筆者のツイッターより

 ハキム氏は、1950年代にエジプトからオーストラリアに移住した由緒あるユダヤ系家族の出身だ。祖先の地から遠く離れて育ちながらも、子供のころから熱心なシオニストだったという。そんなダニー少年の一生を決定する転機となったのは、バーミツバ(ユダヤ教の少年の13歳の誕生日祝い)に祖母が贈った1年分の空手講習の受講証だった。空手に魅せられ、めきめきと腕をあげたハキム氏は20代初め、修行を極めるため日本に渡った。そして、生涯の師となる金澤弘和氏(國際松濤館空手道連盟設立者)と出会う。ハキム氏はその後、オーストラリア・日本・イスラエルを代表して数多くの国際試合に出場し、空手世界選手権で二度銀メダルを獲得した。

 2000年、彼はユダヤ民族の約束の地イスラエルに移住した。その後2003年に結婚、2004年にBudo for Peaceを設立する。そしてその目的を以下のように定めた。

 若者に、伝統的な武道訓練と武道本来の理想を身につけることを通して、寛容・相互尊敬・自分自身の内面と隣人や環境との間の調和という、行動規範を教え植え付ける。
 武道という共通の理念に導かれた平和のための文化大使の国際的ネットワークを形成させ発展させる。イスラエル国内、中東全域、そして世界の場に友情の輪を広げ、協力と共存を作り出すことを助けるネットワークとする。

石のように強く水のように柔軟であれ 

 ハキム氏にとって、“武道”の文字を自らのNGOの名前に使うことは重要なことだった。その意味を彼は以下のように説明している。

 “武道”という言葉は、“武”(戦士)と“道”(進むべき道)から成り、対立を平和的手段・強い意思・自己抑制・相互尊敬で解決するための、行動規範を表わす日本語。

ハキム氏と筆者 Budo for Peaceのシンボルマークダニー・ハキム氏と筆者、「Budo for Peace」のシンボルマーク=筆者提供
 それは、日本で空手の修行に励む中で彼自身が身に付けた日本武道精神の神髄だった。

 シンボルマークにも重要なメッセージが込められている。ハキム氏はそれを丁寧に説明してくれた。

 「それは石と水を表わしています。心臓に近い左手の握り拳は、家族や価値観や宗教といったあなたにとって大切なものを象徴していて、それは石のように硬くなくてはなりません。一方それを覆う右手は水を象徴しています。人間は頑ななだけでなく、体も心も水のように柔軟でなければならないからです。右手が開かれた時には、友情の握手にも使われます。中身は石のように強く表面は水のように柔軟であれ、というこのシンボルは子供にも理解しやすいものです」

 シンボルを囲む「BUDO FOR PEACE」の文字も、英語・ヘブライ語・アラビア語で表記されている。

 ハキム氏のシオニストとしての夢は、イスラエルの全ての子供たちが平和裏に暮らせる社会の実現だという。彼は、多くの移民からなるオーストラリアの空手チームの一員だった頃、そして日本で空手の修行中、異なる人々と共に練習に励みながら、武道を通して得られる一体感を経験している。イスラエル社会の異なるグループ(正統派ユダヤ系・世俗派ユダヤ系・アラブ系・ドルーズ派・ベドウィン族など)間の融合を目指すことに、彼の迷いはなかった。

 現在BFPは、国内18の道場と27の気合道場と呼ばれる提携ジムで、さまざまに異なるバックグラウンドの子供たち2000人以上に武道を指導している。ユダヤ系の道場とアラブ系の道場がペアとなり、合同練習をすることもあるという。たった10分しか離れていないユダヤ系とアラブ系の村に住みながらそれまで全く交流がなかった子供たちが、空手の練習を通し、お互いの家族も含めて親しくなった例もあるという。BFPは、新しくイスラエルにやってきたばかりの移民の子供たちにも手を差し伸べている。

 ハキム氏はさらに、イスラエルの近隣諸国の空手家に呼びかけることで、Budo for Peaceの活動を国際的にも広めてきた。これまでヨルダン・エジプト・トルコ・イラン・ギリシャ・パレスチナ自治区の空手家がBFPのセミナーに参加しているという。2016年にBFPが国際大会を開いた際には当時の富田浩司在イスラエル大使が、自己抑制・礼儀・他者への思いやりといった日本の武道の精神を通して若者に尊敬と相互理解を教えるプログラムを称えた。

病と闘う子供にも力を

 今回ハキム氏は、空手道場見学の他に、BFPのもう一つの活動現場にも案内してくれた。それは、武道を通してがんなどの病と闘う子供たちを力づけるプログラム「がんを蹴り飛ばそう(Kids Kicking Cancer:KKC)」だ。白血病で娘を

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