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新型コロナに直撃されたブロードウェイ

全公演中止、ニューヨーク劇場街の灯が消えた

高橋友紀子 演劇ライター

 世界各地で猛威をふるう新型コロナウイルス。アメリカでも感染が広がり、中でも東部ニューヨーク州で感染者が急激に増え、3月25日時点で30000人を超えた。経済、文化、観光の中心地であるニューヨーク市では、人影が消え、街の象徴であるブロードウェイの劇場の灯も消えている。かつてない事態と直面する劇場街のいまを、現地から高橋友紀子さんに伝えてもらう(写真はいずれもニューヨーク・マンハッタンで高橋さん撮影)。

劇場街閉鎖、経済的損失は計り知れない

劇場や飲食店が閉まり、人も車もまばらなニューヨークのタイムズスクエア

 アメリカ演劇の頂点、ブロードウェイ。マンハッタン中心部に位置する41の劇場で、日夜ミュージカルや演劇作品が上演されている。

 ニューヨークの活力のシンボルとして、2001年の同時多発テロの際も2日後に公演を再開した。その不屈のブロードウェイを新型コロナウイルスの感染拡大が直撃、前代未聞の長期の公演中止に追い込まれている。

 3月12日、ニューヨーク州のクオモ知事は、収容人数500人を超えるあらゆるイベントや集会を禁止し、500人未満の施設では収容定員の50%以下での運営を義務付ける行政命令を発令した。

 全劇場が500席以上あるブロードウェイは、その日のソワレ(夜公演)から全ての上演が中止となった。

 期間は暫定的に4月12日までとされているが、アメリカ全土、特にニューヨークの感染者の爆発的な増加が止まらない中、再開は早くても5月か6月になるのではという予想が現実味を帯びてきた。

 25日には、6月上旬に予定されていた演劇賞トニー賞の延期も発表された。新しい日程は、ブロードウェイ公演が再開してからの発表とされ、現時点では未定となっている。

 業界団体ブロードウェイ・リーグの発表によると、ブロードウェイの2018ー19年シーズンの観客総数は1480万人。興行収入は総額18億ドルにのぼる一大産業である。

 つまり1カ月公演を中止すると、興行収入だけで1億ドル以上が消えてしまうことになる。加えて、近辺の飲食店やホテルから、衣装のクリーニング業者に至るまで、劇場街と深く関わっている企業や商店、そこで働く人々の数は膨大だ。波及する経済的な損失は計り知れない。

 劇場に続いてレストランやバーも宅配やテイクアウトを除いて営業停止となり、22日夜からは医療機関や食料品店、銀行など生活に必要不可欠な業種を除く全民間企業の出勤禁止、住民の自宅待機も要請された。

 実質同じなのだが、「外出禁止令」という言葉をなぜか使いたがらないクオモ知事の表現を借りれば、ニューヨークはついに「一時停止 (on pause)」状態となった。

人気作が50ドルに、喜んだのもつかの間

『ウエスト・サイド・ストーリー』のリバイバル公演をしていたブロードウェイ劇場。2月に開幕したばかりで、斬新な演出が話題を集めていたが、いまは人影もない

 振り返れば、2月の終わりからの1カ月間で、ニューヨークは劇的に変化した。

 日本政府が大規模イベント自粛の要請を出した2月26日、ニューヨーク州ではまだ新型コロナウイルスの感染者は報告されていなかった。

 初の感染者が報告されたのは3月1日。イランへの渡航歴のある30代の女性である。その2日後、ニューヨーク市郊外に住む50代の男性の感染が判明、マンハッタン勤務であったことと、家族と隣人も感染し、学校や教会が閉鎖されたことからニューヨーカーの懸念は一気に高まった。

 スーパーマーケットの大手チェーン、トレーダー・ジョーズに行った友人から「パスタの棚が空っぽで、補充してもすぐなくなるとお店の人がこぼしていた」という話を聞いたのは、まさにこの頃だった。

 3月7日、ニューヨーク州の感染者数は76人、市内は11人へと増加。クオモ知事は非常事態宣言を発令。その後、感染者数は加速度的に膨らんでいく。

 運命の12日、感染者数は州全体で321名、ニューヨーク市内は95名に。同日、集会禁止令に先立ち、メトロポリタン・オペラ、カーネギーホール、ニューヨーク・フィルハーモニックは、既に公演中止を発表していた。

 劇場やホールという人々が密集する密室空間への危惧がいかに急激に高まったかということだろう。

 ブロードウェイの場合、高齢者の観客も多く、さらに観客の5人に1人は海外からの観光客という点からも、いわば危険因子は揃っていたといえる。

 それまで、州、市の行政側とブロードウェイ業界は、公演中止だけは回避したいとの考えで、各劇場は頻繁に消毒を行い、消毒液の設置や楽屋への訪問禁止を徹底し、観客が楽屋口で俳優を待つ「出待ち」の自粛も呼びかけていた。

 実際に、3月初頭のブロードウェイの客入りは堅調で、週間売上高は前年の同時期よりも若干アップしたほどだった。

 しかしながら、今後起こり得る観客減少に歯止めをかけるため、プロデューサーのスコット・ルーディンは、10日、5本の公演を3月末まで全席50ドルで販売することを発表。2011年からロングランしている『ブック・オブ・モルモン』や、今シーズン開幕した『ウエスト・サイド・ストーリー』『リーマン・トリロジー』など人気作ばかりだ。ふだんは一般席でも200ドル弱、プレミアム席だと300〜400ドルはするだけに、50ドルは破格中の破格である。

 この50ドルチケットの発売が12日の正午からだった。

 筆者も周りの芝居好きも、皆こぞって最上席のチケットを入手してぬか喜びしたのは、クオモ知事の発表のわずか2時間前のこと。

 ルーディンはハリウッド映画の大作も手がけるエンターテインメント界の重鎮だ。彼の肝いりの販促チケットの発売日とクオモ知事の集会禁止令が重なったことは、禁止令がいかに急転直下の決断であったかを物語っている。

 今にして思えば、温度ががらりと変わったのは、11日にブロードウェイの劇場の案内係が陽性と判明したことが報道された時だった。この案内係は、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』が上演されていたブース劇場と、新作ミュージカル『シックス』のブルックス・アトキンソン劇場で勤務していた。この事実で、観客と出演者、スタッフの感染への懸念に対し、州と市、ブロードウェイの労働組合の緊張が高まった。

 12日の朝、劇場主やプロデューサーなどの業界団体であるブロードウェイ・リーグは緊急ミーティングを開き、ついに公演中止の合意に至った。一方、公演中止は州や市からの行政命令でなければ保険が下りないとの認識から、ブロードウェイ・リーグから行政側に働きかけがあったとニューヨーク・タイムズは報じている。

暗転した劇場街の春

ブロードウェイの全公演が中止になった12日当日に開幕する予定だった『シックス』のブルックス・アトキンソン劇場。チケットの売れ行きも好調だったが……

 ブロードウェイ公演が中止になったのはこれが初めてではない。

 劇場で働くスタッフやミュージシャンと経営陣の労働争議によって、1975年、2003年、2007年には最長25日間にわたり、大半の公演が中止となった。2012年のハリケーン・サンディ、2016年の大雪など天候によるキャンセルもあれば、2019年の夏、停電によって24の劇場で公演が不可能となったことも記憶に新しい。

 ただ、今回のように1カ月以上、ともすれば2カ月、3カ月にも及ぶ長期の休演は、ブロードウェイ史上初めてのことだ。

 折悪しく、3月と4月は数多くの作品が開幕する、一年で最も重要な時期でもある。

 ブロードウェイでは、一年の集大成の演劇賞トニー賞が毎年6月上旬に決まる。映画でいえばアカデミー賞にあたるこの賞へのノミネート資格を獲得するには、4月後半に設定される期日までに本公演を開幕しなければならないからだ。

 当初、今年の開幕期日は4月23日、ノミネート発表は28日、授賞式は6月7日というスケジュールだった。

 公演が中止になった日から期日までに、16作品の開幕が予定されていた。案内係の感染が判明した作品の一つ『シックス』は、16世紀のイングランド王ヘンリー8世の6人の妻たちが歌で競い合うという異色のポップミュージカルだが、実に12日がオープニングナイトだった。

 ほかに、ダメな父親が家政婦として奮闘するコメディ映画『ミセス・ダウト』のミュージカル版、ダイアナ元妃の波乱万丈の悲劇の生涯をつづったミュージカル『ダイアナ』、マシュー・ブロデリックとサラ・ジェシカ・パーカー夫妻がニール・サイモン作のコメディで共演する『プラザ・スイート』、プロ野球チームのロッカールームで繰り広げられる人間ドラマ『テイク・ミー・アウト』のリバイバルなど、話題作も控えていた。

 これら開幕を控えていた作品は、プレビュー、または稽古中に公演中止に追い込まれた。

 残念なことに、開幕予定作のうち、離脱を決めた作品も出てきた。

 20日、アイルランド系劇作家マーティン・マクドナー作の『ハングマン』と、現代アメリカ演劇の大御所エドワード・オールビーの代表作『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』のリバイバル公演が再開せずに閉幕することを発表。いずれも公演中止当時はプレビュー中であった。

 『ハングマン』のプロデューサーのロバート・フォックスは、「先の見えない閉鎖期間中、劇場主とキャスト、クルーに支払いを続けるだけの経済的リソースがない」と語っている。

 『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』のプロデューサーは、前出のスコット・ルーディンだが、閉幕を決めた理由を「キャストのスケジュール上の問題」としている。人気俳優が出演している場合は公演の延長も一筋縄ではいかない。

 加えて、ブロードウェイの劇場は、常に次の作品が順番待ちをしている状態で、開幕が1カ月遅れたからといって、それと同じ期間、公演を延長できるとは限らない。つまり、同じ開発資金を投じて作り上げた作品でも、上演する期間が短くなると、興行収入は必然的に減少し、投資を回収できないことになってしまう。

 続いて、『フライング・オーバー・サンセット』『キャロライン、オア・チェンジ』『バースデー・キャンドルズ』は、開幕を今秋まで延期することを発表した。

公演休止中の賃金はどうなるか

人気ミュージカル『ウィキッド』のガーシュウィン劇場の前も人っ子一人いない

 俳優やスタッフの賃金や手当については交渉中とされていたが、20日夜、運営側の業界団体ブロードウェイ・リーグと、劇作家、俳優から舞台の表と裏の様々なスタッフが所属する14の労働組合との話し合いに決着が付いたことが発表された。

 まず、中止になった週は各人の契約上の賃金のほぼ全額が支給され、加えて、各組合の最低賃金2週間分が全員に支払われることとなった。健康保険、年金などの福利厚生はこの2週間は継続するが、その後4月12日までは健康保険のみカバーされるという内容だ。4月13日以降も再開できない場合は、再度話し合いが行われる。なお、ブロードウェイの41の劇場のうち、非営利団体が運営する六つの劇場は契約が異なるため、別の取り決めとなる。

 参考までに、ブロードウェイには、俳優と舞台監督が所属するアクターズ・エクイティ・アソシエーション、劇作家のドラマティスト・ギルドを始め、オケのミュージシャン、技術スタッフ、案内係、広報担当者など役割によって細分化した労働組合が存在している。アクターズ・エクイティが定めた現在の俳優の最低賃金は週に2168ドルで、役に求められるスキルなど様々な要素がそこにプラスされていく。

 今回の合意に対し、アクターズ・エクイティの会長は、「組合員に最上の利益をもたらすと同時に、制作側が破産することなく、組合員が復帰する職場を維持できる着地点」を目指したと語っている。

 もし公演中止が1カ月で済むなら、制作側と出演者、スタッフ側が痛み分けとなったといっても許されるかもしれない。だが、中止が延期された場合、チケット収入がほとんど入って来ない状態で、制作側が劇場のレンタル料その他の維持費に加え、俳優とスタッフの賃金や手当を支払い続けることは、ディズニーのような大企業の後ろ盾があるか、『ハミルトン』や『ウィキッド』のような大ヒット作でもない限り、まず不可能なのではないだろうか。

NYは「ダーク」、スターがオンラインで支援を募る

いつも人だかりのできている半額チケット売り場TKTSも扉を閉ざしている

 現在、ブロードウェイの労働組合は共同で、米議会に対して経済的な救済措置を求めるロビー活動を行なっている。また、活動の場をオンラインに移した俳優たちは一丸となって、エンターテインメントと舞台芸術関係者のサポートを行う非営利団体の俳優基金への寄付を呼びかけるミニコンサートなどを連日開催している。

The Actors Fund
 非営利団体・俳優基金のホームページに、数々のブロードウェイスターがゲスト出演。

Rosie O’Donnell Show – Actors’ Fund Benefit
 人気コメディアンでブロードウェイの支援者のロージー・オドネルが、一夜限りでトーク番組をオンラインで復活。人気俳優が結集し、60万ドルの寄付を集めた。

Stars in the House
 俳優でコメディアンのセス・ルデスキーの司会で、俳優たちが自宅から参加し、トークや歌を繰り広げる。

 しかしながら、新型コロナウイルスで大打撃を受けた業界はブロードウェイだけではない。演劇分野に限っても、オフ・ブロードウェイやオフオフ、地方の劇場など、閉鎖に追い込まれる劇場もあれば、活動を諦めるアーティストも出てくるだろう。

 そして、今の状態がいつまで続くのかが全く分からないことが不安を煽る。22日の会見で、クオモ知事は「人口の40〜80%が感染するかもしれない」とまで言及した。

 ブロードウェイでは休演日を、明かりの灯らない日という意味で「ダーク (dark)」と呼ぶ。

 ブロードウェイの、ひいてはニューヨークのダークはいつまで続くのだろうか。9・11も乗り越えて来た演劇コミュニティとこの街は、いずれ必ず蘇るだろう。ただ、いつになったら「一時停止」が解除され、再生の明かりが灯り、復活の幕が上がるのか、見当もつかないことが何よりも恐ろしい。