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星野源と安倍首相「コラボ」を不快に感じる4つの原因

印南敦史 作家、書評家

「自分にできること」をする意味

 「家から出ないと俺ダメですね。しんどい」

 「終わりが見えないし、コロナについて調べれば調べるほど不安になりますよ」

 「ストレスたまりません?」

 先日、新型コロナウイルスの影響で自宅にこもりきりの友人から、SNS経由でこんなメッセージが届いた。こちらは仕事中だったので、次から次へと届く不安のメッセージにやや戸惑ってしまったのだが、とはいえ気持ちはわからないでもなかった。

 物書きという仕事柄、普段から家で仕事をしている私はきっと、彼にくらべれば「家にこもること」への耐性がついているのだろう。なにしろ、「集中しすぎて1日ずっと家にいた」ということも珍しくないのだから(それではまずいので、なるべく外に出るよう心がけてはいる。いまは、それすら難しい状況なのだけれども)。

 だが彼がそうであるように、日ごろから家にいる時間が少なく、外に出る習慣がある人であれば、家から出られなくなればストレスはたまるに違いない。

 人間にとって大切な“習慣”を不可抗力によって歪められるとしたら、精神的なバランスが崩れても無理はないからだ。国内外で家庭内暴力(DV)が増えているというエピソードが、その恐ろしさを言い表している。

 そんなわけで現在の世の中には、東日本大震災後のそれとはまた違った、もやっとした閉塞感が漂っているようにも思える。

 だが幸いなことに、人はなにかが起きたとき、「自分にできる範囲で、できることをしよう」と考えられるものでもある。

 たとえば今回それを強く感じたのは、有名無名を問わず、国内外の多くのDJが、自宅でくつろいでもらおうという思いからDJプレイの配信を積極的に行なっていることだ。

 また同じように、スタジオライブなどを配信しているミュージシャンも少なくない。

PHOTOCREO Michal BednarekshutterstockPHOTOCREO Michal Bednarek/Shutterstock.com

 誰かに指示されたわけではなく、それぞれの意思によるものである。もちろん、お金を得ることが目的ではない。少なくとも私は今回、お金を稼ぐために配信しているDJやミュージシャンを見たことがない。

 つまり彼らは、「自分はDJだから、DJとしてできることをしよう」「ミュージシャンだから、歌を歌って演奏をしよう」と考えて配信をしているのである。私も何人かのプレイをチェックしたが、“音楽好き”としての純粋な思いが伝わってきて、とても心地よい時間を過ごせた。

 「音楽になにができるか?」「音楽で世界を変えられるか?」というような論争は、かなり昔からあった。個人的には音楽で世界を変えられるとは思っていないが、しかし、人の心に癒しや勇気を与えることはできるだろう。

 いま世界のいたるところで音楽家(ミュージシャンやDJなど)が「自分にできること」を行なっていることは、そういう意味でとても有意義だと感じる。

ライヴハウスやクラブをはじめとした文化施設が休業するための助成金交付を求める署名活動「#SaveOurSpace」オンライン会見を開いたライブハウスの経営者やDJ2020年3月31日休業するライブハウスやクラブなどに助成金交付を求める署名活動「#SaveOurSpace」のオンライン会見を開いたライブハウスの経営者やDJ=2020年3月31日

星野源への冒涜

 星野源「うちで踊ろう」もまた、ひとりの表現者としての彼の純粋な思いが生み出したものだ。アコースティック・ギター1本で録ったシンプルな楽曲をInstagramにアップし、そこに「誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」というメッセージを添えたアイデアは、「自分にできること」の最良の形だ。

 なぜなら彼はここで、不特定多数の人々との“コラボレーション”を成し遂げたからである。あるいは成し遂げようと試みたからである。“感覚”によって人と人とがつながれるわけで、しかもその行為自体がきわめてクリエイティブだ。

 1980年代の初めごろ、表参道の裏手にあったギャラリーになんとなく入ってみたら、思いもかけず自分自身が“作品”になってしまったことがあった。なんのことはない。名前すら憶えていないそのアーティストは、「ギャラリー内にいる人、入ってきた人すべてが作品」になるというインスタレーションを行なっていたのである。

 当時の私は、そのことにいたく感動し、共鳴したのだが、今回の星野源の取り組みにも似たニュアンスを感じた。制限があってもアイデア次第でなにかを生み出せるという事実を、あのときのアーティストも今回の星野源も、同じように証明してみせたからである。

 とはいえ、たままた足を踏み入れた人が作品になってしまうインスタレーションとは違って、「うちで踊ろう」の場合は、参加者に求められるべき大切なものがある。

 まずは

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