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イスラエルは「スタートアップ」だけではない

障がい児施設と小児心臓手術病院を訪ねて

徳留絹枝 ブログ「ユダヤ人と日本:理解と友情の架け橋のために」管理者

 ハイテクの躍進で「スタートアップ国家」(起業国家)と呼ばれるようになったイスラエルと日本の経済交流拡大は、ここ数年目を見張るものがある。外交面でも、安倍首相とネタニヤフ首相が相互訪問し合って以来関係が深化し、安全保障面での協力が進んでいる。一方、日本を訪れるイスラエル人観光客も増え、両国間の交流はかつてなかったほど広がりつつある。来年3月から東京―テルアビブ間に就航するEL AL(エル・アル) 航空の直行便も、この流れを加速させるだろう。

 そんな中にあって、日本に伝えられるイスラエルに関する情報は、以前からのパレスチナ関連と最近の経済関連の2分野に収束してしまっているようで、なかなかイスラエルという国の等身大の姿が見えてこない。そのような姿を伝える仕事は一夜ではなし得ず、時間もかかるだろうが、筆者はこの2年ほど、それに役立つと思えるエピソードを紹介するべく、イスラエルを訪れてインタビューを続けてきた。

 今回は、9月に訪問して取材した二つの団体を紹介したい。

一組の夫婦でスタートしたShalva

 今年5月、テルアビブで開催された国際歌謡コンテスト「ユーロビジョン」で、障がいを持つ若者で構成されたShalva Bandが世界中の人々を感激させた。

Shalva Band「ユーロビジョン」に出演するShalva Band=youtubeより

Shalva Band

 Shalva Band は、エルサレムにある障がい児施設Shalvaのミュージックセラピーの一環として結成されたが、今ではイスラエル国内はもちろん、世界中で演奏する人気グループに成長した。Shalvaは、ヘブライ語で「心の平安」を意味する。

 1990年、たった6人の障がい児を集めてスタートしたShalvaは、今や、知的・身体障がいを持つゼロ歳児から成人まで2000人に、多岐にわたるサービスを提供する世界最大の施設になった。

 乳幼児が母親と参加するセラピークラスは、障がいを持って生まれた子供の育児に戸惑う親に希望を与えることも目指す。幼稚園クラスは、教育者・ソーシャルワーカー・セラピストが一緒に作り上げ、健常児との交流もある。学童児の放課後クラスは、スポーツ・ドラマ・アート・音楽・水泳など、施設内の運動場やプールを利用してのプログラムだ。そして青少年に達した者には、調理師などの職業訓練を提供する。

 各種セラピーは、最新の学術成果を取り入れた内容で、研究者にとってもフィールドワークの場になっている。

Shalvaの活動を綴ったビデオ= Shalva 提供Shalvaの活動を綴ったビデオより=Shalva提供

Shalvaの活動を綴ったビデオ

 Shalva設立者のカルマン・サミュエルズ師(ユダヤ教のラビ)にインタビューした。

 私たちの次男ヨシは、11カ月の時に受けた予防接種に問題があり、視力と聴力を完全に失いました。知人の多くが、施設に預けてはと助言してくれましたが、妻と私はこの子を自宅で育てると決心しました。でも暗闇と沈黙の世界に閉じ込められた彼には、私たちとコミュニケートする術がなく、妻は夜よく泣いていました。
 奇跡が起こったのはヨシが8歳の時でした。視聴覚障がい専門のセラピストが、ヨシの手のひらにテーブルを表わすヘブライ語のスペリングをなぞっていると、彼は突然、それが彼が触っている物体の名前だと初めて理解したのです。ヘレン・ケラーが水とその名前を理解した瞬間と同じでした。
 その日を境に、ヨシの世界は一気に開かれました。他の教師が教科を教え、数年後には、正常な知能を持つ子供になったのです。
 そんなある日、妻が言いました。「私はかつて、ヨシを助けてくれるなら、私と同じような状況にある母親を助けることに余生を捧げる、と神様に約束していた。今こそそれを始める時だと思う」。
 私たちはアパートを借り、障がいを持つ子供6人を対象に放課後クラスを開始しました。やがて、人づてに私たちの活動を知った障がい児の親が次々にやって来たので、隣のアパートも借り、プログラムはどんどん拡大していきました。最終的には、400人もの子供たちにサービスを提供するようになったのです。
 2005年、イスラエル政府が私に相談に来ました。国が7エーカー(東京ドームの6割の広さ)の土地を提供するので、私たちが実施してきたプログラムをさらに多くの子供に提供して欲しいというのです。それで私たちは新しいShalvaセンター建設に取り組むことになりました。国も一部建築費用を出してくれましたが、残りはファンドレイジングしなければなりませんでした。
 妻と私が何より目指したのは、inclusionという思想です。Shalvaのサービスは、基本的に申し込み順で無料提供され、人種・宗教・家族の経済状況などによって差別することは全くありません。裕福な家庭は任意で寄付をすることができますが、それによって彼らの子供を特別扱いすることはしません。
 Shalvaでは今400人の職員が働き、この種の施設では世界最大です。世界から毎年5万人の見学者がやってきます。
 息子のヨシは43歳になり、独立してコンピューターの会社で働いています。

ブッシュ大統領を訪問したヨシさんとサミュエルズ師ブッシュ米大統領(当時)を訪問したヨシさん(中央)とサミュエルズ師(右から2人目)=サミュエルズ師提供

 サミュエルズ夫妻の固い信念の実現には、世界のユダヤ人コミュニティからの支援があった。現在は世界各地にShalvaの支援団体があり、その活動を支えている。

 サミュエルズ師の夫人マリキさんのアイデアが全館に取り入れられたShalvaは、正面がガラス張りで隅々まで陽光が差し込み、この施設で働くスタッフに多くのカップルが生まれて結婚したというエピソードが示すように、愛に溢れた場所だった。

Shalva の外観=筆者撮影エルサレムにある障がい児施設Shalva=筆者撮影

Shalvaのウエブサイト

一人の心臓外科医が始めたSave a Child's Heart

 パレスチナやアフリカの子供に無料で心臓手術を提供するSave a Child's Heartも、信念を持つ一人の個人によって開始された活動だ。

生前のコーエン医師=Save a Child's Heart 提供生前のコーエン医師=Save a Child's Heart提供
 アミ・コーエン医師は米陸軍の軍医だったが、派遣された韓国やサウジアラビアで、その地の子供たちに心臓手術を施した経験があった。1992年にイスラエルに移住。その後エチオピアの知り合いの医師から、難しい心臓病の子供の手術をイスラエルでしてくれないかと頼まれ、協力した。そしてアフリカの国々には、小児心臓外科医が少なく先端医療設備もないため、心臓病の子供たちを救えない場合が多いことを知ったコーエン医師は1995年、Save a Child's Heartを設立する。

 コーエン医師が心臓外科部長を務めていたテルアビブ郊外のウォルフソン医療センターが受け入れ病院となり、航空運賃も滞在費も手術費も全て無料で、ボランティア医師による心臓手術が行われるようになった。やがて彼の活動が広く知られるようになると、米国などの篤志家が寄付するようになり、運営も軌道に乗っていった。

コーエン医師の活動を紹介したビデオ

 しかしコーエン医師は2001年、キリマンジャロ登山中に高山病に罹(かか)り亡くなってしまう。存続が危ぶまれたSave a Child's Heartだが、

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