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女性に大事なことは全てセイリグから教わっていた

今こそ再評価したいフェミニスト女優

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

 前稿で紹介した『去年マリエンバートで』の主演女優デルフィーヌ・セイリグは1990年に肺がんのため58歳の若さでこの世を去った。つまり、彼女が亡くなってから30年近くが経過しているのだ。残念ながら彼女の活動や功績の検証は、これまで本国でも少なめだったと言える。パリのシネマテークでさえ、出演作と監督作のレトロスペクティブが開催されたのは2010年のこと。亡くなってから20年後と大変遅い。だからこそ今年、本国で「不屈の女神たち。デルフィーヌ・セイリグ、映画とフェミニスト・ビデオの間」展が実現されたのは貴重な出来事であった。

 この展覧会ではフェミニスト・セイリグの活動を豊富な資料で紹介している。男性社会に忖度ゼロの彼女の言動が、写真や映像資料などを通してイキイキと立体的に伝わってくるのだ。

 展示の最初の方ですぐに印象的な映像が流れる。フランスで中絶論争が過熱していた1972年10月、セイリグがテレビの国営放送の討論会にゲスト出演を果たした時のものだ。まだ「女性の権利」を主張すれば脅迫すら受けた時代、女優が出演を引き受けるのは大変勇気のいる行動に違いない。彼女はタバコを手にして堂々と話し始める。

 「あなたたちはほぼ男性ばかりの場所から、“女性に自由を与えるか否か”について議論をしています。しかし、私たち女性は愚かではないし、決まった時間に散歩をさせるべき犬でもありません。自分の体について自己決定ができるくらいに、私たちは理性を備えています」

 彼女の正論を前に、政治家や医師ら同席の男性陣が不満そうに顔を歪める様子がなんだかおかしい。

 人工妊娠中絶を巡る論争は、過去の話では全くない。トランプ政権下で保守派が勢いづくアメリカのいくつかの州をはじめ、世界各地で中絶禁止や制限へと舵をきる国や地域が増えている。

 今年のカンヌ国際映画祭でも、アルゼンチン人のファン・ソラナス監督による中絶合法化をテーマとしたドキュメンタリー『Let It Be Law』が上映され、中絶合法化のシンボルである緑のスカーフを手にしたアルゼンチンの女性運動家たちもレッドカーペットを歩き、中絶合法化を訴えた。まさに世界的にも現在進行形の話題であり続けているのだ。

 セイリグはすでに半世紀も前に一般の女性たちとデモ行進し、1971年には「私は中絶手術を受けた」とする有名な署名運動「343人のマニフェスト」に名を連ねた。また翌年には、16歳の少女が強姦で妊娠したために中絶を選び、その結果、不条理にも起訴された裁判では、少女をサポートするべく自ら証言台にも立った。女優という特権階級の城に籠もることなどなく、常に市民の一人として運動に身を投じた。実際に運動の渦中を生きた彼女の発言は、いま一度耳を傾ける価値があるだろう。

1972年に中絶の罪に問われた女子高生のため、自ら裁判所で証言台に立ち応援に加わったセイリグ1972年に中絶の罪に問われた女子高生のため、自ら裁判所で証言台に立ち応援に加わったセイリグ(右)=LaM(リール・メトロポール近現代とアール・ブリュット美術館)の展覧会で 撮影・筆者

ビデオカメラで既成の映像を批判的に加工

 彼女は監督としても興味深い足跡を残している。女性運動を続ける中でビデオ制作に興味を抱いた彼女は、1974年にフェミニスト・ビデオの先駆者キャロル・ルッソプロスが主催するビデオ制作アトリエに参加した。

 当時は、ソニーから撮影と投影の機能を備えた画期的なポータブルビデオカメラ「ポータパック」がフランスに流通し始めた時代。ルッソプロスは1969年にゴダールに次いでフランスで2番目にポータパックを手に入れた人物。すぐに意気投合したセイリグとルッソプロスは映像グループ「服従しないミューズたち」を75年に結成し、次々と女性解放のためのフェミニズム・ビデオ作品を手がけるようになる。

 安価で手軽に使えるビデオカメラは、運動の奥深くに入り込むのに格好の道具だ。ビデオは誕生間もなく、古い権威がいない分野でもあったため、女性たちが自由に羽を伸ばせる表現手段でもあった。

© Micha Dell-Prane, 20191976年、女性たちのデモを撮影中のデルフィーヌ・セイリグ(左) © Micha Dell-Prane, 2019

 展覧会ではセイリグの監督作品も当然紹介する。彼女は短編も含め7本の作品を残したが、なかでもビデオ撮影による新しい語りを導入したのが『マゾとミゾは船でゆく』だろう。これは1976年にセイリグが「服従しないミューズたち」の仲間と手がけた共同監督作品。

 国連は女性の地位向上を目指し、1975年を「国際婦人年」としたが、この年の瀬の12月30日に、仏国営放送アンテンヌ2局は「女性年はあと一日、やれやれ! 終わりだ」というひどいタイトルのトーク番組を放映した。この番組を見たセイリグは、出演者たちのあまりの女性蔑視ぶりに失望し、ビデオによるパロディ作品を制作することに決める。

 番組には複数の女性蔑視的傾向を持つ男性ゲストに加え、当時女性の地位担当副大臣だったフランソワーズ・ジルーが参加。ここでジルーは女性の立場を代弁するかと思いきや多数派の男性陣に取り込まれ、ついには

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