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串田和美が考える、「コロナ」のある世界

【前編】寄り添うことを取り上げられた私たちは

串田和美 演出家・俳優・舞台美術家

 第2波、第3波の流行におびえながらも、新型コロナウイルスのために止まっていた社会活動が、再び動きだした。何かが変わってゆくこれからの時代を、どうとらえたらいいのか――。考える手がかりを探して、串田和美さんに寄稿をお願いした。演出家・俳優として、長く演劇を通して世界と向き合ってきた串田さんの言葉を、前・後編に分けて紹介する。(後編はこちら

80年以上前に描かれた謎の感染症

 2年前の冬に『白い病気』という芝居を上演した。

 チェコの劇作家カレル・チャペックが亡くなる1年ほど前、ナチスの侵略が近づく少し前に書いた反戦劇である。

『白い病気』の舞台。(左から)千葉雅子、大鶴美仁音、大森博史。この戯曲はカレル・チャペックが1937年に書いた=山田毅撮影

 世界中に“白い病気”という謎の感染症が広まりパンデミック状態になっている。50歳以上の男女の身体にある日突然白い斑点が現れ、次第に生きたまま身体が腐り出し悪臭を放ち死んでいく。世界中の医学者たちがその原因や治療法を探すが、見つからない。そこにその白い病気の治療薬をつくり出したという謎の町医者が現れる。しかし彼は貧しい人間しか治療しないと言う。彼はジャーナリストたちに向かって言う。

 「世界中の戦争をしようとしている人たちに伝えてほしい。医者に病気を治せ、負傷者を治療しろと言いながら、一方で戦争を起こしどんどん人を殺しあっている。今すぐ戦争の準備をやめればすべての人々の白い病気を治療する」と。

 戦争をしたくて堪(たま)らない人々、戦争を否定するわけにはかないと思っている人々は抵抗するが、ついに軍需工場の経営者や、元帥も白い病気にかかり、彼の要求を認めようとした時、愛国心を煽られ暴徒となった若者たちによって、その謎の町医者は殺され、治療薬も消えてしまう。

 大雑把に言うとこういうストーリーである。まるでおとぎ話のような空想物語だ。しかしなんとも魅力的な、切ない香りのする戯曲だと思っていた。

まつもと市民芸術館プロデュース『白い病気』
2018年2~3月、まつもと市民芸術館(長野県)、KAAT神奈川芸術劇場で上演
原作:カレル・チャペック
翻訳:小宮山智津子
潤色+演出+美術:串田和美
音楽:寺嶋陸也
出演:串田和美、藤木孝、大森博史、千葉雅子、横田栄司ら

空想のおとぎ話のはずが

 コロナ感染症がパンデミック状態になったこの春、『白い病気』の上演は今の状況を予測していたのか? などと大勢の人に言われた。とんでもない。2年前に世界中がこんな状態になるなどと思ってもいなかった。なぜなら“白い病気”は現実の話ではなく空想のおとぎ話のはずなのだから。

『白い病気』の舞台。中央は元帥役の横田栄司=山田毅撮影

 ウジェーヌ・イオネスコの書いた『犀(さい)』という芝居がある。

 或る日突然町の中に犀が現れる。みんなが驚いているうちにだんだん犀の数が増えていく。町の住人の誰々さんが犀になってしまったという噂。そして主人公の勤める会社の人々や彼の友人も次々に犀になっていく。とうとう自分たちだけは絶対に犀にならないようにしようと言い合っていた彼の恋人もまた、犀の幻想的な美しさに惹かれ、犀の群れの中に飛び込んでいく。自分だけは絶対に犀になんかになるまいと呟く男をひとり残して幕が下りる。

 この芝居は全体主義に陥っていく社会批判の比喩だと考えればわかりやすいが、比喩ではなくこの現実の世界で本当に人々が犀そのものになっていったとしたらどうだろう? つまり人間の想像力が追いつかない、ありえないことが現実に起きているとしたら。

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