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大逆事件から110年、『太平洋食堂』が現代の自由を問う

言論弾圧、無批判な服従の危うさ、演劇が照らす過去と現在

嶽本あゆ美 劇作家・演出家、演劇ユニット「メメントC」主宰

 明治天皇の暗殺を企てたなどとして、社会主義、無政府主義者ら数百人が摘発された「大逆事件」から、今年で110年になる。大半はでっち上げだったとされるこの言論弾圧で、12人が死刑になった。犠牲者の一人に和歌山県の医師、大石誠之助がいた。いわれなき共謀の疑いをかけられた大石の行動と言葉から、いま何を受け止め、考えるかーー。12月に上演される大石を主人公にした演劇『太平洋食堂』の劇作家がつづる。

栄養ある料理をふるまった「ドクトルさん」

大石誠之助(1867~1911)=新宮市立図書館提供
 明治37(1904)年秋、熊野新宮の医師である大石誠之助は洋食レストラン「太平洋食堂 The Pacific refreshment room」をオープンした。まさに日露戦争が開戦し、日本が坂の上に駆け上がろうとした時代だ。太平洋(Pacific)と平和主義者(Pacifist)をかけて反戦平和の狼煙(のろし)を、太平洋に面する町から世界に向かって挙げ、食卓には万民が集った。

 大石はそれだけでも歴史に記録されるべき人物だ。しかしその後に彼は、刑法第73条(大逆罪=現行法では削除)で処刑されてしまった。何ということだろう。

 その大石誠之助とその時代に強く惹かれ、大逆事件を熊野から描いた演劇『太平洋食堂』を上演し続けている。

 3度目となる今年は「明治百五十年異聞」と題し、『太平洋食堂』と、大逆事件後のドラマ『彼の僧の娘―高代覚書』を同時上演する。コロナ感染症の脅威が日々増しているが、感染症対策を万全にし、客席も半数に減らしての上演だ。大逆事件から110年、杉並区の劇場「座・高円寺1」から私も演劇という狼煙を上げる。

 大石誠之助は夏目漱石と同じ慶応3年生まれ。若い頃にアメリカで医師免許を取って帰国し、町の人から「ドクトル(毒取る)さん」と呼ばれて親しまれた。無料で被差別部落を往診し、自由、平等、博愛を生活の場から実践したヒューマニストとして広く知られる。

 彼は翻訳や文筆にも才があり、風刺の効いたコラムや趣味の都々逸(どどいつ)、そしてアメリカ留学中に覚えた洋食のレシピを雑誌に寄稿した。「社会改良には、まず食事の改善」というわけで、彼は様々な洋食レシピを考案した。

 貧しい人たちを往診しても栄養状態が悪く、健康回復が難しい。そこで、食堂に招いて滋養になる家庭料理をふるまい、その調理法を教えるために「太平洋食堂」を開いた。

 大石の料理好きは和食にも及び、「面倒なかき混ぜの鮓(すし=五目寿司)の加薬(かやく)を缶詰にして海外に輸出したらどうだろう」などと笑いを交えた通信を「牟婁(むろ)新報」という地方新聞に寄せている。シンガポールやインドでも海外生活をおくった彼ならではのコラムは、地方都市から世界を論じる広がりを持ち、読者は多かった。

現代のIR問題に重なる、大石の遊郭反対

 大石の周囲には非戦や社会改良という一点で結びついた仲間が居た。

 日露戦争後に新宮で遊郭誘致運動が起きると、新宮の浄土真宗僧侶の高木顕明(けんみょう)、キリスト教牧師の沖野岩三郎らと協働し、性の売買に反対した。医師と僧侶と牧師による連帯というのも面白い。

新宮グループとされ、大逆事件の犠牲になった(前列左から)大石誠之助、峯尾節堂、(後列左から)崎久保誓一、高木顕明。大石は死刑、残る3人は無期懲役になった=1909年ごろ撮影、新宮市立図書館提供
 当時、和歌山県議会が遊郭設置による経済効果を真面目に論じている所は、今のIR(カジノを含む統合型リゾート)問題とそっくりだ。

 またその頃、後に幸徳秋水の恋人となる管野須賀子(スガ)が牟婁新報の編集長代理を務めていて、社会の不正や女性差別を糾弾した。彼女が和歌山であげた声の鋭さは現代でも全く錆びることはない。けれども残念ながら公認遊郭は新宮の速玉大社の横に開業し、たいそう賑わった。しかし大石らは負け続けながらも声をあげる事を止めなかった。

 私が大石に出会ったのは2005年、中上健次没後10周年に演劇集団円が上演した舞台『オリュウノオバ物語』 の脚本を執筆したからだ。中上の小説『千年の愉楽』が原作で、岸田今日子さんが主演した(大橋也寸演出)。小説世界の土台となっているのは大逆事件後の新宮の路地。そこにはドクトルや、路地の人々を慈しんだ浄泉寺住職だった高木顕明の記憶が今なお生きていた。

 大石の最大の魅力はシニカルで独特なユーモアにある。

 「人類は石器時代から不平不満を積み重ねて進化した」とのたまい、「真に愛し合っていない夫婦など破壊せよ」と家庭破壊論を書き、日露戦争の勝利で万歳三唱が響く時、「アブナーイ」と叫んだ。何と愉快な人なのだろう。皮肉の中にも、弱く小さい者への優しい眼差しが感じられる。

 新宮では大石と共に活動した6名が、大逆罪の被告として死刑、無期、有期懲役の有罪判決を受けた。そして量刑にかかわらず、全員が無念の死を遂げた。なぜ彼らは大逆罪で死なねばならなかったのか?

 様々な資料から最初の戯曲を書きあげたのが2009年。その後も取材と改稿を繰り返し、ようやく2013年に初演することができた。

豪快な悲喜劇、故郷の新宮へ

『太平洋食堂』の稽古風景=2020年11月、萩原美寛撮影

 上演前には戯曲が難解だと誰からも言われた。確かに近代史は多くの人にとっては面倒で避けて通りたい領域だ。そして幸徳秋水の平民社から事件を眺めた時、思想弾圧の暗さが色濃くつきまとう。

 だが、その目線を熊野・新宮に移した途端、南紀の陽光に包まれて、そこに生きる人々の生活の息遣いがありありと立ち上がってくるから不思議だ。

 実際に舞台上にはあらゆる階層の人がテーブルに横一列に並び、誠之助のレシピによる料理を食べながら演技し、盛大に議論した。明治人の豪快な挙動が巻き起こす悲喜劇は、観客を笑いと興奮に包んだ。「太平洋食堂」は束の間、現代に蘇り、満員の観客と大きな舞台成果、お決まりの赤字をそこそこ残して上演は成功した。関係者の誰もが疲れ切って満足した筈だった。

 ところが演劇人はする必用がない苦労を舞台の為にしたがる人種だ。その後、各方面から「物語の現地で上演を!」という声が上がった。そして2015年、蛮勇とも言える東京、大阪、新宮ツアー公演が敢行され、結果としては延べ7000人の観客に出会うこととなった。

 何故蛮勇なのか? 私は昔、劇団四季に13年ほど在籍した者だが、故・浅利慶太氏から、興行の苦労を稽古場で耳にタコが出来るほど聞いてきた。

 コネクションもない地方公演では、カラオケ大会かタレントが出演しない限り、集客出来ないことは興行では常識だ。兎に角、何をするにも資金が必要だ。まともなプロデューサーなら諦めるだろうが、「どうせ大阪公演するならこれを逃したら行かれない」というスタッフの声で、ふらふらと新宮公演制作を始めてしまった。

 しかし幸運にも「地元で大石を描いた本格的な演劇を観たい」という現地サポーターの協力を得て、クラウドファンディングで公演資金の一部を調達した。公演4カ月前、大阪公演に東本願寺というスポンサーがついたお陰で、旅費は担保できた。予算面に筋道が付いてきた頃、私は大逆事件が現代に深く打ち込んだ楔(くさび)の威力を思い知ることとなった。

「大逆事件」というタブー、1世紀余を経た顕彰

 戯曲を書いた当初から上演団体が見つからなかった理由の一つに、大逆事件のタブー性がある。

 本来、事件や犯罪というものは、時、所、物証、動機や実現の具体性が無ければ、犯罪として成り立たない。しかし、この幸徳秋水を首謀者とする大逆事件には、そのほとんどが欠けている。不合理でドラマの筋道の立ちようがない。あるのは状況証拠と捏造された予審調書という名の出来の悪いシナリオだ。その調書の中で被告らを線で繋ぐのが、大石誠之助の行動と資金提供だった。

 詳細は歴史家が書いているので省くが、架空の天皇暗殺計画というタブーによって、思想や言論弾圧を正当化し、「善良なる市民」ならば関わるべからずという、まさに香港の民主化弾圧と同様の効果を、この現代にまで残すことに明治政府は成功したのだった。その「仕掛け」が動き続けていることに震撼とした。

 実際、新宮公演においては高校生無料招待のチラシ配布に応じた高校は一校も無く、市民からは「2013年の東京公演を見たが、現地では事件と関係があると言われて喜ぶ人はいない。都会とは『距離』が違う」という声も届いた。関わりあいを恐れられたのだ。

 プロモーションで何度も新宮へ行き、公演の事前学習会も行った。その反面、現地の応援サポーターは「演劇を楽しむ」為に、商店街中にポスターを貼り、着々とチケットを販売し、口コミの宣伝を行ってくれた。表からはほとんど見えざる手によって新宮公演制作は進み、本番当日の市民会館はほぼ満席になった。表向きの憚り以上に、人々の心の中には、大逆事件犠牲者への思いがあったということだろう。

『太平洋食堂』新宮公演のカーテンコール=2015年
 芝居のラストには、与謝野鉄幹の詩「誠之助の死」が歌われる。新宮市民有志によるコーラス隊のタクトを振ったのは、かつて中上健次を教えた元新宮高校合唱部顧問だった。既に故人となった老顧問は「我々はこの歌を歌わねばならないのだ」と情熱を傾けてくれた。

 とうとう上演は成功し、かつて太平洋食堂があった場所にほど近い、熊野川沿いに建つ新宮市民会館は温かい拍手に包まれ、食堂の物語は生まれた場所へ還って行った。

新宮市内にある大石誠之助の住居跡、業績を記した顕彰碑がたつ
 今でも忘れられない聲(こえ)が耳に残っている。

 スタッフが宿泊した旅館の90歳近い翁が別れ際に私に向かって手を合わせ語ってくれた。

 「わしの祖母はドクトルに往診をしてもらった。大根で代金を払った。あんたたちはようやってくれた」

 その後、2018年1月に、大石誠之助は新宮市議会において名誉市民として表彰された。永年の顕彰団体の活動あっての名誉市民だが、へそ曲がりの大石はあの世でどんな皮肉を言っただろう?

無批判な服従も、ヒーロー待望もいさめた大石

『太平洋食堂』で大石誠之助をモデルにした「大星誠之助」を演じる間宮啓行
 大石は当時、政府に奨励された「道徳」について「良き国民とは、自己の利益と自由と発達を顧みず、ただ上からの命令と権威に服従する者ではないか」という「非善人論」を書いている。言うなれば、善良なる国民とは無批判に(原文では、めくら滅法と記されている)服従する者ということだ。

 それはまさに現代において、思考停止に陥りがちな私達に響いてくる。どうせ何も変わらないとたかを括って服従してしまう方が楽だし、このコロナ禍で声をあげれば顔の見えない他人にネットで中傷される。

 また大石は言う。

 「現代の謀反(むほん)とは貧者と青年を愛すること」

 日露戦争後の社会の疲弊は、救い難い社会の貧困を生み、国家主義という抗し難い圧迫を生んだ。まさに1910年の「現代」は、その後の歴史の分岐点であり、この21世紀の「現代」でも繰り返されようとしている。コロナ禍で疲弊する若年層や増える虐待、一人親家庭などの小さき人々の貧困は、本物の「レ・ミゼラブル」なのだ。

 芝居をやってる場合なのか? コロナ感染で中止になれば夢などすぐに破れるし、経済損失は目も当てられない。自問自答するうちに、稽古場で心が崩れ落ちそうになる瞬間がある。今を生きる舞台芸術に関わる誰もが抱える苦しみだ。芸術家はこの先、疫病の未来をどのように生きれば良いのだろうか?

 平民社の若者らが挫折した理想と現実の違いは今の社会にも重く横たわる。香港の状況を見るにつけ、ぎりぎりのラインで抗議行動を持ちこたえさせている若者に惜しみないエールを送り、生き延びて欲しいと強く願わずにはいられない。同様に明治の平民社に集まった社会主義や無政府主義にシンパシーを持つ若者たちは、言論活動を封じられ、極端な厳罰によって生活を閉ざされた。やがて帝国議会は腐敗堕落し機能不全に陥り、議会制民主主義への期待は裏切られた。

管野スガ(須賀子)(1881~1911)
 事件の唯一の女性被告となった管野須賀子は、幼い頃より女であることで様々な苦痛を味わった。そして平民社の出版活動を支え、「私の水さま」と呼ぶ幸徳秋水の身替わりに発行署名人として罰金や禁固刑の負担を一身に引き受けた。

 そんな須賀子を、私は初演の頃は好きになれなかったが、現代女性がようやく声を上げだしたことを、百年以上前に声を大にして叫んだその強さと激

「大逆事件」の主犯とされた幸徳秋水(1871~1911)
情はやはりあっぱれだと思う。幸徳と別れ退路を断った彼女の目線の先には、爆裂弾による革命という刹那の夢があった。敗れた夢は大逆罪立件の口実に使われて彼女の命は失われた。

 大石は、革命を夢見る若者らに向けて、一足飛びに革命や変革が為されないことを熱冷ましの様に説いた。

 「無政府とは、今の世の中と大して変わるものではない。今よりもほんの少し、法の縛り無しに守り守られる社会だ」

 そしてヒーローへの依存を戒める。「これからの革命は、偉い人がするのではなく、平凡な人間が為すことなのだ」と。

 さながら第二次世界大戦中のブレヒトが戯曲『ガリレイの生涯』 で「英雄を必用とする国が不幸なのだ」とガリレイに言わしめたように。しかし人は「生活の難しさ」によって如何様(いかよう)にも変化する。多くの人々がコロナ禍では痛いほどそれを噛みしめている。

他者の言葉を聞き、力を得る

新宮市にある「大逆事件」資料室に展示された『太平洋食堂』の舞台装置
 間もなく、私たちの『太平洋食堂』は再々開店する。上演にあたり更に改稿を行い大逆事件裁判の大審院法廷での弁護士・平出修の最終弁論を加えた。名弁論と言われたその言葉一つ一つが、今この現代に鑿(のみ)で打ち込まれるように響くだろう。

『彼の僧の娘ー高代覚書』の舞台
 同時に姉妹編といえる『彼の僧の娘―高代覚書』も上演する。大石とともに大逆事件で捕らえられ、秋田監獄で自死した僧侶・高木顕明の養女の半生を描いた物語だ。高木の死後、遺族は寺を追われて娘は芸者に売られた。苦界の底でもしなやかに、事件後の治安維持法の時代を生き抜いた養女を支えたものは何か?

 今の私たちは答えの出ない問題を抱え続け、それでもよりよい明日を生きたいと願うしかない。

 コロナ禍で疫病よりも人が恐ろしいと何度も感じた。しかし人は他者の体験から生み出された言葉によって救われることがある。それはまさに演劇のする仕事なのだ。

 明治末期を生きた大石らが残した言葉は、俳優の身体から発されて「ともしび」のように煌(きら)めき、明日を生きる力を観客に手渡してくれるだろう。だからこそ芸術は生きる糧なのだ。

 「太平洋食堂へようこそ!」

日本劇作家協会プログラム 座・高円寺 冬の劇場19
メメントC+「太平洋食堂を上演する会」公演
     提携:NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
     協賛:秋田雨雀・土方与志記念青年劇場
 会場:東京都杉並区の「座・高円寺1」

 『太平洋食堂』(嶽本あゆ美作、藤井ごう演出)
  2020年12月2日18時、3日13時、4日13時と18時、5日13時
                 6日12時(2・3・5日は配信あり)
    全席指定:5000円

 『彼の僧の娘』(嶽本あゆ美作・演出)
  2020年12月5日18時、6日17時(5日は配信あり)
    全席指定:3500円
 
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 ポストトーク
  3日13時の回=ゲスト・渡辺えり(日本劇作家協会会長)
  5日18時の回=ゲスト・成田龍一(日本史家)

 配信は各回2000円(手数料別)
   ライブ配信と5日間の見逃しアーカイブ
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