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必見! 傑作『盆唄』――時空を超える音楽映画

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

「盆唄」の一場面〓2018テレコムスタッフ『盆唄』(中江裕司監督)=2018テレコムスタッフ

 中江裕司監督の『盆唄』に、心を揺さぶられた。福島県双葉町の「双葉盆唄」をめぐるドキュメンタリーである。――2011年の原発事故で町民らが散り散りになったため、消滅の危機にある双葉盆唄。この伝統芸能の存続を強く願う太鼓の名手・横山久勝さんを中心に、映画は展開するが、自身も双葉町からの避難民である彼は、仲間とともにハワイに行く。じつは100年以上も前に福島からハワイへ移住した人々が伝えた盆踊りが、今も日系人の間で「ボンダンス」として盛んに愛好されていることを知り、ハワイの日系人文化を取材してきた写真家・岩根愛に誘われ、当地に向かうのである。

 その間(かん)、稽古のシーンなどで唄や太鼓や笛の断片がクライマックスへの前奏のように、抑えられた音調で心地よく響くが、この<双葉→ハワイ>という、いわば予想外の焦点移動のような場面の移行も絶妙で、映画の時空が思いがけない形で広がり、快い解放感をもたらす。

 また、横山さんら盆唄の演者たちの顔や挙措も――むろん劇映画とは別様の演出がなされてはいるが――、プロの俳優では到底望むべくもない、じつに豊かな存在感を醸す(カメラは横山さんやその仲間を、彼・彼女らの内面に踏みこみすぎない不即不離の距離で、しばしば斜めのアングルで撮るが、それが重すぎず軽すぎない本作のトーンを決定している)。

 やがて横山さんたちは、双葉から遠く離れたハワイの地で、福島の盆唄が「フクシマオンド」として上演される様子を目の当たりにするが、唄い踊る日系人男女の放つトリップ感、あたりの空気を震わせるような張りのある女性の声が、なんとも素晴らしい。かくして、双葉町の伝統的な双葉盆唄がハワイに伝播され、そこで独自のアレンジを加えられつつ、盆唄独特の情感や哀調を宿したまま唄い継がれ、踊り継がれていることを明らかにしたのち、映画はさらなる<焦点移動>によって舞台を富山へ移す。

 かつてハワイに双葉盆唄を移入した人びとの先祖は、富山から来たと伝えられていたのだが、その地には“ちょんがれ”と呼ばれる、盆踊りの原型ともいわれる唄と踊りが残っていたのである(ある土地に伝統として根付いている文化が、多くの場合その土地に固有のものではないことに、あらためて興味をそそられる)。

「盆唄」より、横山久勝さんが双葉町の自宅を訪れるシーン〓2018テレコムスタッフ『盆唄』で、横山久勝さんが双葉町の自宅を訪れるシーン=2018テレコムスタッフ

避難生活者の望郷の念と、盆唄の過去・現在・未来

 ……こうして『盆唄』は、双葉盆唄のルーツを探る“考古学的快楽”とともに<双葉→ハワイ→富山>という行程をたどったのち、最後の大舞台を、福島県いわき市の仮設住宅の広場に設定する。横山さんらは、いわき市の避難先で双葉の盆踊りをいち早く復活させていた若い町民たちの協力を得て、双葉町各地区の合同盆踊り大会、「やぐらの共演」の震災後初めての開催に向け、準備を始めるのである。

 そして、2017年夏の当日、仮設住宅前の広場に組み上げられた<やぐら>の上で、演者らによる唄、太鼓、笛が響き渡り、その周りでは人びとが輪になって踊る。喜びと哀切さが混然一体となった盆唄が沸き立つ、まさしく鳥肌の立つような絶景だ(このシーンが佳境に入ったところで、やぐらの上の横山さんが告げる、「ご先祖様、震災で亡くなられた皆様、一緒に踊ってください」、という言葉が胸を打つが、その直後、やぐらの背景が漆黒の闇になり、盆唄は過去・現在・未来を幻想的に通奏してゆく……)。なお、大会が「やぐらの<共演>」と呼ばれるのは、双葉盆唄といっても地区ごとに異なる盆踊りがあるからだ。

 もちろん、私たちの多くが忘れかけていた盆踊りという芸能の魅力を存分に堪能させてくれる『盆唄』は、たんに楽天的な音楽映画ではない。

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