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今時音大生の師匠はユーチューブ

大学のワークショップで特別講義して思い出したあの苦しい日々

ミン・ヨンチ ミュージシャン 韓国伝統音楽家

 総合芸術大学というところから「打楽器専攻の学生12人と一緒に、ワークショップを行って、10分ほどの新しい作品を作ってほしい」と私に連絡が来た。

 はい! お安い御用でございます! 得意分野でございます!

 それで、国楽科打楽器専攻者たちへの、特別講義を1週間ほど行った。

 韓国の大学は1月、2月は冬休みなので、その間、各大学から打楽器を専攻する学生たちが、1週間のワークショップを行い、3月の学期初めに発表会を持つことがまれにあります。

 最近の学生はみんな上手!! 私たちの時代より、技術も上。

 私が、「誰から習ったの?」って聞いたら、「ユー先生です」。

 「ユー先生?」

 韓国打楽器界にユー先生っていたかなあ?って思っていたら、「ユーチューブです。だから、ユー先生」。

 うまい! おもろい!

 いや、そうなのです。最近の学生たちはみんなユーチューブから音源を得ています。

 これはすごいことですよね。探す速度も速いし、何よりタダ。

Garfieldbigberm/Shutterstock.com

 私たちの時はというと、伝統の音源はほとんどなく、師匠の稽古の時間を頭で記憶する。そして、生の公演を沢山見に行く。この方法しかなかったんです。

午前1時からの席取り競争

 思い起こせば1986年4月に渡韓。国立国楽高等学校で、朝の5時から夜の11時まで勉強と練習の日々を重ね、ソウル大学へ。そして大学院。死ぬほど練習したし、勉強しました。死ぬほどね。

 音楽の練習は苦ではなかったけど、学問がきつかったなあ……(なぜなら音楽はできたから、フフフ)

 高校3年にもなると、受験を控えて、教室の席取り合戦が必死。その日の1日の席を、朝早く来た順から選べるのですよ。

 だから、僕が朝5時に行ってももうすでに後ろの方。一番最初に来た子は、1時、2時くらいに来ていた。

 えーー!! 午前ですよ、1時 2時!!

 毎日夜11時まで、一緒に学校で勉強していたのに。彼らは、家には1度戻って、シャワーして、仮眠とったくらいで、また学校に来ているのです。

 こんなのが毎日続く。

Chinnapong/Shutterstock.com

 ある、女の子なんかは、片方の眉毛を剃った。

 どうして?!って。それはね、家と学校以外の場所に、行かないようにするためです。

 女の子が、眉毛を片方剃ってたら、恥ずかしくて外に出られないでしょう……

 信じられませんが、そういう作戦なりなんなり、皆ホント必死です。

 みんな弁当は3つ持ってきてる。朝、昼、夜の分です。

 カバンも何十冊の教科書が入っていて、重たい、重たい、それに各自の専攻の楽器も持ってるし。

 あーー、思い出しただけで、逃げたくなる……。当時も毎日逃げたかった。

 「日本に帰ってやる、絶対に帰ってやる!」

 って思ってた。3年間。

 夏休みや、冬休みに日本に帰ったら、中学の友だちらが、バイトをしながら、自由に遊んでるのを見て、本当に羨ましくて、2度と韓国には戻りたくなかった。

 けど、やはり、父母が一生懸命に小さな焼き肉屋で、汗水たらして稼いでくれているのがいつも頭によぎったので、やめなかったんだろうなあ。

「日本に帰ってやる!」と思う日々

 高校の真横には国立劇場がありました。

 その劇場の1階には当時、大きなレストランがあって、大型バスも駐車でき、大人数が一度に食事ができるので、日本から修学旅行で昼食を取りによく来ていたんです。

 私はというと、海外から昔も今も、初めて韓国国立国楽高等学校に入学した「外国人」(在日だけどね)。しかも、毎日「日本に帰ってやる!」と思っていた学生。

 私の勉強している傍ら、真横のレストランにやって来る、たくさんの日本からの修学旅行生たち! これが窓越しによく見えるんですよ。

 これが一番つらかった。これが天国と地獄を、見せられている気分なのだ!

 今すぐに、自分の高校から脱走して、日本の修学旅行生に紛れ込んで、日本に帰りたかった……せめて、せめて、おしゃべりだけでもしてみたかったが、高校の外に出れるはずもなく……本当につらかったなあ。

 こんなこともありましたよ。

 国楽高等学校はソウルの南山の中腹にあって、土曜日だったかなあ、試験期間だったかな、とにかくお昼か夕方くらいだった。

 たくさんの学生たちが一斉に南山をくだっていると、あるバックパッカーの方が、観光書を片手に私に声をかけてきたのだ。結構な人数の学生が下校している中、その人が初めて声をかけたのが私。それで道を尋ねられた。

 Where is Korean House?

 見ると観光書が日本語だったので、私はすぐに日本語で「日本語大丈夫ですよ。」って。そしたら、「よかったー。道に迷って困っちゃって」。

 「コリアンハウスは全然違う方向、僕が案内します」

 彼は多分、地下鉄の出口を間違えて、全く違う方向へ。しかも南山の方へ登ってきたのです。途中で気づいた彼は、たくさんの生徒の中で私に声をかけたのである。

 不思議でした。今や、日韓の間には観光旅行者が沢山増えましたが(ちょっと最近はアレやけど……)、当時は本当に少なかったんですよ。

 2~30分は一緒に歩いたと思います。楽しかったなあー。

 多分高校時代で私がちゃんと日本語で会話したのは、その時だけだと思う。連絡先も何もいただかなかったから、お名前も何も分かりませんが、お元気かなあ? 

 あの時は本当に、うれしかったんです! 迷ってくれて、ありがとう。

 こんな厳しい時期があったので、今があります。

 今は、ユー先生のようですが、私は、あの時、師匠に師事した事は忘れません。

 また、あんな苦労した時代があったので、今、周りがしんどいって言う事も、私、あまりしんどくない事の方が多いのです。

 今日はここまで。

P.S.
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2/7 名古屋 ジャズイン・ラブリー
2/8 大阪 ミスターケリーズ
2/9 京都 ライブスポット・ラグ
2/11 東京 六本木・サテンドール
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