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追悼・小松政夫さん――「俳優」の原点と「人生を重ねて、出てくる言葉」

ペリー荻野 時代劇研究家

 小松政夫さんが亡くなった。多くのメディアが紹介する通り、「しらけ鳥音頭」「電線音頭」、淀川長治さんのモノマネなど、数々の持ちネタで日本中を笑わせたコメディアンであったが、味のある俳優でもあった。遺作となったのは、NHKドラマ「すぐ死ぬんだから」(2020年)である。

 私は何度かインタビューをお願いし、番組に一緒に出演する機会もあった。ここでは「俳優・小松政夫」の原点や魅力について書きたいと思う。

小松政夫さん(1942―2020)小松政夫さん(1942―2020)

付き人時代に編み出した淀川長治の物まねは、今も十八番(お・は・こ)の一つ=本人提供付き人時代に編み出した淀川長治さんの物まね=小松さん提供
 小松さんの役者志望は福岡で過ごしたこどものころからだった。

 「小学生のころから役者になりたくて、通信簿に『勘違いも甚だしい』と書かれてね(笑)。家にあった浪曲のレコードや、焼け跡の広場に来る露天商の口上をすっかり覚えちゃう。毛布売りのおじさんが『これカシミア。知っとうね。色なんかどうでもよか。寝るときは目つぶって見えん!』なんて言う調子が面白くて」

 後に小松さんは、「もーイヤもーイヤこんな生活!」「おせえておせえて」といったギャグを連発。その個性は“リズム&ギャグ”と評されたが、原点はこの時代に聞いた浪曲や口上の名調子にあったのだ。

 そして、そのセンスは芝居にも生きる。ドラマ「必殺仕置屋稼業」(75年)では、藤田まこと演じる同心・中村主水の手下の亀吉役で、ふたりは毎回絶妙な呼吸のやりとりを見せた。袖の下を俺の目の前でもらうやつがあるかと主水に注意され、暗にこっそりもらえと言われているのがわかった時の亀吉の「あ、あは、はははは~」という反応は、リズム&ギャグそのものだ。

英国製スーツで植木等さんの付き人に

横浜へ出てきた直後の小松さん。俳優座養成所の受験用に、写真館で撮影した1枚=本人提供 横浜へ出てきた直後の小松政夫さん。俳優座養成所の受験用に、写真館で撮影した1枚=小松さん提供
 小松さんが、クレージーキャッツの植木等さんの付き人だったことはよく知られている。高校生のときにRKB放送劇団のエキストラで初めて「テレビに映った」小松さんは、俳優を目指して兄のいる横浜に行き、俳優座を受験したものの、養成所の授業料が払えず断念。

 さまざまなアルバイトを経験し、事務機器のセールスをしていた時、営業先の車の販売会社の課長からうちに来ないかと誘われた。その課長が面白い人で、いきなり「空手チョップだよ~ん!」と迫ってくる。その人の期待に応えようと奮闘したところ、トップセールスマンになった。20歳そこそこで給料は今の100万円以上。英国製のスーツに靴まで仕立てて、キャバレーや宴会で大騒ぎする日々の中で「お前は道を間違ったなあ」と言われて、はっと気がついた。

 「俺は役者になりたかったんじゃないか」

 そのとき、たまたま「植木等の付き人募集」記事を見つけ、見事600人の中から選ばれた。ご本人は「見所がありそうだから選ばれたなんて言われるけど、本当は

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