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大震災を描く小説と「想像する」ことのむずかしさ

丹野未雪 編集者、ライター

石巻沿岸部=2017年、撮影・筆者石巻沿岸部=2017年、撮影・筆者

 毎年、宮城県沿岸部を歩いている。高さ4メートルになる防潮堤、水産加工工場へと続く道路の高盛土工事が進む一帯だ。子ども時代を過ごした地域は津波による被害を受け、よく遊んだ場所は非可住区域になった。東日本大震災から8年、復旧・復興が成し遂げられた場所がある一方、雑草が揺れるばかりの、時が止まったかのような場所にも出くわす。

 港を往復する大型トラックのほかには特に人通りのない防災緑地予定地一帯を歩いていると、ふと思うことがある。2011年3月11日より前の風景を知らない人が、このだだっ広い空き地のような町を見たとき、かつてここに住宅が立ち並び、ありふれた生活が営まれていたことを想像できるだろうか。

 もし、自分がどこかの被災地をはじめて訪れたとき、そうした日常への想像力をどれくらい持てるだろうか。まったく自信がない。想像力のもとには、現実、事実という土台が必要だ。

 いうまでもないけれど、東日本大震災は現在進行形のできごとだ。生活再建の風景に目がなじんでいく一方で、地方紙には次のようなニュースが報じられる。

 昨年(2018年)10月24日、宮城県気仙沼市の防潮堤の工事現場で遺体が見つかった。12月12日付の「河北新報」の見出しは「『やっと妻も成仏できる』身元判明の遺骨戻る 捜し続けた日々、今は涙」。防潮堤の工事現場で発見されたのは、約100片の骨。DNA鑑定の結果を気仙沼署から伝えられた夫は、長女とともに確認し、妻であることを確認した。

遺骨が見つかった現場付近では、解体した防潮堤を取り除く作業が進められている=2018年12月11日、宮城県気仙沼市波路上岩井崎遺骨が見つかった現場付近=2018年12月11日、宮城県気仙沼市波路上岩井崎

忘れられない人は、忘れる努力をして生きていく

 復旧・復興の一様でない風景は、わたしたちがかつての日常から切断されたという記憶を、どうしても呼び起こさせる。仙台在住の作家・佐伯一麦は、震災の風化を懸念する声に対し、「忘れてしまえることだから、忘れるな、というのであり、忘れられない人は、それを抱え込みながら、忘れる努力をして生きていくしかない」(「朝日新聞」2018年3月11日付)と書いた。胸が突かれる。その苦しさを思うと、おいそれと言葉を発することをためらう。

 佐伯は、震災というテーマについて、「文学として巧みに効果的に仕上げたら嘘になる、ということがあり、いっぽうで震災によって変化を余儀なくされた想像力を駆使した作品は、ともすれば被災地の人心とかけ離れてしまう、という問題がある。いまはまだ、小説よりも、後の世代の者が参照出来る記録としての言葉が求められるのではないだろうか」と語る。

想像ラジオいとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社)
 非常時からあらたな日常へと変化するなかにあって、大震災を描く小説作品が、震災の「いつ」「どこ」を書こうとしたのかを見るのは、だから重要だ。

 前述した行方不明者のニュースを読んだとき、大震災から2年後に書かれたいとうせいこう『想像ラジオ』がすぐ思い浮かんだ。

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