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大阪で時空を超えて芸に没入する

厳しく、あたたかく、時に強烈な町で

玉川奈々福 浪曲師

ディープな浪曲ファンがいる町へ 

ライトアップされた大阪のシンボル通天閣=2020年5月14日撮影
 やっとリアルな旅が少しずつ復活してきました。

 東京もGO TOキャンペーン始まっちゃってるしね!

 9月は、九州に一度。関西に一度。

 関西は、初日に神戸でお仕事をして、そのまま大阪に入って四泊五日。

 ああ、久々の旅仕事。ココロ浮き立ちました。

 大阪。

 日本のほかのどこの町とも、お客さんがちょっと、違う感じがします。

1935年(昭和10)頃の初代通天閣。右下に浪曲の黄金期を支えた東家楽燕と二代目広沢虎造の公演を知らせる垂れ幕が見える
 大阪の中でも、ときと場所、集まったお客様によって、もちろん色合いはさまざま違うけれども、それでもやはり「大阪色」というのがある気がするのです。

 あくまで浪曲に関して、私の感じている範囲でいえば、ではありますが。

 浪曲について言えば、東京はお客さんの世代交代がずいぶん進んだ感じがします。切ないことでもあるけれど、私が入門した頃にいらした、木馬亭ご常連のご通家、ものすごく浪曲詳しい、それだけに気難しい……というお客様はほとんどいらっしゃらなくなりました。

 ところが大阪は、昔からのディープ浪曲ファンがまだいらっしゃる感じがあるのです。

 それだけに、お客さんが、なんというか……濃い(笑)。

 うまい芸を求めておられます。

「乙女」に厳しい大阪の洗礼

 初めて大阪で公演したのは、13年前。関西の後輩、春野恵子さん、菊地まどかさんと、「浪曲乙女組」というユニットを立ち上げ、旗揚げ公演を東西で開催しました。

「浪曲乙女組」の(左から)春野恵子、玉川奈々福、菊地まどか=2009年撮影
 「浪曲はおじいさんが青筋たててうなるもの」というイメージを打破するためには、「比較的若い」「女子」「ユニット」で行くべし、と企画したのです。

 大阪公演は、つい先頃閉場してしまった、道頓堀のトリイホールにて昼と夜。

 浪曲を初めてご覧になる方もおられるだろうと、出番で舞台にあがった私は、はじめましてのご挨拶やら会の主旨説明やら、マクラ(浪曲に入るまえの、雑談みたいなこと)を振っておりました。

 実は浪曲は、落語とちがって、マクラを振る文化が基本的に、ないです。

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