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国よりも「ヒューマニズム」を選んだ男たちの群像

韓国映画「工作 黒金星と呼ばれた男」が描く南北分断の裏側

徐台教 ソウル在住ジャーナリスト

スパイ「黒金星」ことパク・ソンギョンを演じるファン・ジョンミン(左)と、北朝鮮側幹部リ・ミョンウン役のイ・ソンミン © 2018 CJ ENM CORPORATION ALL RIGHTS RESERVED

「南北スパイもの」の系譜

 俗に「スパイもの」と分類される映画や小説の背景は、二つの世界大戦や東西冷戦である傾向が強い。対立する陣営の性格がわかりやすい上に、時が経つことで明らかになった歴史的事実が多く、多彩な脚色が可能な点などが関係している。

 映画『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』の背景となった南北対立もまた、その例に漏れない。……あれ?と思ったあなたは正しい。本作の舞台は90年代後半の朝鮮半島。東西冷戦はとっくに終わっているではないか。だが、朝鮮半島は世界で唯一、冷戦構造が残っている地域だ。南北軍事境界線を境に、旧共産陣営と西側世界の確執が2019年の今も続いている。

 世襲独裁国家の北朝鮮と正面から対峙する民主主義の韓国。地雷と鉄条網で分断され、定期的に行われる懐柔と脅迫、そして衝突のトライアングルは絶好の映画素材を提供してきた。このジャンルには『シュリ』(99年)、『義兄弟』(10年)、『ベルリンファイル』(13年)など、綺羅星のような作品が並ぶ。実在のスパイの実体験を基にした『工作』は、その骨太の系譜を受け継ぎつつリアルな描写で新たな境地を開いた。

 南北スパイ映画の特徴は、何と言っても「同じ民族である」点だろう。劇中では必ずといってよいほど、双方のスパイが至近距離で激突するシーンがある。耳元でささやかれる意地を張り合うひと言からは、本来対立すべきものでないものが争う悲しさがにじみ出し、観客の心を否応なく揺さぶる。バイオレンスシーンは無いものの、映画『工作』でもその伝統は脈々と受けつがれている。監督ユン・ジョンミンが「口を使ったアクション」と評するやり取りは見ものだ。

 本作で韓国最大の情報機関『国家安全企画部(安企部、現・国家情報院)』のスパイ「黒金星」ことパク・ソギョン(ファン・ジョンミン演)の任務は、企業家に偽装し、北朝鮮の核開発の実態を突き止め権力の中枢に浸透すること。一度入国してしまえば外部に助けを求めることできない北朝鮮で起きる事件の数々は、ファン氏特有のシリアスかつコミカルな演技と相まって、緊張から弛緩を絶え間なく行き来し、ジェットコースターのような快感を観客にもたらす。

 一方、「スパイもの」に欠かせないライバル、北京駐在の北朝鮮側幹部リ・ミョンウン処長(イ・ソンミン演)もまぶしい。貧しい国の外貨稼ぎを担う覚悟を秘めた、もの静かで厳しい振る舞いの中に人間的な魅力をたたえている。それは本心を隠して生きていかざるを得ない、全体主義国家におけるインテリの持つ悲哀となって観客に迫ってくる。リ処長の口から絞り出される言葉は、あたかも分断を続ける南北がきしみを上げているかのようだ。

「黒金星」ことパク・ソギョン(ファン・ジョンミン) © 2018 CJ ENM CORPORATION ALL RIGHTS RESERVED

国益とヒューマニズムの間で

 そんな二人を突き動かすのは「国益」だ。時は90年代後半。北朝鮮の核開発に端を発する第一次核危機は米朝の手打ちによりいったん縫合されたが、なおもくすぶり続けていた。さらに北朝鮮国内は94年の絶対的独裁者・金日成主席死去により、全土が「苦難の行軍」と呼ばれる混乱に陥り、100万人を超える餓死者が出る地獄となった。

 将校出身の黒金星・パクは韓国の安全保障のために、資本主義を学んだエリートのリ処長は北朝鮮の経済復興のため相手を最大限利用しようとする。その過程で、互いを信じるしかない二人はいつしか、運命共同体になる。確信を持てないものの、パクをスパイだと疑うリ処長は

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