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「ふつうの」展覧会ができるまで【上】

春の府中に「美しい絵」が勢ぞろい、その裏側をたっぷり

金子信久 府中市美術館学芸員(日本美術史)

 美術ファン注目の府中市美術館の展覧会「ふつうの系譜」が3月14日から始まります。その開幕を前に、展覧会を企画した同美術館学芸員の金子信久さんが準備の日々を2回に分けてつづります。「論座」では2月15日に、金子さんを講師にトークイベント「江戸絵画の楽しみ」を開きます(詳細・申し込みはこちら)。なお、掲載している絵画作品はいずれも、「ふつうの系譜」に出品される(会期中に展示替えあり)、福井県の敦賀市立博物館の収蔵品です。

今年の春は「ふつう」がテーマ

「ふつうの系譜」展のポスター
 毎年春に府中市美術館で開催してきた江戸絵画の展覧会は、2019年の「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」で15回目。ありがたいことに、毎回来てくださる方もいるし、2012年から冠するようになった「春の江戸絵画まつり」というシリーズ名を覚えてくださっている方も大勢いて、企画担当者としては、ただただ嬉しい。

 さて、16回目となる今年のテーマは「ふつうの系譜」(3月14日~5月10日)。

 もちろん、美術史家、辻惟雄(つじ・のぶお)氏の著作『奇想の系譜』や、この本をもとに、昨年、東京都美術館で開催された「奇想の系譜展」に引っ掛けて付けさせていただいたタイトルである。

 サブタイトルは、〈「奇想」があるなら「ふつう」もあります─京の絵画と敦賀コレクション〉。

 メインタイトルと合わせると、ひと昔前の2時間ドラマ並みの長さだが、もちろん、それを狙ったわけではない。「ふつうの系譜」だけでは何のことだかわからないと思い、必要な説明を付けたら、長くなってしまったのである。

 開幕まで1カ月となった今、ネットの反応や、色々なやりとりから感じるのは、このおかしなタイトルが、やや一人歩きしているかもしれない、ということである。これは少し不安である。タイトルのウケの良さだけに頼らずに、展覧会で見てほしいこと、考えてほしいことを、自分の中でもう一度、落ち着いて確認する必要があるようだ。

 そこで、この機会に、私自身が出発点に戻るつもりで、展覧会のここまでを振り返ってみることにした。

不入りは覚悟、珠玉の「ふつう」を見せたい

レトロな内装が美しい、敦賀市立博物館の展示室

 この展覧会は、はじめからタイトルがあったわけではない。あったのは、とにかく展示したい作品である。福井県の敦賀市立博物館所蔵の、江戸時代から近代にかけての日本絵画のコレクションである。今回の展覧会では、「敦賀コレクション」と呼ばせていただいている。

敦賀市立博物館
 敦賀市立博物館は、昭和初期の銀行の建物を使った施設で、建物は重要文化財に指定されている。近年、大掛かりな修理も行われて、賑わう港町敦賀のシンボルだった、かつての美しく豪華な姿を見ることができる。重厚、かつ、しっとりとして静かな空気を湛えた、ロマンティックな空間だ。

 そんな中で、歴史、民俗、考古、そして美術を専門とする学芸員が中心となって、展覧会や研究が行われている。近年では、敦賀にゆかりのある、幕末の天狗党をテーマにした展覧会も開かれた。コアな幕末史好きには、たまらない企画だろう。

 美術の展示では、300点を超える日本絵画のコレクションを活用して、例えば19年は、近代の敦賀の文人画家、内海吉堂(うつみ・きちどう)の展覧会が開催されている。内容の濃い、この画家の魅力と深みがよくわかる展覧会だった。

 実はこれまでも、春の江戸絵画まつりでは、その都度テーマにあった作品を敦賀市立博物館からお借りしてきた。しかし、そうしているうちに、敦賀コレクションそのものを、もっと大勢の方々に知ってほしいと思うようになってきた。それが今回の展覧会の出発点である。このコレクションが持つ、今の時代の流行からは程遠い非常に強力な個性を、あえて今、世の中に問いかけたいと考えたのである。

 昨今、江戸時代の絵画は人気がある。とはいえ、それを引っ張っているのは、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)や曽我蕭白(そが・しょうはく)ら『奇想の系譜』に取り上げられた画家と、昔から変わらない大衆的人気を誇る浮世絵師だ。もちろん、尾形光琳(おがた・こうりん)らの琳派や、池大雅(いけの・たいが)や与謝蕪村(よさ・ぶそん)らの文人画も有名だし、人気もあるが、日本美術や美術館などあまり興味がないという人をも惹(ひ)きつけているのは、「奇想」の画家たちだろう。

 ところが、敦賀コレクションには若冲や蕭白の作品は一点もないし、宗達(そうたつ)も光琳もない。浮世絵も、何点かの肉筆画を除けば、ほぼコレクションの対象外だ。

 では、どんな作品があるかというと、江戸時代の絵画では、土佐派などのやまと絵や、狩野派、円山四条派の作品が中心である。明治時代の絵画も、横山大観(よこやま・たいかん)や竹内栖鳳(たけうち・せいほう)ら、新しい時代の日本画ではなく、古いスタイルに縛られ続けた画家たちのものばかりだ。

 「奇想」や浮世絵ばかりが注目される今だからこそ、このコレクションのオーソドックスな華やかさや渋い輝きを、世に問いかけたいと思ったのである。もちろん、展覧会のある程度の不入りは、覚悟のうえである。

「ふつう」は「平凡」じゃない

岸駒「猛虎図」
 こんな展覧会を開催したいと敦賀市立博物館に申し出たのは、一昨年のこと。展覧会でお借りした作品の返却に上がった時のことである。大それた計画なので、まずはそれとなく打診してみようと思い、収蔵庫での作業が終わった時に、恐る恐る話してみたところ、前向きな感触を得ることができた。そこで、開催時期や準備の進め方などを練って、改めて敦賀を訪問し、具体的な提案をさせていただいた。

 こんなふうにして、敦賀コレクションの展覧会の開催が決まったわけだが、タイトルが「敦賀市立博物館所蔵品展」では、いささか地味だ。ぜひ見てほしいものがあっての企画なのだから、それを端的に表す言葉はないものか、これにはずいぶん長い間苦心した。

 アイディアが出てくるのを期待して、出版関係の人などに、「こんな感じの展覧会なんですけど……」と、いくつかの作品の図版を見てもらったりもした。けれども、見た瞬間に黙ってしまう。

 見れば「平凡な絵だなあ」と顔に書いてある。パッと、派手な個性で人を惹きつける作品ではないからだろう。

 ところがある時、スタッフの一人から「ふつうの系譜というのは、どうですか?」というアイディアが飛び出した。

 私も一瞬でまいってしまって、即座に「奇想でなければ、ふつう……なんて素晴らしいタイトルだろう。何としてもこの案を通したい」と心に決めた。

 「ふつう」は、もちろん「平凡」ということではない。きれいだったり楽しかったりするのが美術だとすれば、その本来の姿、つまり、ふつうのあり方がぎっしりと詰まっているのが、敦賀コレクションなのである。

 タイトルが決まれば、次は作品選びである。府中市美術館で展示できるのは、前期と後期の展示替えをしても、せいぜい100点。300点以上のコレクションから、作品を絞らなければならない。そのリストアップは私がさせていただき、ようやくリストの原案ができたのが、昨年8月の末である。

浮田一蕙(うきた・いっけい)「隅田川図」

(次回に続く)