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シブがき隊、少年隊、そして光GENJIブーム

太田省一 社会学者

 1980年代に入り、たのきんトリオの登場によって復活したジャニーズ。その後も多くの人気アイドルを生み、男性アイドル界における一大勢力となっていく。1980年代のジャニーズの動向については前回すでに少しみたが、今回は改めてSMAPの誕生までの流れをたどってみたい。

テレビをホームにしたシブがき隊

 たのきんトリオに続いてデビューし、人気を集めたのが、同じ3人組のシブがき隊である。

 デビューの経緯も似ていた。シブがき隊は、『3年B組金八先生』と同じ枠で放送された学園ドラマ『2年B組仙八先生』(TBSテレビ系、1981年4月放送開始)への生徒役出演をきっかけに結成された。不良タイプの薬丸裕英、王子様タイプの本木雅弘、優しい感じの布川敏和という3人のバランスも、たのきんトリオを思わせる。

 1982年「NAI・NAI 16」で歌手デビュー。2曲目の「100%…SOかもね!」で同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。このときはセンターのポジションが薬丸だったこともあり、彼らの楽曲には当時トレンドだったツッパリの要素を感じさせるものが少なくなかった。ただそうした場合にも「ジタバタ するなよ! 世紀末が来るぜ!」(「NAI・NAI 16」)のようなちょっとコミカルな風味のフレーズが散りばめられていて、そこが近藤真彦ともまた異なる個性になっていた。

 シブがき隊の同期には小泉今日子、中森明菜、松本伊代、堀ちえみ、早見優、石川秀美ら人気アイドル歌手も多く、「花の82年組」と呼ばれた。彼らの活躍の背景には、ジャニーズということ以外にそうしたアイドル全盛期の到来があった。

 それらアイドル歌手たちの人気を支えていたのが、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)や『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系)などのテレビの音楽番組である。たのきんトリオや松田聖子から始まって、1980年代前半はテレビとアイドルの関係が一心同体と言えるほど密接になった時期だった。当然「花の82年組」の活動の主舞台もテレビであった。

 そのなかでシブがき隊は、すでに片鱗を見せていた薬丸裕英のMCの才や本木雅弘、布川敏和それぞれの個性もあり、『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)のようなバラエティ色の強い番組などでも広く活躍した。その点でも、彼らは『たのきん全力投球!』(TBSテレビ系)などバラエティでも人気だったたのきんトリオの流れを継いでいた。シブがき隊は、テレビをホームグラウンドにした典型的なジャニーズアイドルだった。

本木雅弘さん名優としても安定感を発揮する元シブがき隊の本木雅弘さん=2015年

少年隊によるミュージカル路線の継承

 そうしたなか、少年隊が1985年にメジャーデビューを果たす。

 元々「少年隊」は、当時ジャニーズJr.の総称として使われていた名称だった。そして1981年、テレビの音楽番組出演のために選ばれた3名による「ジャニーズ少年隊」が結成される。その後、オリジナルメンバーだった錦織一清と植草克秀、さらにメンバー交代によって加入した東山紀之の3名によって現在の少年隊が誕生した。

 彼らのダンススキルと歌唱力は当初から評価が高く、正式な歌手デビュー前に単独で『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に出演したり、コンサートを開いたりもした。ここまで何度かふれてきたように、ジャニーズJr.の仕組みはファンに“先物買い”の発見をする楽しみをもたらす。その効果が最大限に発揮された例のひとつが、少年隊であった。

 したがって、少年隊のレコードデビューは

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