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俳句とはどういう詩なのか――川本皓嗣『俳諧の詩学』を読む

松本裕喜 編集者

 『俳諧の詩学』(川本皓嗣、岩波書店)という書名に少しひるむところがあったが(詩学とか韻律・音数律は難解なところがある)、人から薦められて読んでみた。

 冒頭に置かれた対話形式の「俳句の『意味』とは――序に代えて」がすばらしい導入部になっている。

 川本によれば、詩の特徴は表現の意外性と意味の不確定性だそうだ。たとえば『おくの細道』に出てくる芭蕉の句、

 田一枚植ゑて立ち去る柳かな

 で、田を植えているのは誰なのか、立ち去るのは誰なのか、すぐに判断がつくだろうか。

 田を植えているのは地元の早乙女で、西行ゆかりの遊行柳の下で懐旧に浸っていた芭蕉が思いを残しながら立ち去るとの解釈が定説のようだ。

遊行柳の碑栃木県那須町遊行柳の碑=栃木県那須町

 しかし尾形仂(つとむ)は、謡曲『遊行柳』のワキ僧のように柳の精や西行の跡を訪ねてきた芭蕉が、せめてもの手向けにと早乙女たちと一緒に田を一枚植えて立ち去ったのだと解釈する。

 (川本は取り上げていないが)ほかに、柳の精が現れて田を植えて立ち去ったとする解釈もある。

 いずれの解釈もありうる。芭蕉もわざとそう仕向けている。俳句は片言だから意味がよくわからない、決められない、そういう表現の持つ面白さに芭蕉は賭けていたと川本はみる。そして俳句の妙味は、表現と解釈のあいだを行ったり来たりする往復運動(芭蕉の言葉で「行きて帰る」)にあるというのだ。

短詩型とは何か

 俳句や短歌は短詩型文学といわれる。西洋の詩は一般に長いものが多く、一番短い定型詩がソネット(14行詩)で、それ以下の作品はエピグラム(寸鉄詩)やリメリック(5行の定型詩)など風刺か軽妙の詩とみなされる。明治の初めに東京大学で教えたイギリスの日本研究家チェンバレンもはじめは俳句を「まじめ」なもの(まともな詩)とは考えなかったという。

 アメリカの詩人・小説家のポーは、一度に読み切れないほど長い詩は「真の詩的効果」を損なうので好ましくないと説き、詩のエッセンスは短詩のほうにあると指摘した。

 俳句のような短詩が片言で読者の関心をそそり、想像の翼を広げさせる例として、著者は20世紀フランスの詩人ジャン・コクトーの短詩「耳」を紹介する。

 私の耳は貝の殻
 海の響きをなつかしむ (堀口大学訳)

 この詩の意味するところは、貝殻は故郷の海辺を恋しがるはずだ、その貝殻にそっくりの私の耳も、海を愛し、海のざわめきを懐かしく思っている、と解釈できる。しかし川本は、この詩の語り手は、自分の奥でざわざわする耳鳴りを懐かしい潮騒と聞きそれを懐かしんでいるのではないかと想像する。

 このように何通りもの解釈が生まれるのが短詩である。短詩、なかでも俳句は、テクスト(もともとの俳句)とそれを読み取る読者との共同作業で生み出される。俳句の作者の仕事は、17字のなかに何かを「述べる」、あるいは「いひおほせる(語りつくす)」ことではなく、読み手を「夢見させる」ための言葉の装置を組み上げることにあると川本はいう。

芭蕉とボードレール

『俳諧の詩学』(川本皓嗣、岩波書店)川本皓嗣『俳諧の詩学』(岩波書店)
 俳句で何を詠むかについては、ボードレールと芭蕉を比較した「『不易流行』とは何か――芭蕉とボードレール」の章が示唆に富む。

 「不易流行」は芭蕉俳句の基本理念のように言われるが、芭蕉本人はこの言葉について何も言っていないらしい。弟子たちの伝えた芭蕉の言葉からさまざまな解釈が取りざたされてきたが、いまは「不易(変わらないもの、普遍性)」と「流行(刻々に変化するもの・こと)」を対立するものではなく表裏一体の根本原理だとする見方が有力だという。

 川本はこの「不易流行」を明らかにするためにボードレールの『現代生活の画家』(1863年)という美術評論を引く。

彼がねらっているのは、流行(モード)という歴史的なものから、そこに含まれ得る限りの詩的なものを引き出すこと、つまり一時的なものから永久的なものを引き出すことである。……目まぐるしく移り変わる刹那的な、つかの間の要素を軽蔑したり、ないがしろにしたりする権利は、誰にもない。もしそれを取り除いてしまえば……抽象的な空疎な美……に脱するほかはない。

 これを芭蕉の言葉に置き換えると、

 新しみは俳諧の花なり。(『三冊子』)
 妙句の古きよりは、あしき句の新しきを俳諧の第一とす。(『山中問答』)
 乾坤(天地)の変は風雅(文芸)の種なり…動ける物は変なり。(『三冊子』)
 天地流行の俳諧あり。風俗流行の俳諧あり。(『聞書七日草』)

 となる。芸術の素材は天地の「変」、すなわち「動ける物」にあり、その一瞬の変化を即座にとらえることに芸術の命があるというのである。

 ボードレールも芭蕉も、「流行」のなかに身を置き、そのたえざる変化を見届け、書き留めることに「不易」を見ていたということだろうか。

俳句とイマジスムの詩

 イマジスム(イメージ中心主義)は1910年代にイギリスで流行した近代詩運動だが、俳句とイマジスムの詩には多くの共通点があるという。1.極端に短い、2.二つの異質な観念(イメージ)を重ね合わせる技法(俳句でいう「取合せ」、パウンドの言葉で「重置法」)を重んじること、3.記号学者ウンベルト・エーコが説く意味で「開かれている(読者にゆだねる解釈の幅が極めて大きい)」ことである。

 イマジスムの主導者エズラ・パウンドは「地下鉄の駅で」という詩で、

 人ごみのなかに、つと立ち現れたこれらの顔――
 黒く濡れた枝に貼りついた花びら。 (川本訳)

 と詠んだ。地下鉄の駅で見かけた女性たちの白々とした美しい顔のイメージを「黒く濡れた枝に貼りついた花びら」と譬えているわけだ。

 しかし川本によればイマジスムの作品は十分に読者に「開かれて」はいなかった。言葉の短さゆえにその意味が全く理解できない詩も出てきて、イマジスムの詩人たちの運動は数年で終わってしまった。

梅の花=熱海市梅の花=熱海市

 一方俳句の場合は、さまざまな解釈を許すものの読者に道しるべ(一定の意味の方向づけ)を用意している。たとえば芭蕉の句、

 やまざとはまんざい遅し梅花

 の「やまざとはまんざい(万歳)遅し」を川本は「基底部」(読み手を引きつけながら、それだけでは全体の意義の方向づけをもたない、行きっぱなしの句)と呼ぶ。そして「梅花(うめのはな)」を「干渉部」(その基底部に働きかけて、一句の意義を方向づけ、示唆する部分)と呼ぶ。

俳句の核心は、「基底部」にある。読む側からいえば、一句全体の意義をどうこう言う前に、まずことば続きの意外さ、面白さによって、無条件にその句の世界に引き込まれるのがこの部分である。……一句のたねは基底部にあり、句の出来は何よりもまず、基底部の切れ味いかんにかかっている。そして意義はあとからついてくる。その意義を生み出すのが「干渉部」である。……基底部のはらみ得るさまざまな意義のうち、ある種のものに読み手の注意を引いて、そちらへ最終的な方向づけを果たすのが、干渉部の役割である。(川本皓嗣『日本詩歌の伝統――七と五の詩学』岩波書店)

 「基底部」「干渉部」という言葉は川本の造語だと思う。干渉部には「梅花」のように季語(または名所)=詩語があてられることが多いという。歴史のなかで培われてきた季語や名所などの「詩語(=歌語)」があるからこそ俳句は詩の形式として独立できたと川本はみる。

 ただ平成の名句とされる、「おおかみに螢が一つ付いていた 金子兜太」「水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子」のような句に「基底部」「干渉部」の仕分けができるだろうかとの疑問も残った。「俳諧」と「俳句」では詠み方がそれだけ違うということだろうか。

 このほか、連歌から俳諧連歌、芭蕉、蕪村、一茶、そして子規までの「切字」をみわたしたうえで、切字は句をどこできるのか、何の役に立つのかを問いかけた「新切字論――連歌から芭蕉、現代俳句まで」、『おくの細道』の冒頭部分を精読した「芭蕉の旅――『おくの細道』冒頭の隠喩」などの充実した論考も収められている。

高山れおな『切字と切れ』(邑書林)高山れおな『切字と切れ』(邑書林)
 「新切字論」は切字を歴史的に考察した労作だが、現代俳句の切字・切れ問題については、2019年に出た高山れおな『切字と切れ』(邑書林)を併せ読めば参考になる。俳句にとって切字は本当に必要なのか、「や」「かな」「けり」は切字としてよりも文体や修辞とみなすべき言葉ではないのか、また「切れ」は句の解釈によってどうともとれる曖昧なものではないかと、これまでの通念に根本的疑義を呈した本だ。

 俳句実作の現場は、「文学」というよりも「たしなみ」「習い事」というか広い意味での「遊び」の側面が強いような気がする。しかしこれも川本の言うように、「俳句というのは、ことばが本来もっている意味の不確定性そのものを表面化し、強調し、読者に痛感させることを、いちばんの付け目とする遊び、といって悪ければ、芸術」と理解すべきなのかもしれない。「遊びをせんとや生まれけむ」と歌った歌謡もあることだし……。

 現代俳句についてはほとんど触れられていないが、比較文学者が短詩型文学としての俳句を世界文学のなかに位置づけた画期的な本だと思った。  

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。