2019年10月30日
10月22日、「即位礼正殿の儀」をテレビ中継で見た。病を得てから、宮中祭祀などの儀式はお休みすることがほとんどだった雅子さま。ビッグイベント中のビッグイベントであるこの国事行為に、どのように臨まれるのか。その姿を見たかった。
儀式が始まったが、ほとんど雅子さまは映らなかった。これは想定外で、かなり戸惑った。陛下が即位を内外に宣言するという儀式なのだから、当然と言えば当然だ。だが、高御座(たかみくら)ばかりが映り、御帳台(みちょうだい)が映る時間がこれほど短いとは思っていなかった。
とばりが開き、陛下が「おことば」を述べ、安倍首相が「寿詞(よごと)」を述べ、参列者による万歳三唱があり、再びとばりが閉められる。その15分ほどの間で、雅子さまの表情がわかる映像は2度だけだった。「おことば」前の30秒ほどと、「おことば」後のほんの数秒。儀式の性質を理解しつつ、皇室とはそういう世界なのだなあと思ったりしながら見ていた。
短く映る雅子さまの顔を見て気づいたのが、まばたきだった。大きな目だから余計に目立つのかもしれないが、繰り返していることがはっきりわかった。元新聞記者のさがで、つい数えてしまった。最初の30秒では7回、あとの数秒でも2回。人がする通常のまばたきよりはずっと多いと感じた。
「並々ならぬ緊張をされているのだな」という感想も持ったが、それ以上にあれこれ考えた。陛下とあまりに違ったから、その「意味」のようなことに思いを巡らした。天皇家に生まれるとは、そこに嫁ぐとは。そんなことを考えた。
高御座の中で、陛下はほとんどまばたきをしなかった。雅子さまのまばたきに気づいてから陛下の目元に注目したが、ほとんど動かない。とばりが開くまでなど、あまりにそのままなので静止画像ではないだろうかと思ったほどだった。ほんの時折、一瞬で消えるまばたきが見られたが、雅子さまとの違いに驚いた。そして、天皇家に生まれるとはこういうことか。そう思った。
まばたきをしないトレーニングなどあるはずがないから、これはきっとどんな時も平常心でいるトレーニングの賜物なのだろう。プライベートはもちろん、通常の公務だけでなく、「儀式」でも平常心。トレーニングという言葉に語弊があるなら、天皇家に生まれ、天皇の子どもとして育てられるうちに、自然とできるようになる。そういうことではないかと思った。
秋篠宮さまも同様だったのだ。儀式が始まる前、控える秋篠宮ご一家の映像が長く映っていたが、
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