彼は音楽ができる人なら誰にでも優しく接し、そして誰よりも美しく奏でた
2020年01月05日
アメリカのコロラド州。周囲を赤い岩に囲まれたロッキー山脈の麓。まるでアメリカの映画にでも出てきそうな、何マイル先まで何もない田舎のモーテルだった。
訪れる時期が毎年かわらず6月中旬なのは、一年に一回、韓国からアメリカに養子縁組で渡米した子どもたちのルーツ探しのキャンプ(ヘリテイジ・キャンプ)が開催され、私は韓国伝統音楽のワークショップをしに行くからだった。
およそ20年位前、「スルギドゥン」という韓国国楽室内楽団で、いかにも映画に出てきそうなアメリカのモーテルに泊まった。そして事件が起きた。
1日のスケジュールを終えて、15人くらいで、2階にある一つの部屋で楽しく打ち上げていた。
さすが韓国のミュージシャンたち、よく飲む!!
2時間、3時間……時差も相当あるのに、宴会は終わらない。まだ私は20代で、その中では下から2番目に後輩であり、根をあげることはご法度で、負けずに、頑張った。
その時。部屋に強いノックが。
モーテルのマネージャーだった。
私たちは、てっきり打ち上げで騒ぎすぎて、周りから苦情がきたのだと思った。
だが、違った。
マネージャー曰く、「絶対に外には出ないでください!い、今、外で銃を持った人が、ホテルの前にいますから!!」。
えっーー!! なに――っ!!! アメリカー!!
えらいこっちゃ、と思った。
よく聞いてみると、以前、このモーテルの従業員だった人が、クビにされて、それに腹を立てて、1階のロビーの外で銃を構えておどしているということだった。
もう、びっくりして、みんな一瞬凍った。
けどけど、なんと、なんと! 打ち上げの最中、部屋の中なら安全!と、それでもみんな飲み続けた。
間もなく、アメリカの何台ものパトカーのサイレン音。
警察来たから、もう大丈夫だよ!なんて、言いながら打ち上げは終わらない。
その時である。
スルギドゥンのリーダー、イ・ジュノさん。彼は格別のお酒好き。業界でも超有名。
「ヨンチ!ロビー行って、ビール買って来い!」と。
「いや、あの、イ・ジュノ先輩、お話聞いてませんでしたか? 外には出るなと……」
「知ってる! それがどうした! 大丈夫や! 弾くらいよけれる! 早く行け! ビールがない!」
韓国の業界は上下関係が鉄則!! こうなると、どうにもならない……。
意を決し、私はビールを買いに行くことに。
私は、四つん這いになって、2階の外廊下を進み、階段を下り、ゆっくりと、1階のロビーまで。ロビーに着くと、ロビーの従業員が「何してるんだ! 部屋にいて!」。
「ち、違うんです。ビール、ビール買いに来ました」
「オーマイガッ!!」
「そう、オーマイガッ! でも酒持って行かないと、私も殺される……」
それでも、ビールを10本くらいもらって、帰りも四つん這いで、2階の外廊下を這っていると、銃声が!! 思わず、地面に寝転んで、そしてピューマ並みの速さで、部屋にかえった。
――その銃声は、その元従業員がその場で自殺した銃声だった。
そんな現場で私にお酒を買わせに行かせるイ・ジュノ先輩。私の大大大好きな先輩だった。
最近、私も年をとったのでしょう。
周りで仲の良かった知人たちがよく亡くなる。
2019年は特に多かった。無形文化財だった、打楽器奏者の先輩や、大好きだったミュージシャンの先輩、そして先生方。
先輩も2019年、突然逝ってしまわれた。
私もスルギドゥンに9年在籍したし、その後もKBS国楽管弦楽団で、たくさんご一緒した。国内はもちろん、海外公演もたくさんご一緒した。だから彼とは、30年くらいのお付き合いになるでしょう。高校も同じところで、国立国楽高等学校。元李王朝雅楽部養成所だ。僕は29期、イ・ジュノ先輩は19期。ちょうど10歳差である。
専攻も一緒のテグム(大笒:長い横笛)だった。
国立国楽高等学校は、非常にきびしい学校なので1つ先輩でも天のような存在。2つ先輩なんかは宇宙と思って慕わなければならなかった。彼は10年上だから、今の流行語でいう「神」みたいなものかな。それでも、彼は普段からそんなことはあまり気にせず、私に優しかった。
私にだけではなく、音楽ができる人なら誰にでも積極的に接してくれた。
特にソグム(小笒:短い横笛)という楽器。テグムがフルートなら、ソグムはピッコロ。イ・ジュノ先輩はこのソグムの達人でもあった。
韓国の国楽器は、楽器自体がおよそ700年前から改良されていなので、音程(ピッチ)を合わすのが超難しい。伝統音楽はもちろん、まして現代音楽は個人の繊細な技量を必要とする。けど彼はPOPソングも、難なく誰よりも美しく奏でた。
10年前くらいの2月ごろかなあ? 彼と一緒にベトナム公演に行った。ハノイと、ダナン公演。スルギドゥンと、K-POP歌手とベトナムのミュージシャンでベトナム・ツアー公演だった。
確か、ベトナムと韓国の国交回復50周年の行事で(韓国はアメリカ軍と一緒にベトナム戦争に参加していた)韓国からはベトナム戦争の時に将軍だった退役軍人も一緒だった。
全行事を終え、ダナンの夜の海辺で海を見ながら、ビールを片手に楽しく打ち上げていた。
2月のダナンの波は、怖いくらいに非常に高かった。
その時、元将軍が、「昔、ベトナム人は、この高い波を小さな船で超えてボートピープルになったんだよ」。
また彼は「ほぼ50年ぶりにベトナムに来たが、心が痛い。自分の部下もたくさん亡くなったが、自分もベトナムの人をたくさん殺したよと」。
元将軍は夜の海の遠くを見ながら、涙を流されていた。
僕らは、ホテルの部屋から各楽器を持ってきて、霊を慰めるための儀式音楽を「クッ(韓国シャーマンの儀式」を海辺で一晩中奏で歌った。
かけがえのない素晴らしい思い出である。
今日、私は、イ・ジュノ先輩を思い出し、一杯することにします。
では、今日はここまで。
P.S.
2020年 ミンヨンチ&トライソニーク ジャパンツアー決定!!
2/7 名古屋 ジャズイン・ラブリー
2/8 大阪 ミスターケリーズ
2/9 京都 ライブスポット・ラグ
2/11 東京 六本木・サテンドール
各ハウスにご連絡を!!
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