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緊急事態宣言で制限されたのは私権よりも「公権」だ

図書館の臨時休館で考えた公共財の価値

木瀬貴吉 出版社「ころから」代表

 新型コロナウイルス(covid-19)の蔓延予防を目的に、新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下「特措法」)による緊急事態宣言が、これまでの期限(5月6日)から少なくとも5月いっぱい程度までは延長されそうだ。

 この延長判断、特に期間については「妥当」あるいは「短すぎる」といった意見が多く、「延長すべきではなかった」との声は思ったより小さい。

 が、緊急事態宣言の必要性が議論されてから、すでに2カ月を経ようというのに、期間ではなく内容についての議論が深まらないことに強い危惧を覚える。

「法によらない」図書館の閉鎖

大阪市立中央図書館の臨時休館を知らせる貼り紙。現在は4月8日から5月6日までの予定でさらに臨時休館中だ=2020年3月12日、大阪市西区

 具体的には、特措法に基づき各都道府県が休業を要請する施設についてだ。特定警戒地域に指定された東京都は2020年4月17日に対象となる施設の一覧をホームページで公表した。

 なかでも、もっともひっかかるのが、この休業リストに図書館が含まれていることだ。

 都によると、床面積の合計が1000平方メートル以上の図書館については特措法に基づく休業要請であり、1000平方メートル以下の図書館に対しては「特措法によらない(休業)協力の依頼」だという。

 しかし、5月2日日現在で、わたしの出版社がある東京都北区では、床面積の大小に関わらず全館(14館と1分室)が休業している。

 しかも、北区では緊急事態宣言が発令される2020年4月8日(首相による会見は7日だったが実行は8日午前0時)の2日前、すなわち4月6に全館休館を決定しており、この時点では特措法を含む法的根拠なしに図書館の閉鎖を決めたことは、以下に詳述するが歴史的な愚挙であり、すべての図書館関係者は後世まで記憶するべきだ。

 さらには、国内図書館の最後の砦とも言える国立国会図書館が国会議員以外の一般利用を中止し、利用者の接触リスクを伴わない遠隔複写サービスまでも4月15日に停止するにいたった。

 これを問題にするのは、わたしの業種が出版業で業務上、公共図書館が不可欠であることも大きな理由ではあるが、それだけではない。

 確かに、出版業界では阿鼻叫喚の悲鳴があちこちから聞こえている。一定規模を誇る出版社であれば、それなりの蔵書をもっているが、業界の大半(一説によると全体の90%)を占める社員10人未満の出版社では、自社蔵書ではなく、校閲業務などのほぼすべてを公共図書館に依存している。

 そのため、5月以降に刊行予定の本の編集作業に大きな支障を来している。たとえば、小社の近刊(『モロトフカクテルをガンディーと』マーク・ボイル著)は英語からの翻訳書であるが、古今東西の至言が数多く引用されており、すでに刊行されている日本語訳(既訳)を参照したいところだ。が、図書館の休業により、該当書籍を参照するにはネット書店で(定価の数倍の値付けをされた)古本をやむなく購入するしかない(ご存じのように都内の古書店は休業要請対象になっている)。

 が、それでも、わたしが公共図書館の閉鎖を問題視する最大の理由は別のところにある。

「私権」は決して不可侵ではない。しかし

 それは、図書館の使用制限は「私権」の制限なのか、という問いだ(本文は法律を論じる専門性を目的とはしていないので、「個人の権利」ぐらいの意味で「私権」とする。おなじく

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