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必見! 成瀬巳喜男特集、絶品『乱れる』

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回は、成瀬巳喜男監督の最高傑作の1本、『乱れる』(1964)を取り上げたい(東京・神保町シアターの特集「没後50年 成瀬巳喜男の世界」での上映は終了したが、DVDあり)。戦死した夫に代わり酒屋を切り盛りする37歳の寡婦(高峰秀子)と、25歳の義弟(加山雄三)との“禁断”の恋を哀切に描く本作は、成瀬映画のエッセンスが凝縮されたような、涙なくしては観られないメロドラマの絶品だ。

――ヒロインの礼子(高峰秀子)は、夫が戦死し、夫の父親が病死して以後、静岡県・清水市の酒屋、森田屋を切り回している。時は映画の公開年と同時代の、高度経済成長期。スーパーマーケットの進出により、森田屋などの小売店の経営が悪化していった時代である(のちに見るように、こうした60年代なかばに小売店が直面していた社会的現実を、成瀬と脚本担当の松山善三は、礼子と義弟・幸司/加山雄三の恋愛劇に巧みに絡めている)。

 礼子は義母(三益愛子)とその息子の幸司と同居しているが、二人の女性の心配の種は、店の経営難だけでなく、幸司が毎日ブラブラ遊び歩いていることだった。会社を辞めた幸司は鬱屈した心を抱えたまま、マージャン、パチンコ、喧嘩、女遊びにうつつを抜かしていたが、そんなある日、礼子は、幸司が素行の良くない女(浜美枝)と付き合っていることをなじると、彼は突然、礼子への愛を告白する。礼子は驚き、動揺するが、それ以後、二人の仲は気まずくなり、言葉のやりとりもぎこちなくなる(このあと二人の関係はどうなるのか、というサスペンスが、見る者の興味をくすぐる卓抜なプロットポイントだ)。

高峰秀子=1962年多くの成瀬巳喜男作品に出演した高峰秀子=1962年

美しい繊細な演技の高峰秀子、別人のような加山雄三

 幸司の礼子への愛は、いかに純粋なものであろうと、世間の常識に照らせば――そしてそれを規範として内面化している礼子にとっては――許されない逸脱であるが、そのような禁忌に触れる恋愛、およびそれをめぐるジレンマ/葛藤こそ、古典的メロドラマ映画がしばしば切なく甘美に描いてきた情動だ(それはたとえば、メロドラマの巨匠、ダグラス・サーク監督の傑作群に顕著である)。

 やがて礼子は、幸司の告白を拒絶するかのように、また、いずれ彼が森田屋の主人になることを願って、実家へ帰ることを決意するが、帰郷の列車内に彼が現れる。最初はたじろいだ礼子だったが、次第に彼女の表情は変化をみせる。礼子の義弟・幸司への親愛の情が、徐々に彼に対する恋情へと変じてゆく最大の見せ場のひとつだ。

 すなわち、列車が礼子の故郷・新庄へ近づくにつれ、彼女の面差(おもざ)しは、しっかり者の義姉の顔から恋する女のそれへと変化するのである(映画の後半で礼子が二度反復する、わたしだって女ですもの、幸司さんに好きだって言われたとき、内心では嬉しかったわ、というセリフが心に染みるが、この礼子のセリフは、潜在的には彼女も幸司に好意を抱いていたことを示すものだろう)。

 そして、礼子の帰郷が恋の<道行き>に転ずるこの一連で、とりわけ観客の不意をつくのは、礼子が世間のしがらみを吹っ切るように、自分から大石田で途中下車しようと幸司に言い出し、二人は温泉宿に泊まることになる、という展開だ(大石田は新庄に近い、山形県の町)。しかしながら礼子は、幸司への恋愛感情と規範意識との葛藤から逃れられない。そして、二人の恋は悲痛な結末を迎える……。

 だがそれにしても、“許されざる恋”に目覚める高峰秀子の、不安や戸惑いや喜びを表す繊細な演技はなんとも美しいが、

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